第3話 【理由】(3) 〜エピヌス暦1131年2月〜

 主審の元に部下・ルーカスを向かわせると、イリアスは護衛の兵士2人を引き連れ、外套の裾を翻して決闘場アリーナに降りる階段に向かう。


 通路や階段には、劇的な幕切れとなった試合の熱気冷めやらぬまま、鼻息の荒い男たちが溢れかえっていた。


 人混みに行く手を阻まれながら、決闘場に降り立ったイリアスは中央を突っ切り、真っ直ぐ北の区域エリアを目指す。


 審判役の兵士たちに囲まれ、仲良く並んで地面にその巨体を押さえつけられているウェンズリーの双子を横目に通り過ぎ、いったん立ち止まる。


 その兵士は周りの喧騒から切り離されたかのように、少し離れた場所で一人佇んでいた。

 いつの間にか、兜の下から出ていた黒髪は中に戻されたのか、見えなくなっている。


 視線を察知したようで、彼が振り返った。面頬ヴァイザーの視界孔からの、射るような視線。


 イリアスが歩み寄ろうと一歩踏み出したその時、騒然としている場内に、一人の場違いな姿の闖入者が現れた。


「待ってくれ!」

 決闘場の選手入退場口から、下着姿の若い青年が、裸足の足元をもつれさせながら入場してくる。

 誰かと争ったかのように肘の部分などが土で汚れており、髪は乱れて、酷い有様だ。


「そいつは偽物だ。僕から鎧を奪った」


 青年はおぼつかない足取りでゆっくり近づいてくる。

 その顔は憔悴しきっており、寒空の下で薄着でいるにもかかわらず額に汗が浮かんでいる。


「君が本物の●●●アイバン・キンケイドか?」

 イリアスは目を細めた。


「そうです、僕がアイバン・キンケイドです。そいつに襲われて、装備を奪われて、先程まで縛られて閉じ込められていました」


 周囲のざわめきが一瞬止み、再び戻った。

 好奇の目がこの一画に注がれる。


 当のアイバン・キンケイドとされていた全身を板金鎧プレートアーマーに包まれたその人物だけが声を発するでもなく、直立不動のままだった。


「どういうことだ」


 イリアスや彼の護衛、審判役の兵士たちにぐるりと遠巻きにされ、観念したかのようにその人物はヘルムを外す。

 すると、そこに収まっていた長く艶やかな黒髪が流れ落ち、二十代前半と思われる女の顔が現れ、周りからどよめきが起きた。


 重い金属製の甲冑を纏った若い娘が鮮やかな身のこなしで大男二人を打ちのめしたという驚きと、さらに、その娘の目を見張るような美しい容貌に対するものだった。


 容貌の特徴から大陸の東側の国の出身と思われるその黒髪の美女は、自分に向かって近づいてくる本物のキンケイドに長剣を向けて威圧する。よっぽど酷い目に遭わされたのか、彼は反射的に肩を震わせて立ち止まる。


「剣を下ろすんだ」


 イリアスは両手を挙げて闘うつもりはないという意思表示をしながら、ゆっくりと彼女に近づく。


 彼女はすぐさま切先の向きをキンケイドからイリアスに変えたが、彼の背後に控える護衛に目をやり、舌打ちをして剣を下ろした。


 化粧気はないが、激しく体を動かしていたからか、頬や唇は紅を差したようにほんのり赤い。

 大きな目が細められ、観察するようにイリアスの全身をなぞる。


「あなたが国王?」


 開口一番、思いもよらない質問をされ、イリアスは目をまたたかせた。

 そして、笑いながら首を横に振る。


「残念ながら王ではない」

「じゃあ、国王はどこ?」


 周りを取り囲まれているにもかかわらず、彼女に怯む様子は一切ない。

 その気の強そうな眼差しといい、物怖じしない口ぶりといい、堂々とした態度といい、風格すら感じる。


「国王はここにはいない」

「嘘でしょ。国王が観に来るんじゃなかったの?」

「その情報は古い。以前は来ていたが、ここ何年も来ていない」


 彼女の真の目的が国王だと判明して、その場に一気に緊張が走る。


「悪いことは言わない。地面に剣を置くんだ」

「はいはい」


 やさぐれたような態度で長剣を放り捨てる。


「国王に会ってどうするつもりだった?」


 地面に落ちた長剣をルーカスが回収するのを目の端にとらえると、イリアスは数歩前進して彼女と対峙した。

 その様子を周囲が固唾を呑んで見守っている。


「国王と直接話がしたかった」


 彼女の後ろで一つに束ねた黒髪が風で揺れる。


「もし国王がこの場にいたとして、一般人、しかもお前のような外国人が気軽に話しかけられるわけないだろう」


 キンケイドが離れたところから口を挟むが、鋭い目で睨まれて後退りする。


「以前この大会で優勝した人に会ったことがあって、その人が国王から剣を授けてもらう時に話せたって言ってたから」

「それもこの大会が御前試合だった頃の話だ」


 この武芸大会が開催されるようになったのは、6年前のことで、国王が観覧していたのは最初の2年だけであった。

 大会優勝者に王の紋章が入った特別な剣を贈呈するという儀式自体は今も続いているが、王が会場に姿を見せることはなく、腹心であるイリアスが軍師となってからは彼に任せきりとなっている。


「君は何者だ。何を王に言うつもりだったんだ」

「何であなたに説明しなきゃいけないの?」

「それは私が王の代理としてこの場にいるからだ」


 護衛の兵士たちに槍を向けられて、彼女は面倒くさそうに溜息をつきながら、渋々口を開く。


「私の名は瑛璃エイリ。父は范慈ハンジ、アガルタ王国最後の王だった」


 その言葉に、一同、動きを止める。


「ーーなるほど」

 一瞬目を見開き、頷きながら続ける。

「それでは、私の名はイリアス・ギレンフォードで、華辰ホアチェン国の王子だ」


 イリアスの言葉に周囲から笑いが起きる。


 冗談だと思われたことに腹を立てたらしく、女はムッとして言う。

「王女だったというのは、嘘ではない」


「口先だけではどうとでも言える」


 アガルタ王国は、9年前にノルヴィスク帝国によって滅ぼされた、オルテア大陸東部の小国だ。

 遠い異国の話、しかももう滅亡した王国での素性など、わかるはずもない。

 いくらでも捏造できる。


「こんな売女がお姫様であるはずない」


 キンケイドがまた余計な茶々を入れたので、イリアスはルーカスに命じて彼をこの場から退場させた。


「では、仮に君がアガルタ王の娘だったとしよう。何を我らが国王に直訴するつもりだったのだ」


 自称・アガルタ王国の元王女は、小脇に抱えていた兜を両手で抱え直すと、イリアスの目をじっと見ながら言う。

「私の復讐に手を貸してほしい」


 その瞳に宿るのは、激しく燃える炎のような憎悪と、言い知れぬほど深い闇。


「私はミハエル・ソネンフェルドの首を父の墓前に供えたい。だが、ソネンフェルドに近づくためには私一人の力では無理だ」


 よく知った名前が彼女の口から出てきて、反射的にイリアスが眉を顰める。

「随分と物騒なお姫様だな」


 ミハエル・ソネンフェルドはノルヴィスク帝国の将軍であり、アガルタ王国を滅亡させただけにとどまらず、大陸の東側の国々を制圧して属国にしてきた名将である。

 ノルヴィスクでは女帝に次ぐ重要人物とされ、確かにおいそれと近づくことはできない。


 何事かと、観客席から決闘場アリーナに人が降りてきて、周囲が騒がしくなってきた。


「とりあえず、このままここで話はできそうにないから、場所を変えよう。申し訳ないが拘束させてもらう」


 イリアスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼の背後に控えていた護衛の兵士二人が素早く動き、女の両腕を掴んだ。

 彼女の持っていた兜が大きな音を立てて地面に転がる。


 多少抵抗するかと思われたが、多勢に無勢と判断したらしく彼女はあっさりと捉えられ、後ろ手に拘束された。


 イリアスは地面に両膝をついた状態で自分を見上げる彼女の顔に手を伸ばし、その頬にかかる後れ毛を耳にかけてやろうとしかけて、瞬時に手を引っ込める。


 歯と歯がぶつかるガチっという音がした。


「いい目だ」


 勝手に触れようものなら許さないと言わんばかりに睨まれて、イリアスは肩を揺らして笑った。

 そして、噛みつかれそうになった指をそのまま入退場口に向けると、笑顔のまま冷淡な口調で言い放つ。


「本部の私の執務室まで連れて行け」



(つづく)


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