第21話 タルト

 事務所の社用車は、車種なんかはよく知らないけれど、九人乗りと五人乗りの二種類があって、今乗っているのは五人乗りのほうだ。

 後部座席に座って、斜め前にいる早瀬さんの背中を見る。いつもは、早瀬さんがわたしの後ろにいるからこの角度はあまりない。


「……早瀬さん、運転できるんですね」

「えっ、あ……はい、高校卒業してすぐ、あったほうがいいかなって、免許取りました」


 そういえば車に初心者マークを貼っていた。

 運転もおっかなびっくりで、乗っていてどこか不安になる。


「そういえば、改めて星原さんの変装すごいですね」

「…………」

「え、なんで返事してくれなくなったんです!?」


 ミラー越しに、早瀬さんと目が合って気づく。

 いつもの習慣で、移動用の格好をしていた。

 帽子と伊達眼鏡。

 髪と目が目立つわたしは、この二つを隠すと存在感か消えるらしい。


「……なにか言いたいことありますか?」


 楽屋に入るときとかは、外すようにしていたのに。


「えっ、いや言いたいことは……その帽子、大きくないですか? ……ほとんど顔が埋もれてません?」

「…………別に普通の帽子ですけど」

「メンズのとか……ではないですよね? あれ?」

「世の中の帽子、大きすぎるんですよ」


 帽子の大きさは頭囲という頭の周りのサイズで合わせるのだけど、わたしは五十二センチ。これはお店に売っている帽子だと、一番小さいものでもサイズが合わない。


「……子ども用にしたらいいんじゃないですか?」

「はぁ? なにか言いましたか?」

「い、いえ……まあ顔がよく隠れているのはいいことですからね……」


 ムカつく。車移動なんだし、帽子はいらなかった。

 わたしは帽子も伊達眼鏡も横に置く。


「これで文句ないですか」

「文句は最初からないですって……」


 当然、顔に関しては難癖つけられることもない。自慢でもないが、これだけで人気になった顔である。


「……あれ、星原さん、髪まだ濡れてません? もしかして急いで出てきました?」


 早瀬さんは、顔以外のところでケチをつけてきた。

 髪? またこの人は……。朝は冷水シャワーだけだったけど、昨日の夜はちゃんとシャンプーだって使った。褒めてほしいくらいだ。

 ……早瀬さんに褒められても嬉しくないけど。


「別にいつも通りです。わたし、ドライヤー使わないから」

「え、なんで!?」

「……必要ないから」

「ありますよっ! ちゃんと渇かさないと髪が傷みますよ!?」


 胸の前にかかっていた自分の髪を軽くつかむ。しっとりとしているけど、びしょびしょということはない。


「ちゃんとタオルで拭いてます」

「いやいやいやっ、もっとちゃんと渇かして――……ドライヤー使えないんですか?」

「バカにしてますか?」

「決して、そんなことは!!」


 さっきから腹が立つことばかり言われている。

 わたしは仕返しにネチネチと早瀬さんの問題点を指摘しようと思ったが、それから直ぐに目的地へ着いてしまった。

 朝だから、道路も空いていたんだろう。


「…………っち」


 駐車場に車を止めて降りる。

 撮影場所の洋菓子店に向かうと、スタッフの人たちは既に準備を始めているみたいだ。

 挨拶と現場確認で早瀬さんについて行くと、カメラマンの一人が話題のタルトや他のケーキを単品で撮影しているところみたいだった。

 一通り回って、しばらくロケバスで待っているよう言われる。さっきの駐車場に止まっていた大きい車だろう。

 早瀬さんが「一人で待ってますか?」と聞いてくるのを「一緒に来て」と引っ張る。

 撮影の段取りを確認するとか、マネージャーの早瀬さんは残ってやることもいくつかあったかもしれない。でも「来て」と言うと黙ってついて来た。


 ロケバスというがバスというよりただ普通の車が大きくなった感じで、スタジオの外での撮影ではよく使われる乗り物だ。

 このロケバスの中でメイクしたり、待ち時間を過ごしたりする。


「え、私も入るんですか?」

「いいから」


 一番後ろの四人用の座席に早瀬さんを押し込んで、また二人きりになる。


「桜さんに会わせてください。会わせてくれないなら、仕事はしません」

「えええぇっ!? いやいやいや、今日の仕事は違うじゃないですか。星原さんが嫌なことなんてなくて……むしろケーキを食べるっていう、星原さんにとっても楽しい仕事ですよね!? どうして天雨桜にっ!!」


 まるでわたしが仕事を嫌がるなんて想像もしていなくて、油断していたんだろう。

 えらく大袈裟な反応に、やっと本来の目的を進められるとわたしはほっとした。

 もちろん、表情には不機嫌さを隠さない。


「…………あれ、小さくかったですよね」

「え、何の話ですか?」

「タルトのことです」


 カットされたタルトは、わたしの手の平に載るくらいの大きさだった。

 上に乗ったフルーツも、断面に見えるダマンド生地とクリームの層も、美味しそうではあるけれど……。


「小さすぎます。あれじゃ足りません」

「……朝ご飯あれだけ食べたのに」


 事前に聞いている話では、わたしが食べるのは一番話題になっているタルト一種類だけだ。すべての商品食べ比べだったらよかったのに。


「いいんですか? あれだとわたし、二口ですけど」

「二口!? ダメですよっ! アイドルの食レポですよ!? もっと小分けにして食べてくださいっ!」


 わたしだって食レポ自体が初めてなわけじゃないから、そんなことは言われなくてもわかっている。でも不服さを隠さずに「ありえない」と態度に出して早瀬さんに言う。


「…………じゃあわかりますよね?」

「あの、お土産用にホールでタルトもらえないか確認しますから……他のケーキも……」

「それは仕事が終わったあとの話ですよね。わたしはもう仕事をやる気力がないんです」

「…………タルト、美味しそうでしたけど」


 そんなことはわかっているけど、そうじゃない。


「あの小さいタルトでわたしに仕事をしてほしいなら、桜さんに会わせてください」

「そ、そんな無茶苦茶なっ!!」

「いいんですよ。別に、わたしは家に帰って、母にケーキを焼いてもらっても」


 無茶苦茶だろうと、わたしに逆らうことは許さない。


「待ってください! だって場所がないです……えっ、まさかここ!? ロケバスの中は無理ですって!!」

「大丈夫です。後ろの方なら外から見えません。それに、ここで着替えるときだってありますよ。カーテンもあるし」

「いやいやいや……楽屋と違ってロケバスはさすがに……」


 毎度の早瀬さんの態度に、わたしは深いため息をついた。


「もう何度目ですか? いい加減、毎回もったいぶってなにがしたいんです。どうせ、逆らえないのわかってますよね?」

「…………そんな正面から私の自由が奪われることってあるんだ…………」

「早瀬さんが選べるのは会わせてわたしに働かせるか、会わせないでわたしが働かないかの二択です。これ以上の自由がないって理解してください」

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