第22話 ロケバス

 早瀬さんをクビにすることは簡単で、同時に早瀬さんがクビになっても構わないって態度に出たらわたしもなにもできなくなる。

 だけど早瀬さんが、少なくとも自分からはマネージャーを辞める気がないってのはわかっていた。


 どうしてマネージャーなんかやりたいのか。

 わたしは知っている。アイドルだったときの桜さんを。

 桜さんは、心からアイドルとして楽しんでいた。

 それなのに。


「わかりました……」


 早瀬さんが観念する。

 理由はわからないけど、マネージャーを続けるなら早瀬さんは私に絶対服従するしかない。だから、わたしのワガママに従って、おとなしく桜さんに会わせる以外ないんだ。

 挙動不審ゴマすり女め、いい様だ。

 ただ一つ問題がある。

 ここがロケバスだということ。早瀬さんみたいに、誰かに見られるんじゃないかとかそんなことは心配していない。


「……奏歌、どうした? なんか、いつもより身構えてねぇか?」

「さっ桜さんっ!」


 相変わらず、この切り替えようだ。


「…………別に、身構えては…………」

「だったら、もっとこっち来いよ。そんな端に寄るなって」


 ロケバスは狭い。

 早瀬さんとの移動に使った社用車と比べたら大きいけど、楽屋なんかと違って、こうやって桜さんと並んでしまうと…………。


「ぴゃうっ!!」

「…………なんだその可愛い鳴き声?」


 桜さんが間近すぎるし、逃げ場もないし。

 落ち着け、わたし。

 いつもローテンションで感情がないって言われているんだ。これくらいどうってことない。無表情、無表情。

 普段は、自分がどんな顔をしているかなんて考えていない。

 無理に笑おうとか、そういうのをしないだけで。

 だから…………逆に、無理して表情を隠すなんてのも。


「顔真っ赤だな。奏歌は白いから、すぐ赤くなる」


 桜さんが、わたしのあごに触れて軽く持ち上げてくる。自分でも真っ赤だってわかる顔をじろりと見られて、もっと赤くなる。

 あごクイだ……っ。あごクイってされてる、わたしっ!


「ははははっはやっ! はやっ!! 桜さんっ、こういうのは……ダメだって言ったじゃないですか…………」

「はぁ? 俺は俺がやりたいようにやるだけだ」

「で、でも、ボディタッチは、ダメだって思うんですよ……アイドルが気軽にこういうの……」


 桜さんがアイドルに戻るのがわたしの目的だから、アイドルらしくない行動の常習化は看過できない。非公式プロデューサーとして、わたしがちゃんと注意しないと……。


「ボディ? 顔だろ?」

「へっ、……屁理屈っ!」


 桜さんわたしの文句を無視して、あごから手を離さない。まずい、このままじゃまた正気を失ってしまう。

 桜さんは憧れの人で、わたしは下心しか持っていないファンじゃないんだ。もっと毅然と、節度ある距離感で接しなくては……。


「いいですか、桜さんは……たしかに俺様系で、ちょっとそういう過激なファンサービスがあってもおかしくないキャラだと思いますが……」


 参加したことはなくても、遠くから桜さんの特典会はいつも見ていた。

 あっても握手くらいで、こういう露骨なことは……もし当時からこんなことしていたら、桜さんがもっと人気アイドルになっていたかもしれない……。

 そうだったら、引退なんてこともなかった?


「で、でも、ダメです」


 桜さんがわたし以外にこんなことしているの見たら、それこそ正気でいられない。プロデューサーとして、公私を混同するつもりはない。でも、ダメなものはダメ。

 わたしの訴えが通じたのか、桜さんの手があごから離れる。少しだけもったいない気持ちもあったけど、これでいいんだ。


「なあ、奏歌。いつも顔洗うとき、なに使ってる?」


 そしたら、直ぐに桜さんの細くて長い指がわたしの頬をなでた。


「ななっ、なにって……石けん、ですけど」

「石けんって体洗うときに使ってるやつか?」

「は、はい」

「顔洗うときは、ちゃんと洗顔用の使えよ」

「…………でも、わたし、全然ニキビとかできないですよ? だから別に……」

「いや、ダメだっての。奏歌、肌弱いんだろ? 特に気を遣えって」

「日焼け止めはいつも塗ってますけど」

「関係ない……日焼けと洗顔は別の話だ。いいか、顔と体じゃ同じ肌でも肌質が違うんだから、使い分けてちゃんとケアしろ」

「…………そういうもの、なんですか」


 わたしのこと、心配していってくれているんだろうか。肌が弱いからって。


「それから、髪も」

「か、髪はっ……石けんはもうやめて、シャンプーにしてますよっ」

「コンディショナーは?」

「…………まだ、これからですけど」


 あれ、おかしい。

 わたしが桜さんにアイドルとしての間違いを指摘するはずだったのに。

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