第3話 マネージャー流交渉術

「やる気なくなった……もう帰るから、あとよろしく」


 星原奏歌が立ちあがって、部屋を出て行こうとしている。

 んん? 帰るって、嘘、なんで!?


「待って待って! ダメですよっ! まだ収録が残って……」

「知りません。眠くなったんで帰ります」

「眠いって食べ過ぎが原因じゃないですか!? あっ、そうです! 次はちゃんと星原さんの好みの食べ物を買ってきますからっ! ですから、ねっ、好みを教えてくださいよっ!」

「好みじゃないのは、マネージャーなんで」

「…………え?」


 あれ、私のこと嫌いって言っていない?

 さすがに、これは……気のせいじゃないよね?

 担当アイドルにほぼ初対面から嫌われて、それを理由に仕事までバックレされそうになっている…………これって、マネージャー初日として終わってませんか?

 このままだとクビってことになんじゃ……。


 困るって! 聞いてた話と違うとは思っていたけど、それでもクビにされたら困る。だって私には借金があるんだよっ!

 借りている相手は家族だけど(大変情けない話、株式投資でボロ儲けしている妹に泣きながら借りた)、大学卒業までには返すって約束している。


 時給は高ければ高いほどいい。

 そんな中でアイドルのマネージャー、なんと時給三千五百円!

 マネージャーと言っても任されるのは付き添いとスケジュール管理だけ。

 正直、アイドル業界って……とできれば避けたかった。大学生がマネージャーってのも…………でも時給三千五百円。金が腐ることはなく、輝くような金額。


 それだけもらえれば、正直ちょっと怪しい仕事でもしないとどうにもならないんじゃ……と思っていた借金返済と生活費の工面がなんとかなる。

 紹介してくれた事務所の社長にも『可愛い女の子の付き添いで楽して儲かる最高の仕事だよ』と背中を押されて、疑いながらも結局マネージャーになったわけだった。


 …………あれ、やっぱり騙されている?

 しかし担当アイドルがイメージと違うからと言って……時給三千五百円を逃すことはできない……だって借金返済と生活がかかっているんだよっ!!


「星原さん、考え直してください。……私に不満があれば、改善しますから。気軽になんでも言ってくださいよ~あはは」


 人気アイドルとはいえ、星原奏歌は高校生で十五歳。

 三つも年下の相手に媚びへつらう私……でも相手は人気アイドル、私は新人アルバイト。

 へっへっへ、妹よ。これが借金を返すために必死に働いている姉の情けない姿だ。靴でも舐めようか。


「不満……まず、その服はなんですか。着ないでください」

「スーツのなにがダメだとっ!?」


 大学の入学式でも着たスーツだ。

 服装の指定はなかったけれど、大学生の私がマネージャーをやるんだから、子どもっぽく見られないように気合いを入れている。


「あとは顔……髪型……」

「私の首から上が不満ってことですか……」


 そりゃ星原奏歌と比べたら、私の顔なんてたいしたことない。でもけっこう整っている方というか……ぶっちゃけ私、可愛いほうだよね?

 髪だって伸ばして、ちゃんと女の子っぽくしている。前髪はちょっと長めだけど、目つきが悪いから隠したくて。


「首から下も……そもそも存在……魂からして違う」

「魂が違うって……どういうこと!?」


 あれ、私そのものが否定されている?

 お前には価値がない、そう言いたいんだろうか。

 マネージャーとして? それとも――……いや、価値なんて、そんなもの……自分でもあるとは……。

 誰もが星原奏歌みたいに、世間から求められているわけじゃない。


 もはやなにをどう改善したらいいのかもわからないが、とにかく全てをダメ出しされた。……どうしよう、改善するって言っちゃったけど無理だ。

 でもこの場はなんとかやり過ごさないと。


「……星原さんの不満については承知しました。改善に向けて努力します。なのでどうか帰らないで、残りの収録もがんばってもらえませんか?」

「…………嫌です」


 無慈悲すぎるっ、私になんの恨みが!?

 バイトをクビになるだけならまだいい。いや、本当に困るけど、またアルバイトを探すしかないわけで……。デビルハンターになろうかな……。


 でも、それだけの話で済むのか?


 人気アイドルのソロデビュー曲。

 関わる人間も売れっ子揃いで、収録を別日に撮り直すのは簡単なことじゃない。時間もお金もかかる。予定だって直ぐに抑えられるかも怪しい。

 曲の発売までこの後もスケジュールが詰まっていて……。


 万が一にも発売予定日がズレることになったら――昨日、事務所で社長に言われるままサインした書類の中には業務上の過失によって生じた損失は請求する場合があるとかなんとか書いてあったような……え、これって私の責任になることないよねっ!?


 それなのに、彼女の手が、ドアノブをつかんでいる!


「その――……交換条件にしましょう! 私にできることなら、なんでもします。だから星原さんも収録をしてください」


 思わず、とんでもないことを言ってしまった。

 なんでもって、そんな。


 でも所詮相手は高校生の小娘だ。

 たいしたことは要求しないだろうから、なにを言われてもとりあえず「わっかりましたーっ。できるだけ早くご要望にはお応えするので、星原さんも仕事お願いしますね」と勢いで乗り切ればなんとかなるはずっ!


 まあ、ブランドものとか? そんなもの欲しがられたら、あとで社長に泣きつけばいいよ!

 けれど、立ち止まった星原奏歌から返ってきたのは、想像もしていない言葉だった。


「じゃあ、男を紹介してください」


 え、なんて?

 男を紹介って!? アイドルに、男を? ちょっと異性関係がチラつくだけで人気に影響して、まして彼氏バレでもしたら炎上必須の人気アイドルに男を紹介しろって?


「絶対無理だよっ!!」


 つい全力で拒否してしまった。ノーが言える新人アルバイトだ。

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