第2話
「お疲れ様」
俺は重厚なスチール材のドアを開けながら挨拶の代わりに言った。防音室で声を発した為、自分の声は少し籠って聞こえた。
「あ、先輩お疲れ様です」
「先輩お疲れ様です」
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
中学生の後輩バンド、「
俺と由衣が部室に入ると、メンバーの一人である
「マーシャルとキューブだけでいいですよね?」
マーシャルとキューブというのはそれぞれアンプやスピーカーを作っている会社の名前だ。そしてこの学校ではマーシャルアンプはギター用、キューブはキーボードとマイク用となっている。
………ただ、一つ疑問がある。何故その二つだけでいいと思ったのか。
本来バンドというのはボーカル、ギター、ベース、ドラムで構成されているものだ。どのグループを見てもこれらは絶対としてある。その中でベースとドラムの準備はしなくても良いと思ったのは疑問だ。
「あぁ、いいよ」
俺は口から出かけた疑問を胃に押し戻して返事をした。
「了解です」
畏まりました、と少し指を丸めた右手を額より少し右に置いて子供の様に無邪気な笑顔で言った。メンバーは、湊の一言でドラムを奥に履けベースアンプを棚に仕舞った。
「ありがとう」
ギタリストとベーシストはそれぞれギターとベースを肩に掛け、ドラマーはバチを袋に入れ鞄に詰め込んだ。
「お疲れ」
俺がそう言うと、湊は近づいて来て小声で言った。
「そういえばですけど、先輩のバンド、中学で『カップルバンド』って言われてますよ」
「………はぁ?」
俺は思わず呆けた声が漏れた。よくアニメとかラノベとかでは主人公かヒロインが顔を赤に染めるなんて言う演出になるのだろうが、俺の心とやらの中に生まれた感情は呆れ、ただそれだけだった。
「まぁ確かに男女二人は………ソレですよね」
「……………はぁ」
俺は大きな溜息を吐いた。あのなぁ、と言いかけたが辛うじてその言葉は先程の様に胃の中に入れ直し、あの異臭の放つ酸性の液体に溶かした。
「まぁ、別に言っててもいいんじゃない」
俺は諦めた言い方で言葉を放つと、湊は苦笑いをした。
「先輩ですね」
湊は後ろ向きで大きく腕を振りながら早足で帰って行った。「躓くなよ」と大声で言うと「は〜い」と緩い返事をして階段を降りると姿は見えなくなった。
「………にしてもなぁ」
俺は誰に問うわけでも無く呟いた。その乾いた低音は誰もいない寂しい廊下に吸収され消えて行く。
「はぁ……」
俺は再度溜息を吐いて、部室の重いドアを開けた。
「どうしたの」
俺が部屋に入ると由衣が聞いてきた。俺は由衣の推理力を重々に知っている為、素直に事実を少しだけ言うことにした。
「いつもの話だよ」
そう言うと、由衣は「ふ〜ん」とだけ言って、素っ気ない顔でナイロンで出来たギターケースから中学校の頃から見て来たストラドキャスター型、つまりよく見る見た目で黒の淵に少し暗い緑のボディのギターを取り出した。そのカッコ良い見た目のギターを肩に掛けると振り返って僕の方を向いた。
「まぁ、いいんじゃない?」
やはり由衣もそう思うか。なら気にする事でもない。俺は一言だけ言って準備に取り掛かった。
「そうだな」
俺はXの字型のスタンドを少しだけ高さを変えて二台縦に続けて立てた。その上に俺のキーボードとシンセサイザーを置き、ケーブルを繋げ、電源を付ける。因みにだが、キーボードはRolandの『JUNO-D8』でシンセサイザーはRolandの『JUNO-DS61』だ。両方Rolandなのは唯の俺のこだわりだ。キーボードとシンセサイザーにシールドというケーブルの様な役割を持つ線を繋げ、ミキサーに持っていく。これも説明になるのだが、ミキサーというのは複数の楽器を一つのアンプやスピーカーに繋げる為だったり音量調節の為に使う、人間で言う肺位には重要な機材である。
俺は一度作業を辞め顔を上げる。すると、もう作業が終わっていた由衣と目が合った。整った見た目の色白な肌はほんのりと赤みがかっている。由衣は目だけ横にスライドさせ小さい声で呟いた。
「もう付き合ってるんだし……」
「まぁね」
今更ながらの話になるのだが、俺は由衣と付き合っている。今になって見ればだが、中学からとは言えこんなに関わりが深いと多少の恋情が生まれるのも普通で、付き合ってない方が可笑しいのである。唯一疑問があるとしたら俺なんかで良かったのかと言うことくらいだろうか。
由衣はドンドン顔を赤くしていき、遂には顔を手で覆った。
「あははは」
俺は普段の清楚姫とは程遠い態度になっている由衣が可笑しく笑っていると、覆った手の中から声が絞り出される様に出てきた。
「………なんで恥ずかしくないの………?」
確かに今の俺は恥ずかしくない。でもそれも由衣のお陰だ。
「由衣だから、かな」
すると、今度はしゃがんでしまった。
「………誑し」
「えぇ……」
「…………もう」
「ごめん」
「謝って欲しい訳じゃない」
由衣に誑しと言われてから10分程経ち、やっと気持ちが落ち着いた様子の由衣は不機嫌そうに言った。俺は一応謝ってみたが由衣がこんなことを求めていないのは知っていた。案の定、由衣からは違うと顔をふいっと逸らされてしまった。
「じゃあどうすれば良いんだ?」
俺は分かりませんとばかりに両手を上げると由衣は座っている為、上目遣いで見てきた。椅子の上で三角座りをしているので角度によっては少々危ないなと思いつつ、見た目と相まってそのままでいて欲しいなんて言う自分の下らない思いが由衣への指摘を止めた。
「………じゃあ……」
由衣は少し溜めを入れた。
「…………久々にアレ、ヤって欲しい」
「……アレって?」
俺が訝しげに聞くと少し笑顔になった。
「アレだよ、アレ」
俺は大きく溜息を一つついて言った。
「どうしてお前の言い方はそんなに卑猥なんだ」
そう言うと、えへへと小悪魔みたいな苦笑いをした。
「っん///…………ぁあ゛///」
「……………これでいいか?」
「………っ//♡………いいよ……//♡♡」
「………」
「お゛ぉ゛♡♡♡」
「いちいち声を出すな!!!」
俺は手の動きを辞めた。
「だってぇ………///」
由衣はトロンとした表情でこちらを見てくる。幾ら誰も居ないからとは言えどその顔は人に見せては行けないレベルに妖しいものだ。高校生にしてアイドル並みの美形を持っている彼女の艶かしい表情は正直を言ってしまえば俺ですら少し動揺をしてしまう。
俺はもう耐えかねないと思い事実を言う事にした。叫びながら。
「肩揉んでるだけだろ!!」
………そう。先程から文体に問題を問われそうではああるが、イヤらしい行為なんて一切していない。
と言うのも、由衣の胸部にはまぁそれなりに立派な膨らみがある。それ故に肩が凝りやすい。
付き合って一ヶ月経った頃だっただろうか。お互いに自分の意見を言い合える様にになったので、由衣に何か手伝えることはあるかと聞いた時に肩が凝ってるなんて冗談を言い出したのが始まりだ。その時の俺は結構真面目に聞いたので本当に些細な悩みを言われて思わず吹き出してしまった。
因みにだが、彼女の肩の凝りは結構酷かった。記憶の中では由衣が初めて異性の肩を揉む相手なので、その時はそこまで酷く凝っているなんて思ってもいなかった。いざ揉んでみると、それこそスポーツ選手の太ももの筋肉みたいに硬い僧帽筋に当時の俺は馬鹿みたいに驚いた記憶がある。
で、それから定期的に肩を揉ませられる様になった。揉んだ後に毎回必ず「楽になった」と少女の様に喜んでいる為、こちらも悪い気はしないのだが、肩を揉む度に艶かしい声を出すのだけはやめて欲しい。
まぁそんなこんなで肩を揉むのも終わり、俺は座っている由衣の肩に置いている手を離した。
「はい、終わったぞ」
「ありがとぉ」
そんなに気持ちが良かったのか、未だ声が少しフワフワしている。
俺は時計に目をやった。もう時計の針は7時に差し掛かっていることに気づいた俺は由衣の正面の席に座って少しバリアブルなWindows10を開いた。まぁ使うか分からないが。未だ由衣はフワフワしているのでコツンとおでこを小突いた。
由衣はハッと我に帰った様な仕草をし、可愛らしくピシッと姿勢を正した。
「コードはできてるから、メロディ作りを手伝って欲しい」
音楽の根底であるコードはある程度完成させている。しかし、それだけでは当然意味を成さない。それぞれの楽器がメロディを奏でる必要がある。と言うことで、由衣にギターのメロディ作りを手伝って欲しいと思ったわけだ。
俺は両手を合わせ頭を下げた。すると直ぐに返事が返って来た。
「いいよ」
由衣は快く受け入れた。可愛らしい笑顔付きで。
「ありがと」
俺は頬を緩ませた。
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