第3話

 引き締まった表情に戻った由衣はシールドを取り付けていないセルダーのストラドキャスターのストラップを肩に掛けると、そのまま向かいの席に座りギターを脚に乗せた。

「コード、どんな感じ?」

 そう聞かれた俺は椅子から腰を上げキーボードの前にまで行き、鍵盤に指を置いた。そして俺はミ、ソのシャープ、シにそれぞれ右手の親指、中指、小指をそっと置き、アルペジオと言う音をタラランと素早く一つずつ弾く誰でもお洒落にさせることが出来る演奏方法で鍵盤を押し込む。

 ピアノより幾らか軽いキーボードの鍵盤は俺の心の何処かで物足りなさを感じさせていた。

「まずは、E」

 俺がそう言うと由衣はギターのヘッド近くのレッグに手を置き、左手を丸める様に弦を押さえ、右手で持っている黒色のピックで弦を弾いた。すると、アンプに繋げていないエレキ特有の軽い音が僅かに響いた。エレキというのは案外響かないもので、何も接続していない時のエレキはアコースティックギターよりも響きが悪い。

 俺は鍵盤を撫でる様に指を滑らせ、中指で押していたソのシャープと小指で押さえていたシをそれぞれ親指と中指に変え、余った小指で先程のミより1オクターブ高い位置のレのシャープを押す。すると、今度はG♯mコードという少し暗い印象の音が先程のEコードと相まって心地の良い音になった。

「次はG♯m」

「ほうほう……」

 由衣は何かを考えながらギターの弦全てを中指で支えながら人差し指で押さえ、余った薬指と小指で2本の弦を押し、再度上から下へ弦を弾くダウンピックという技法で弾いた。そしてギターの軽い音もキーボードと同様に心地の良い奏を調べた。

「そしてA」

 今度は今置いている鍵盤を全部半音ずつずらし、中指だけ更にもう半音上げて押した。G♯mとは打って変わって明るい印象に戻り楽しげな感情を感じさせる。

「Aね……」

 由衣はまた指を丸めて窮屈そうに弦を押さえ、明るい音を奏でる。

「で最後はF♯m」

 俺は親指のラの音と中指のドのシャープの音を入れ替え、余った親指でファのシャープに指を置いた。

「2回目の時はさっきの音をBに変えるって感じのを2回。あ、最後はF♯m7ね。イントロはそんな感じかな」

 F♯m7というのは先程のF♯mに7音目であるミの音を追加した音のことを言う。悲しい様でそうでもない、そんな独特な音を作る際にセブンスコードがよく使われる。

 終わりと言葉を止めると由衣は確認の様な質問をした。

「じゃあキーはEってこと?」

「そうなるね」

 キーというのは音楽を作ったり弾いたりする上で一番重要な要素とも言える、音楽の構成の基本となる音階の事を言う。例えばCキーならば、皆も知っているであろうドレミファソラシドだ。ギターなどでドの音をCと書く事があるのだが、アレはキーの最初の音を意味しているのだ。それを踏まえると、Eキーのスタートはミの音になり音階はミファ♯ソ♯ラシド♯レ♯ミとなる。何故そうなるかはこの小説を読むんじゃなくてネットやら楽典で調べて欲しい。意外と説明が大変なのだ。まぁ説明が出来ない訳でもないが。

 因みにだが、この理論で行くとAはラになる。理由は古代の音楽の一番低い音がラだったかららしい。

「ほぉ、分かった」

 由衣はギターを弾きながらそんな返しをした。

「E……G♯m………A……F♯m……E……G♯m……Aからの……Bね………」

 由衣はコードを口にしながらギターの音を静かに鳴らしている。その音は初見のコードを読んでる人とは思えない程安定していた。

 由衣は小学校の頃から彼女の透き通る綺麗な声を主軸にアコースティックギターの弾き語りを行っていたらしい。前に由衣に小学生の時の演奏を見せてもらったのだが、小学生とは思えない整った顔とハッキリとしていてストレートに歌う彼女の声は今とはまた違った魅力と懐かしさを感じたのをよく覚えている。

 後、その時に由衣が黒歴史だと顔を覆っていたのも記憶にある。

 俺が記憶に耽っていると、由衣は突然コード演奏を辞めた。

「太輔、ちょっとお願いがあるんだけど」

 由衣はギターを抱き締めるながら俺にお願いとやらを言った。

「一回ギターのメロディ弾いてみるから合わせてくれない?」

「もう出来たのか?」

 俺が聞くと、ドヤ顔で由衣は答えた。

「いや、ノリ」

「ノリかよ」

 俺が突っ込むと二人は吹き出した。あまりにいつもの風景過ぎて笑えて来る。高校になっても変わらないのだなと。

 俺は笑い疲れたと溜息を吐いた。

「合わせるか」

「そうだね」

 賛同の言葉を交わすと、由衣は放置されているシールドを手に取りギターに繋げた。電源を切られているアンプを点けボリュームなどの調整をした後、マルチエフェクターと言うギターの音に変化をつけるエフェクターの効果を全て集約させた機材を取り出しそこでも調整をした後に軽く音出しをする。すると、何も付けていない時の軽い音とは違い、バラードのリードギターの様な広がりの感じる音に変化した。

「よし、じゃあやるよ」

「了解」

 由衣が口を少し大きく開く。

「1、2、3、4」

 由衣のカウントアップで俺らは同時に音楽を始めた。カップルをやってるからなのか、将又バンドマンだからなのか。演奏のタイミングはバッチリだった。

 イントロなので歌う場所はないので、代わりにギターがメロディを奏でる。由衣の優しいギターのメロディはそれだけでも十分と言いたくなる程心地が良いので、そのメロディの心地良さを維持させる為に、俺は直ぐにキーボードの音を少し籠った印象を与えるピアノの音に変えて左手の指を流す様に弾きながら右手でコードを弾く。ゆったりしたテンポのイントロは何処と無く自然な朝を彷彿させる。

 俺は何度か由衣に視線を送る。由衣はギターに集中して弾いているという何度も見てきたこの光景に頬が緩んだ。俺は由衣の微妙に変わるテンポに合わせながら優しい音色の支えになった。

 ギターの一音が最後に響くと、俺らは目が合った

「完璧じゃん」

 由衣が最初に口を開いた。由衣は感情が分かりづらい目を輝かせて気持ちの感じない声を僅かに弾ませているのが中学からの付き合いで分かる。

 実際、今の演奏は即興と思えない位に綺麗で穏やかで、由衣の声に合いそうな調べだった。

「イントロはこれでいいな」

 俺が由衣に確かめる様に呟くと由衣は「うん」と力強く言った。


「……もう7時半か」

 俺は壁に張り付いている丸い時計に目を遣ると、由衣も時計に目を向けた。

「…そうだね」

 横目で見た由衣は楽しかったイベントが終わり寂しい想いになっている子供の様に見えた。

「楽しかったな」

 俺は視線をもう一度時計に戻し、由衣に向かって呟いた。

「え?」

 見えてはいないが多分キョトンとした顔で此方に顔を向けたのだろう。なんと無く髪に息が掛かった様な気がする。俺は首を横に捻ること無く同じ事を再度言った。

「今日、楽しかったなって思って」

「……うん、楽しかった」

 由衣の声は心無しか少し弾んでいた。

「よし、帰るぞ」

「そうだね」

 俺らは放置気味にされている道具を仕舞い始めた。まずアンプや機材の摘みを全て0にして電源を切り、繋げてあるシールドを全て外す。シールドはロープの様にぐるぐると円形に巻いて棚の中に仕舞った。それと同時にアンプも棚に仕舞う。最後に自分の楽器を片付けたら終わり。

 由衣はギターが中に入っている黒い樹皮製のギターケースを担いだ。鍵を閉め職員室に返し、俺らは並んで学校から出た。

 帰り際、由衣は少しキョロキョロと周りを見渡した後俺の手を触れた。

「ん?どうした?」

 俺は何となく分かっていながらも聞いた。由衣は顔を紅に染め、でもそれを誤魔化す為か力強い目で俺を暫く見つめた。

「手、繋いで」

 由衣は少し甘えん坊な所がある。その事は付き合ってから分かった事だ。俺は由衣の華奢な手を優しく包む様に握る。

「知ってた」

「あ、癖出てる」

 由衣曰く、俺はよく癖で予測できていた事を知ってたというらしい。自分でも直さないとなと思いながらも思った様に直らない。癖と言うのは直りづらいものだ。

「ごめん」

 俺が謝ると由衣の頬が緩む。

「別に謝らなくていいよ」

「ご………いや、ありがとな」

 つい謝ってしまいそうになるのをグッと堪えて感謝の言葉に変えた。

 由衣は謝られるのが好きじゃ無いらしく、俺が謝ると逆に怒る時がある。その癖も直さないとなと心の中で呟いた。

「うん」

 由衣は母性溢れる優しい笑顔で俺を見つめる。


 今日の帰りは俺も気分が良い。

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