88の波が鳴る
夢炎(姓黒丸)
第一章 花鳥万象
第1話
「ねーねー」
俺はいつもの様に楽器の準備を進めていると、突然後ろから声をかけられた。声の主は俺の同級生で唯一のメンバーである
「
由衣は本当にそれで良いのかとでも言う様に聞いた。しゃがんでいる為、膝を抱えて前屈みになっている由衣の顔が陰になって少し見づらいが、光に満ちた目には他に言葉がない位に真剣だった。
俺が立つと前屈みだった由衣も真っ直ぐに立った。
「俺は支えだから」
そう言うと、由衣は呆れた様に口を開いた。
「それしか言わないじゃん」
俺は「あはは」と軽く苦笑いをすると由衣は棚にあるマイクを取ってマイクスタンドを置いた所に向かった。
俺は追加する様に言葉を続ける。
「それに、由衣の声は綺麗だしね」
由衣は少し止まったが、直ぐにマイクにマイクシールドを付けアンプに接続させ音量の調節を始めた。もう3年もやっている作業だからだろう、その動作は流暢で慣れていた。「あー」と少し声に出した後、ボリュームのつまみを回す。この動作を数回行い、声のコントロールをする。
マイクの調整が完了し、スタンドに取り付けると由衣は俺に向かってマイク越しに言った。その顔は僅かに膨れていた。
「………ありがと」
遡る事三日前、俺らは高校1年となった。と言っても中高一貫校なので生徒は見慣れた面子なので何も思わない。周りもそんな感じなのか生徒感の雰囲気が中学校とまるで変わらない。少し騒がしいなと思い、ワイヤレスイヤフォンをスマホに接続し耳に装着する。装着した後、スマホの左端にいる定額制音楽サービスのアプリを開き、バラード曲を流した。落ち着いた曲調とは対称的と言っても過言ではない程に過激な歌詞に新鮮さが、幾らか周りの煩さを和らいでくれた。その為か徐々に瞼が重くなっていった。
そんな時、後ろから突然肩を叩かれた。寝かけていた俺には落雷音を耳元で流される位には驚き咄嗟に振り向いた。そこにはシルバーグレーの艶のある髪の毛が肩までストレートに伸ばされ、上品な雰囲気を醸す中学から同じクラスの花江 由衣がいた。
由衣はこの時期には少し寒い位には冷たい態度で俺に挨拶をした。そう言えば学校ではそれで居るんだった、と思い出した。
「おはよう」
「あぁ………おはよう」
俺はイヤフォンを外す。
由衣は俺の隣の席に座り、鞄から教科書やらの荷物を取り出した。
準備が終わったのか、由衣は鞄を横のフックに掛けこちらに体を向けた。その瞬間に冷たかった態度がふっと柔らかくなった。表情は変わらないが。
「新曲できた?」
雰囲気が柔らかくなった由衣は俺にそんなことを聞いてきた。
由衣とは中2の時からバンドを組んでおり、オリジナルの曲を4曲持っている。特に去年作った『カンパネラの声』は文化祭で非常に良い評価を受けた。聴衆の中には声に感動したのか、歌詞やメロディが刺さったのか、或いはは両方か。涙を流していた生徒も少なくなかった。そして、その評判の良い『カンパネラの声』や他3曲の作曲をしたのがこの俺だ。当時からバンドは俺と由衣だけだったのでそれぞれに担当を設ける事にしており、俺は作曲で由衣は作詞を担当している。
俺は横に手をパタパタと振りながら言った。
「いや。コードまでしか考えられてない」
作曲と言うのは実にシビアなものだ。途中まで良い曲だと思っていても気づけば中途半端なものになっていたりする。良いなと思ったフレーズを繋ぎ合わせるだけでできる様なものでは無い。しっかりとした順序で作っていかないと直ぐに粗悪品になってしまう。
「そっかぁ」
由衣は何か考える様に顎に手を当てる。
「あっ」
少しすると、由衣は何かが思い付いたのか顎に当てていた手を外した。
「今日シフト空いてたっけ」
そう聞かれた俺はスマホを取り出し流していた音楽を消した後、中高共有のシフトを確認する。今日は木曜日なのでその項目を見ると、17:30〜19:30までの放送室という項目が空いていた。
「後半の放送室なら行けるぞ」
すると由衣は少しだけ頬が緩んだ。
「分かった」
酷く退屈な学校も終わり未だシフトまで時間があるので、俺は教室でカロリーメイトを静かに食べていた。家に帰っても母親は夜勤でいないので、ただ寂しい思いをするだけなのである。後、一旦帰った後だと普通にシフトに合わなくなるので教室で待機をする以外の手段が無いのである。
と言っても教室にも誰もいないので少し寂しい。一人が使う部屋にしては広すぎるので色々と物寂しい思いをしていた。
そんな時、後ろのドアの開く音が教室に響いた。後ろを向くと、何故か少し嬉しそうに頬を僅かに上げている由衣が立っていた。
由衣は基本的に表情が変わりにくく、周りからも感情がないなんて言われているが、俺は軽音での経験で由衣の美顔の微妙な変化を読み取れる様になっていた。そして今回は、周りから見ても分かる位に頬が緩んでいる。何があったのだろうか。
俺は口の中に含ませていたカロリーメイトを飲み込み、パサパサになった口に違和感を覚えながら由衣に話しかけた。
「どうした?」
俺が聞くと由衣は答える訳でもなく、ただ俺に確認をする様に言った。
「初めてだね」
「何が」
「何だろうね」
由衣は揶揄う様に言ったので、俺は呆れた様にため息をついた。
彼女は学校にいる時、或いは特別親しい仲ではない人と話す時は『清楚な姫』として過ごし、俺などの何でも言える様な仲になった間柄の人間にはこんな感じで自分を曝け出している。よく勘違いされているのだが、由衣は全くもって清楚な姫ではない。寧ろ普通の女の子だ。女子らしい悩みを聞いてきたし下ネタだって言う。まぁ異性である俺は絡みづらい内容も多々あるが。
由衣は自分の席である俺の隣の席に座って先程の言葉の付け足しをした。
「高校になってからの軽音は初めてだね」
由衣の表情は俺の前ですら珍しい位に明るくあどけない笑顔をしていた。まるで太陽の様な笑みを横目に水筒に残っている少量の緑茶を一気に仰ぎ、呟く様な声で言った。
「そうだな」
俺は右腕に付けている腕時計を見た。アナログ時計の時針は5、分針は4を指していた。そろそろか、と思い立ち上がった。
「時間?」
由衣が聞いてきた。
「そう」
俺がそう言うと、由衣は立ち上がって言った。
「じゃあ、行こう」
「ギター持ってけよ」
何も持たずに出て行こうとした由衣にすかさず注意をした。高校に入ってもその癖は残ったままの様だ。
「………はい」
由衣は不満げに呟いてギターを持った。
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