第29話 狂気の衝突と、絆される心(ユリウスルート)

 ロゼリアのライナス選択は、瞬く間に裏路地を戦場に変えた。


 エドガーは王族としての地位も理屈も捨て、純粋な嫉妬と支配欲を乗せた拳でライナスに襲いかかる。彼の攻撃は粗暴だが、王族教育で培われた武力は凄まじく、ライナスの剣を押し返した。


「ロゼリアは私の所有物だ!貴様のような裏切り者に、私の獲物を守る資格はない!」


 ユリウスは、エドガーの乱戦を無視し、天井を崩壊させる規模の詠唱を開始する。彼の狙いはロゼリアの命ではなく、隠れ家全体の破壊による情報の消滅と、ロゼリアの魔力の再捕獲だった。


「無意味だ!貴女の命は、私の研究にこそ存在する。この非論理的な選択を、破壊によって訂正する!」


 そして、最も危険なのはノアだった。彼はライナスの剣を避け、シリルへ向かう裏社会の人間を容赦なくナイフで切り裂きながら、ただ一人、ロゼリアを狙う男たちと戦っていた。


「ロゼリア様……貴女の平穏は、私だけが守れるのに……!」


 ノアの瞳には、狂信的な愛が裏返った、深い絶望が宿っていた。彼はシリルを倒し、ロゼリアの運命を再び自分の手に取り戻すという、最も危険な暴走へと駆り立てられていた。



 ライナスは剣を振るうごとに血飛沫を上げ、ロゼリアの命の盾を全うした。


 彼はまず、最も広範囲な脅威であるユリウスの詠唱を阻止すべく、剣を投げて魔導具を破壊した。ユリウスは激昂し、破壊された魔導具の破片を操ってライナスを攻撃する。


 次に、ライナスはエドガーの猛攻を捌き、彼の足を剣の柄で打ち付け、一時的に戦闘不能に陥れた。


「エドガー殿下。貴方の支配欲は、ロゼリア様の命を脅かす。私は、貴女の選択を命を賭して守る!」


 しかし、彼の視界から一瞬、ノアが消えた。ノアはライナスの背後に回り込み、ロゼリアに向かって、純粋な憎悪を込めたナイフを振り下ろした。


「ロゼリア様!私は貴女の平穏を乱す者を、誰であろうと許さない!」


 ノアがナイフを振るったのは、ライナスではなく、ライナスを盾にしているロゼリア自身だった。それは「貴女の命を守る唯一の存在は私だ」という、ノアの究極の自己証明**だった。


 ライナスは間一髪でナイフを受け止めたが、その衝撃で腕が深く裂け、鮮血が床に滴り落ちた。



 ドクン


 ロゼリアは、ライナスの献身的な姿ではなく、ノアの絶望とユリウスの破壊的な詠唱の残響に、心を強く揺さぶられた。


(ノア様の献身も、ライナス様の忠誠も、この魔力暴走という私の根源的な問題を解決できない。私はこのままでは、いつか全てを破壊してしまう……)


 ロゼリアは無意識のうちに、ユリウスが破壊された魔導具から漏れ出た魔力の残渣を全身に吸い上げていた。


「もう……誰も……」


 ロゼリアは、アメジスト色の瞳から光を放ち、自らの魔力を四人の独占者に向けて放出した。それは破壊ではなく、強制的な鎮静の力だった。


 エドガーの暴走が止まり、彼は苦悶の表情を浮かべて床に倒れ込んだ。


 ユリウスの詠唱が中断され、彼は魔力的な反動で気を失った。その顔には、ロゼリアの規格外の魔力への純粋な驚愕と探求心が浮かんでいた。


 ノアは、ロゼリアの魔力に触れ、ナイフを落とした。彼の瞳から狂気が消え、代わりに深い悲しみが溢れ出した。



 シリルは、この光景を見て、初めてその冷徹な笑みを消した。ロゼリアの無意識の魔力が、五人の独占者全てを同時に制圧したのだ。


「……ありえない。貴女は、自らの力で、私の契約を、そして彼らの狂気を破った、と?」


 ライナスは腕を押さえながらも、ロゼリアを背後に庇い続けた。


 ロゼリアは、鎮静したユリウスを見つめ、静かにライナスの腕から離れた。


(私の魔力は、誰にも制御できない。私自身にすら。これを理解し、論理で支配できるのは……)


「シリル様。契約を破棄した対価は、私が払います。ですが、私とユリウス様の研究の自由、そして他の三人の処遇を交換条件とします」


 シリルは口元に再び笑みを浮かべた。


「ほう?貴女は『安全』も『平穏』も捨て、『真理の探求』を選んだか。知的好奇心に殉じる、貴女らしい選択だ。対価は?」


 ロゼリアは深く息を吸い、横たわるユリウスを見つめ、自らの「存在」が辿り着いた真の独占者の名を告げた。


「私の対価は、私の秘密と、魔力暴走の論理的な解決法です。シリル様が表の社会で最高の権威を得るための情報と交換に、私は、公的な保護者として、ユリウス・エルド様を選びます」


 ライナスは驚愕に目を見開いた。ノアは、意識を回復しかけたまま、ロゼリアを見つめていた。ロゼリアは、「殺されない平穏」ではなく、「自分の魔力に殺されない論理」を選んだのだ。


 シリルはロゼリアの冷徹な合理性に、満足そうに頷いた。「完璧だ。感情を排除した選択こそが、私の求める最高の情報だ」


 ロゼリアの本当の選択は、生存戦略を超え、自己の存在への不安に突き動かされた、ユリウスへの「絆され」という形で、ついに結実したのだった。

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