第6話 情報屋への危険な賭け
ロゼリアが情報屋シリルに接触したのは、三日後の夜だった。
彼女は、使用人ノアの目を避けるため、侯爵家の裏庭にある古い通用門から、黒いローブを纏って抜け出した。その姿は、まるで秘密の取引に向かう真の悪役令嬢そのものだったが、ロゼリアの内心は極度の緊張で吐き気を催していた。
『傾向と対策No.4:シリルは「利益」が全て。私に利益がないと思わせる』。
この対策は既に裏目に出ている。故に、ロゼリアは方針を変更した。彼に「利用する価値」という名の利益を与え、代わりに婚約破棄という平穏を買い取る。これが、疲労困憊のロゼリアが辿り着いた、最も危険な結論だった。
王都の裏路地にある薄暗い酒場の個室。
漆黒のローブを纏ったシリルが、人目につかない場所でロゼリアを待っていた。彼のジェットブラックの瞳は、蝋燭の火を反射して、獰猛な獣のように光っている。
「王太子の婚約者様が、こんな場所へ。随分とスキャンダラスなご趣味ですね、ロゼリア嬢」
シリルは口元を歪めた。彼はロゼリアの完璧な仮面の下にある孤独を、学園の屋上から見ていた。その孤独が、彼にとって最高の獲物に見えた。
ロゼリアは人見知りから来る震えを必死で抑え込み、冷徹な仮面を貼り付けた。
「無駄口は結構です、情報屋シリル。貴方のネットワークを使いたい。報酬は惜しみません」
「ほう? 内容によっては、王室への反逆と見なされますよ」
「私が欲しいのは、王太子殿下との婚約破棄に繋がる、小さな情報です」
シリルは心底面白そうに笑った。
「面白い。普通は、婚約を強固にするための情報を求めますがね。具体的に何を知りたい?」
ロゼリアはシリルに、ヴァリエール侯爵家が過去に行った小さな、しかし公にすれば醜聞になりかねないビジネス上のミスを教えた。
「私の依頼は二つ。一つは、この情報を王室監査局の目に触れさせること。もう一つは、私を『婚約者としてふさわしくない、金銭的な負債を抱える令嬢』として、水面下で噂を流すことです」
『目標:王太子殿下に、私との婚約を維持する「公的な利益」がないと思わせる。』
ロゼリアの戦略は、自らを貶めることで、公的な理由による婚約破棄を誘発するというものだった。これこそ、冷徹で計算高いロゼリアらしい方法だった。
シリルは、ロゼリアの要求を聞き終えると、笑いをピタリと止めた。彼の顔には、強い関心と、そして失望の色が混じっていた。
「……それが、貴女の望みですか。婚約破棄? 王太子の婚約者という地位を、自ら捨てたいと?」
「ええ。それが私の平穏です」ロゼリアは言い切った。
シリルはロゼリアの提示した報酬を受け取らず、代わりに彼女に顔を近づけた。
「平穏? 貴女ほどの優秀な方が、何もない平穏を望む? 失礼ですが、私は真実が欲しい」
ロゼリアは背筋が凍りついた。彼は、ロゼリアの『隠された動機』に興味を持ったのだ。
「いいでしょう。今回の報酬は、この情報にしましょう」
シリルは、ロゼリアが『平穏』を口にした理由、『完璧さ』という仮面を被る理由、そして『婚約破棄』を望む理由を、『貴女の最も深い秘密』として追及し始めることを宣言した。
「貴女の秘密こそ、私にとって最も大きな利益だ。ロゼリア嬢。私は貴女の裏の裏まで探らせていただきますよ」
ロゼリアの最も危険な賭けは、彼女の『秘密を隠す努力』そのものを、情報屋シリルにとっての『最高の報酬』としてしまい、彼の執着を最大限に引き上げてしまったのだった。
そして、その取引の一部始終を、裏路地の影から護衛騎士ライナスが、冷徹な表情で観察していた。彼は、主の婚約者が裏社会の人間と接触していることに、深い裏切りと、それ以上の危機感を覚えていた。
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