第7話 天才の疑惑と、少年の純粋な保護欲

 シリルとの危険な取引から数日後。ロゼリアの計画通り、ヴァリエール侯爵家に金銭的な負債があるという「小さな噂」が、学園を含む上流社会に静かに流れ始めた。


 ロゼリアは、この噂によって「王太子の婚約者としてふさわしくない」と見なされ、婚約破棄に一歩近づいたことに安堵した。



 王立学園の魔法実技講義。ユリウス・クリスは、提出されたすべての魔力鑑定データを詳細に分析していた。


「……やはり、不自然だ」


 ロゼリアの魔力出力は、常に平均値の七割で安定している。その完璧すぎる凡庸さは、ユリウスの知的好奇心を強く刺激していた。


 彼は、ロゼリアが金銭的な問題で侯爵家を貶めようとしている噂を聞きつけ、ある疑惑を抱く。


『ロゼリアは、この隠された才能を維持するために、資金を必要としているのではないか?』


 ユリウスにとって、ロゼリアの「規格外の才能を凡庸で覆い隠す、強靭な精神力」こそが、世界で最も価値ある研究対象だった。


「彼女は、その才能のために、地位や名誉、そして自らを貶める醜聞さえも利用しているのか。なんて狂気的なまでの探究心だ」


 ユリウスはロゼリアの行動を、平穏を望むためではなく、「誰にも邪魔されない場所で才能を極めるための、知的な防御策」だと誤解した。彼の冷淡なアイスブルーの瞳に、ロゼリアを『私の研究対象』として独占し、保護しようという強い執着が灯る。


 その日、魔力制御の訓練中、ロゼリアは極度の疲労から、一瞬だけ制御を失った。


『まずい……!』


 魔力の流れが七割の制限から外れ、規格外の巨大な魔力が教室を覆い尽くしそうになる。ロゼリアが冷や汗を流し、慌てて魔力を絞り込もうとした、その一瞬の出来事だった。


「……見つけた」


 ユリウスだけが、その一瞬の圧倒的な魔力の奔流を正確に観測した。彼の顔に、初めて歓喜の色が浮かんだ。ロゼリアが隠していた『真実の姿』を捉えたのだ。


「ロゼリア嬢。貴女の秘密は、私だけのものです。誰にも渡しません」


 ユリウスは、ロゼリアの天才を、自分の研究のためだけに閉じ込め、守護する道を選んだ。



 侯爵家の厨房。使用人の少年ノアは、ロゼリアが深夜に侯爵家を抜け出し、黒いローブの男と接触したことを、偶然知ってしまった。


『あの冷たいロゼリア様が、あんな危険な場所へ。しかも、噂では金銭問題が……』


 ノアは前世でロゼリアを裏切った罪悪感を抱えている。今世のロゼリアは完璧だが孤独で、誰にも頼ろうとしない。その彼女が裏で危険な取引をしているという事実は、ノアの保護欲と献身を爆発させた。


 ノアは、ロゼリアが「侯爵家や王室の危機」を、誰にも頼らずたった一人で背負っているのだと、都合の良い解釈をした。


 ある晩、ノアはロゼリアの私室の掃除中、机の上に置き忘れられた一冊の古びた手帳を見つけた。


『傾向と対策』と記されたその手帳には、ロゼリアが過去に分析した攻略対象たちの性格と弱点、そして『リリアン嬢との接触を阻止せよ』という、冷徹な指令の数々が記されていた。


 ノアは震える手でそれを読み進め、最後に記された一行で涙を堪えきれなくなった。


『目標:平穏に生きること。誰にも理解されなくても、それでいい。』


 ノアは、ロゼリアの行動が「悪意」からではなく、「孤独な自己防衛」であることを確信した。


『ロゼリア様は、誰にも言えないほどの大きな重圧と戦っておられるのだ。殿下や皆様を守るために、孤独に悪役を演じようと……』


 ノアの心の中で、ロゼリアは「自己犠牲を厭わない、最も気高い主」となった。彼はすぐに手帳を元の場所に戻し、誓った。


「ロゼリア様。私は、貴女の秘密の全てを守ります。貴女の平穏のためなら、私はどんな命令にも従います」


 ノアの純粋な献身は、ロゼリアの「平穏に生きる」という目標とは裏腹に、彼女の最もプライベートな領域にまで踏み込み、最も深く根を張る執着へと変わった。

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