第4話 完璧な凡庸と影からの観察

 リリアン嬢のデビュタント舞踏会から数日後、アルカディア王立学園は新学期を迎え、ロゼリアの「平穏戦略」は新たなフェーズに入った。


『傾向と対策No.3:徹底的な凡庸化』。


 ロゼリアの目標は、天才魔法使いユリウス・クリスに二度と興味を持たれないよう、自分の魔力の才能を完全に隠蔽し、目立たない生徒になることだった。


 ロゼリアは、わざと難しい講義を避け、一般的な内容の授業のみを選択した。魔力の制御訓練では、あえて七割の力で抑え込む。


「魔力量は平均。制御技術は優秀だが、特筆すべき才能はない」


 ユリウスの視線が集中する中、ロゼリアは内心で冷や汗を流しながら、完璧な『普通』を演じきった。前世で、彼女の『規格外の魔力』は不正利用の根拠とされた。もう二度と、その才能を表に出してはならない。


 ユリウスは、教室の最前列でその様子を観察していた。彼の冷淡なアイスブルーの瞳は、ロゼリアの鑑定結果が『凡庸』であることを示しているにもかかわらず、深い疑問を投げかけていた。


「面白い。ロゼリア嬢の出力は、驚くほど安定しすぎている」


 彼はそう呟いた。


 通常の優秀な生徒は、才能を隠そうとすると必ずどこかで不自然な揺らぎを見せる。しかし、ロゼリアの『凡庸な魔力出力』は、まるで精密機械が作り出したかのように正確無比だった。


『最重要警戒事項:一瞬たりとも『秘密』や『才能』を垣間見せてはならない』


 ロゼリアの完璧な偽装は、ユリウスに「これは単なる凡庸ではない。何かを隠蔽する、規格外の精神力だ」という誤解を抱かせた。彼の知的好奇心は、『隠された真実』に触れようと、静かに火をつけられた。



 ロゼリアが学園内を移動する際、彼女の視線は常に、ライナスの位置を探していた。彼は王太子エドガー殿下の護衛として、常に学園内に滞在している。


『傾向と対策No.2:隙を見せない、無敵の人になる』。


 ロゼリアはライナスに話しかけられないよう、決して立ち止まらず、公的なルートでのみ移動する。ライナスはダークアッシュの髪を揺らしながら、王太子の控え室前でロゼリアの完璧な振る舞いを観察した。


 ロゼリアがエドガーに提出する書類、交わす挨拶、周囲への配慮。そのすべてが『婚約者』という枠を超えて、王室の公僕として完璧だった。


「ライナス」


 エドガー殿下が声をかけた。


「ロゼリアは、私が想像していた『悪役令嬢』ではない。あの女は…まるで氷の像のようだ。私の傍にいるが、決して心を許さない」


 エドガーの困惑を聞いたライナスは、冷徹な琥珀色の瞳をロゼリアが去った廊下へ向けた。


「殿下。ロゼリア様は、自らの感情という弱点を晒すことを拒否しているように見受けられます」


 彼はロゼリアの冷淡な完璧さを、「弱さを見せてはならない」という孤高の騎士道だと誤解した。


『王太子殿下の婚約者でありながら、誰にも頼らず、自分自身に課した義務を遂行する。何と気丈な方だ』


 ライナスの忠誠は、王太子個人へのものから、『孤独な戦いを強いられている、気高き女性』というロゼリアのイメージへと歪み始めた。彼はロゼリアの影の護衛を、自発的に始めることを決意する。



 学園での完璧な『凡庸』と公務での『冷徹』な演技を続けたロゼリアは、夜、侯爵家の自室に戻ると疲労に苛まれた。


『傾向と対策No.5:徹底的な距離感の維持』。


 ノアへの対策は、「無表情と事務的な会話」で完璧だったはずだ。


 ある日の夕暮れ。ロゼリアは、他人の視線がないと確信し、中庭の奥にある誰も使わない小さな花壇の手入れをしていた。彼女の唯一の平穏の時間だ。

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