第3話 リリアン嬢のデビュタント
伯爵令嬢リリアン・アロンドのデビュタント舞踏会は、彼女の出自に比して異例の豪華さで開かれた。王太子エドガー殿下が臨席されるためだ。
ロゼリア・ヴァリエールは、プラチナブロンドを夜会の灯りの下で氷のように光らせながら、エドガー殿下の隣に立っていた。彼女のドレスは、婚約者としての格式を保ちつつ、派手さを抑えたアメジスト色。その装いは、彼女が「公務は完璧に果たすが、私情を挟まない」という決意の現れだった。
『傾向と対策No.1:婚約者として完璧に、しかし心は冷淡に』。
ロゼリアの心は、前世の記憶が焼き付いたホログラムを見ているようだった。この夜、エドガー殿下はリリアン嬢と親密になり、それをきっかけに私の断罪への道筋が決定づけられた。
『人見知りの私が、再び人と関わって不器用な失敗をするより、感情を殺して完璧に演じきる方が遥かに安全だ。これが、誰にも邪魔されない平穏への唯一の道』
「ロゼリア」
エドガー殿下の声に、ロゼリアは完璧な角度で微笑み、頭を下げた。
「次の曲で、ファーストダンスを頼む」
「かしこまりました、殿下」
彼のロイヤルブルーの瞳は、ロゼリアをどこか探るように見つめていた。ロゼリアは前世の彼が持っていた傲慢さを感じないことに戸惑いつつも、隙を与えまいと口を開く。
「この舞踏会の主役はリリアン嬢。殿下の立ち振る舞いが、彼女の社交界での地位を決定づけます。私も微力ながら、婚約者として殿下の完璧なエスコートをお約束いたします」
彼女の言葉は全て事実であり、公的な義務を強調するものだった。
『私的な感情を挟むな。私はあなたの道具よ、早く飽きてちょうだい』
しかし、エドガーの視線はより鋭くなった。
「そうか。貴女はいつも完璧だな。だが、その完璧さが時折、私を拒絶しているように見える」
『最重要警戒事項:私の『完璧さ』を『謎』と深読みし、執着しないように細心の注意を払うこと』
ロゼリアは内心で舌打ちをした。すでに戦略が裏目に出始めている。
音楽が始まり、ロゼリアはエドガー殿下の手を取った。彼女のステップは、文字通り欠点のない完璧なものだった。表情筋一つ動かさず、ダンスの技術とマナーにのみ集中する。
ライナスは、エドガー殿下の背後に控えながら、ロゼリアの動きを観察していた。彼のダークアッシュの髪と琥珀色の瞳は、公務に徹するロゼリアの冷徹な美しさに、疑念ではなく賞賛の色を向け始めていた。
『彼は、私を「鉄壁の女」だと誤解してくれればいい。私の内面に関心を持つな』
ダンスの中盤、エドガー殿下は小さく囁いた。
「貴女は、リリアン嬢のことが嫌いなのか?」
ロゼリアは踊る動作を止めずに、淡々と答える。
「いいえ。リリアン嬢は純粋で可憐な方です。ただ、私は婚約者として、殿下との公務に集中したいだけです。殿下の私的な交友にまで口を出す趣味はございません」
この一見、「寛大で分別のある婚約者」の回答は、エドガーの心を深く抉った。彼はロゼリアの言葉の裏に、自分への深い無関心を読み取ったからだ。
ダンスが終わると同時に、ロゼリアはエドガー殿下から優雅に身を引いた。
「殿下、次の曲はリリアン嬢にお誘いをかけるべきでしょう」
ロゼリアは助言した。この瞬間こそ、前世でエドガーがリリアンに心を奪われたターニングポイントだ。
しかし、エドガーの瞳には、リリアンへの関心ではなく、ロゼリアへの深い困惑が浮かんでいた。彼はロゼリアの冷徹な美しさに引きずり込まれ、リリアンの存在が頭から抜けかけていた。
その隙を見逃さず、ロゼリアは次の行動に出た。
「恐れながら殿下。急を要する公務の件ですが、この場でご相談したいと存じます。少々お時間をいただいても?」
彼女は完璧なタイミングで、公務という絶対的な正義を盾にした。
『傾向と対策No.6:絶対的な隔離』。
エドガーは、リリアン嬢のテーブルを一瞥したが、ロゼリアの張り詰めた空気に抗うことはできなかった。
「……わかった。ロゼリア。隣の控え室で話そう」
エドガーはリリアンに声をかけることなく、ロゼリアと共に広間を後にした。
彼らが去った後、リリアンはハニーブロンドの髪を寂しげに揺らし、誰にも誘われずテーブルに残された。
その様子を遠巻きに見ていた情報屋シリルが、口元を歪めた。
「へえ。王太子の婚約者にしては、随分と不必要な行動だ。あのロゼリア嬢、公務と称して、殿下の私的な自由を奪っているように見えるな」
彼はロゼリアを「王太子を独占する冷徹な女」と誤解したが、その「不必要なほどの完璧な干渉」の裏に、何か金になる秘密が隠されていると直感し、強い好奇心を抱いた。
こうしてロゼリアは、運命の再現を回避したにもかかわらず、その完璧な戦略によって、元断罪者たち全員に「謎」と「執着」の種を深く植え付けてしまったのだった。
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