第四話 トータルイクリプス

「おはよう白倉! …どこ行くの?」

 超豪華なNOAの寮だが食堂もある。

 朝起きて、料理を作れる生徒の方が少ないし、下位ランクの生徒の部屋にはそもそもキッチンなどがない。

 白倉や、岩永、夕も食堂で食事をとる。

 注文できる料理はランク無関係だが、ランクS・A上位は学食が年間無料だ。

 それもあって、皆ランク争いに志気が高まる。

 一応言っておくと、それでもランク下位のDやEの生徒の部屋も普通の学生寮よりかなりレベルの違うものである。

「吾妻起こしに」

 廊下で呼び止められた白倉は、むすっとした顔で答えた。

 白倉の部屋は最上階。その一階下の階に吾妻や岩永の部屋がある。

 てっきり食堂(三階)に行くために降りてきたのだと思ったので、夕は「ああ、そっか…」と驚いたような、納得したような微妙な返事。

 週番のパートナーだししかたないが、白倉が不本意そうなので、なんともいえない気持ちだ。

「じゃあ、俺」

「白倉、おはよう」

 夕たちに言い置いて吾妻の部屋に向かおうとした白倉は、背後で聞こえた声に飛び跳ねるほど驚いた。

「あがつまっ!?」

 裏返った声で、そこに立っていた吾妻を呼ぶ。

 吾妻は自分の頭の寝癖を押さえながら、「その反応ひどい」と情けない顔をした。

「どうした?

 今七時だぞ? 真面目じゃん!」

 ひどく驚いている白倉を見下ろし、吾妻は眉尻を下げて微笑む。

「いや、毎日白倉に迷惑かけるの申し訳ないから、ちゃんと起きて行くことにした。

 ありがとうな」

「……そうか」

 優しく笑いかける吾妻を、驚いた顔で見上げていた白倉だが、不意に。

「お前が押さえてるとこ、寝癖じゃなくて元々じゃ?」

「…え? いや、これ寝癖」

 吾妻は恥ずかしそうにして、ぱたぱたと手で髪を叩くように触ったり離したりする。

 確かにそこの髪だけぴょこん、と跳ねている。

「直せんの?」

「直せるけど、時間かかる」

「どんくらい」

「十五分くらい」

「ほんなら直して来い」

 吾妻はもごもごと言葉を濁して、部屋に戻らない。

 白倉を気にしている。

 白倉は吾妻の顔を見つめて、くすりと柔らかく微笑んだ。

「待ってやるから」

 夕や岩永にもはっきり断言できる「機嫌のいい」声音で白倉に言われ、吾妻は一瞬の間のあと、輝かんばかりの笑顔で大きく「うん!」と頷いた。

「すぐだから、待っててな!」

「ああ」

 今ばかりはもどかしいとばかりに必死に走っていく吾妻を見送って、白倉は息を吐く。ため息ではなく、感心という風に。

「嬉しいんかな? 吾妻が真面目になったんが」

「ていうか、自分を気遣ってくれたんが、かな」

 夕と岩永は顔を見合わせて、お互い笑った。

 最初はどんなやばいヤツかと思ったが、なかなかどうして、普通に恋する微笑ましい少年らしさも持ち合わせているようだ。




 自分の部屋で寝癖を急いで直し、吾妻は部屋を飛び出してから鞄を忘れたことに気づいて慌てて部屋にバックし、鞄の持ち手を掴むとまた飛び出した。

「おっと」

「あ、ごめ…」

 玄関の扉を開けた瞬間、誰かが前を通ったらしくぶつけそうになった。

 吾妻は扉を閉めて、謝りかけて固まる。

「おはよーさん?」

 にっこりと微笑んで、自分を見上げるのは、九生。

 彼は白倉と同じ、最上階の人間のはずだ。

 エレベーターホールは、反対側にある。

「なんじゃ? 俺の顔になんかついとるか?」

 鞄を肩に下げて、九生は猫背で吾妻の前を通り過ぎた。

「…色男な顔ならついてる」

「ははっ。ああ、そうじゃの」

 後を追いながら、吾妻は皮肉のつもりで言ったが、九生に軽く流されてしまう。

 追うつもりはないが、方向が一緒なのだ。

「…あんた」

 吾妻の腹に引っかかるのは、やはり昨日の出来事だ。

 どういう超能力か知らないが、白倉に見えた九生。断片的な記憶。牽制。

 今日、朝早くに起きて白倉を待ったのも、九生に負けたくないという意志と、警戒心が強く沸いたからだ。

「ああ、吾妻、今日、俺も一緒に行ってええか?」

「…は?」

「学校まで」

 吾妻はどきんと胸が鳴った気がした。

 まさか、知っているのか? さっきの白倉との会話を。

 見透かされた感触。それがありありと出た表情を見上げて、九生は首を傾げた。

「なんじゃそん顔。俺はお前さんみたいな力、ないぜよ?」

「っ!」

 してやったという顔の九生に、吾妻は息を呑んだ。

 九生はにやりと笑んだまま、前を歩いていく。

 追わなければ。自分を叱咤して後を追う。

 やはり、彼は白倉に他意がある。だから自分を牽制するのだ。

「負けない」

「さあ、どうかのう」

 つかみ所がない。

 それはむしろ、九生の方ではないか。吾妻はそう思った。




「なんか、今日、やけに吾妻のヤツ、九生のこと気にしてへん?」

 四時間目の前の休み時間。

 移動中に、岩永がそう言った。

 夕も「ああ」と頷く。

「お前もそう思うだろ?」

 夕に問われて、隣を歩いていた九生は「そうか?」ととぼけた。

「えー? お前が気づいてないはずない」

「気が付いとることもないがの、あれは白倉に近しい男全般気に入らんだけじゃ。

 お前らが今のとこ除外なんは、あいつより下位ランクだからじゃ」

 九生の言うことも的を得ている。夕は「それもそうか」と納得する。

「そんなんいちいち気にしとったら身がもたんぜよ」

「…まあ、そういう理由ならかまわんけどな」

 岩永はいまいち納得のいかない返事で、九生はけらけら笑った。

「お前さんは相変わらず油断ならん」と楽しげに。


 本日は新学期二回目の戦闘試験。

 今回試合があるのは岩永のみだ。

 もとよりSランクの九生は試合が少ないし、先日夕と戦ったばかり。

 白倉も「無敗」を誇るだけあって、試合数は多くない。

 Sランクでなければ拮抗した試合にならず、お互いなんの糧にもならないからだ。

 岩永も「無敗」を誇るが、彼はAランク最上位。

「Sランク昇格」という強い目標がある。

 そして、吾妻と白倉は、週番の勤めに戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉ではない場所にいた。


「そもそも週番って、『週番』だよね?」

「なに言ってんの?」

 人気の全くない校舎五階。

 吾妻の発言に、白倉は意味不明な視線を寄越した。

「いや、『週番』の意味自体はわかってるよ?」

「ならいいじゃない」

「いや、僕と白倉は一ヶ月やるんだよね?

『週』番?」

 強調された言葉に、白倉はやっとそこで吾妻が引っかかりを覚えている箇所に気づいたらしい。

 彼が「ああ」と納得してすぐ、吾妻の後頭部がなにかに叩かれた。

 白倉は腕を組んでいる。

「あ、力使った?」

「うん。お前の頭高いから」

 白倉の力は念動力だ。自分のような発火能力と違い、そんな真似も出来るのか。

「夕のもっと痛いぞ」

「大気を操るからねえ…、そうじゃなくてな」

「ああ」

 別に濁してない、と白倉は言い置いた。

「普通、週番は週単位。

 それも処罰じゃなくて、委員の仕事。

 今回特例なんだよ」

「…ごめん」

 吾妻はすぐ、頭を叩かれた意味を察して謝った。白倉は「わかればよろしい」と満足そうだ。

「だから、今日は校内の見回り」

「…うーん、戦闘試験で先生やみんなの視線が戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉に集中してるから?」

 全員が戦闘試験があるわけではない。暇なやつも普通、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉内で見物をするものだが。

「そうだから、なんかバカやる生徒がいるんだ」

「あー」

 まあ、大抵下位ランクの連中だな、ときっぱり言い切る白倉には「選ばれたもの」の自覚があるのだろう。吾妻にだってあるけれど、周囲を敵に回すような発言は避けてしまう人間が多い中で、正しいことならと口にする白倉の性格は吾妻にとっていっそ好ましい。

 吾妻も結局、そういう「あえて普通避けることを発言してしまう」タチだからだ。

 吾妻の場合は、「完全に余計な一言」だが。

「…」

 沈黙が生まれると、吾妻は自然、隣の白倉の横顔を見つめてしまう。

 本当に整った綺麗な顔だ。染みひとつない白磁の肌。

 自分の頬が赤くなるのを感じて、視線を逸らす。

「そういや、お前、九生のこと気にしてる?」

「へ!?」

 そんなときにいきなり核心をつかれたので、思い切り図星です、な間抜けな声を出してしまった。

 白倉が呆れる。

「いや、だからその、気になる…うん、ごめん」

 言い訳は続かず、すぐに謝ってしまった。

「素直だな」

「…僕は勝ち目ない」

「?」

「白倉の中で、まだ誰にも」

 白倉はそんなん関係ないと言うが、違う。

 白倉は九生の牽制を知らないから。

 自分も言いたくない。

 それは、自分のプライドとあと、独占欲。

 九生の気持ちが白倉に届いていないなら、気づかれたくない。

 九生の気持ちを。

「…ん?」

 吾妻は不意に足を止めて、傍の窓を開けた。

「どないしたん?」

「…下の方で、力使ってるヤツがいる」

「え!?」

 白倉はぎょっとして、吾妻と同じように窓から下を覗くが、庭にそれらしきものは見えない。

「おい…」

「いや、まだ…もうちょっと…」

「…?」

 吾妻がなにを待っているのか、さっぱりわからない。

「あ、来た! ほら校門!」

「え…」

 吾妻の声に反応して校門を見遣った。遠い距離だが、NOAの窓は特殊な造りで校門までならどんなに遠くともはっきり見える。

 校門をくぐってきたのは、大型バイク。

 それも運転手がいない。

「力で操ってるバカか…」

「多分。僕の力だと燃やしてしまうしガソリンに引火するから、白倉頼む」

「ああ」

 白倉は力をバイクに使うようイメージして、止めようとする。

 だが、一瞬早く、傍で聞こえたのが、そのバイクのエンジン音だった。

「え」

 気づくと、自分目掛けて疾走してくるバイクがある。

 どうしてここに。さっきまで校庭にあったのに。


 瞬間移動能力だ。

 吾妻はそう思った。

 妨害されたり、なにかしらの超能力を受けた際にその発信者の元に転送するよう命令をしていたのだろう。それなら、無効化の力でもない限り、防げない。

 吾妻は白倉に手を伸ばしたが、届かない。自分の力では、バイクを燃やしてしまうだけで止められない。

 その刹那、背後で感じた気配。後ろを振り返っていないのに、吾妻には見えた。

 後ろの突き当たりの窓のサッシに腰掛け、手を持ち上げた男の指先から発射されたのは、細いレーザー。

 真っ直ぐ廊下を走って、バイクを貫いた。

 勢いでバイクは進行方向と逆に吹っ飛ばされ、廊下に落ちて転がる。

 爆発もしない。おそらく危険な部分をうまく避けて撃った。

 白倉と吾妻は同時に振り返る。

 窓枠に座っていた男が床に降りて「大丈夫か?」と白倉に聞く。

 白倉はホッとした顔で「ありがとう」と礼を述べた。

 黒髪に、眼鏡の男。

 九生ではない。

「怪我はないな?」

「ああ」

「ならよかった。首謀者たちの目星はついている。

 今頃先生方が見つけているだろう」

「そうか」

 落ち着いた訛のない口調。

 にこりともしない顔。

 九生とは全く違う。

 しかし、白倉と二、三言話したあと、彼は吾妻の傍を通り過ぎる様に、吾妻の肩を掴んだ。

 びくりとした吾妻を見上げる瞳は、笑っている。


「惚れたはれたの相手を助けられんとは情けないの。

 肝心なとこで後込みするんはいかんぜよ?」


 耳の近くで囁かれた言葉は九生の口調。

 見た顔は、さっきまでが嘘のような、九生そのものの笑み。

 肩をぽんと叩いて、彼は歩いていく。

 揺れる白の尻尾はないのに、揺れている錯覚が見える気がする。

「白倉、あいつ」

「え? 同じ一組の時波。見たことくらいあるんじゃないか?」

 白倉は疑ってもいない笑顔で、吾妻を見上げた。

「それよりほら、戻ろう。職員室行かないと」

「白倉」

 早足で歩き出した白倉を追って、吾妻も大股になる。

「白倉、あいつ、九生だ」

「は? 時波だろ。どっからどう見たって」

「だけど、あいつは」

「変装してるとか言うな? いくらなんでも無理だし、大体九生は戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉におるって言うてた」

「…だけど」

 でも、あいつは九生だ。そう感じた。はっきりと。

 嘘じゃない。

 吾妻の訴えに、白倉は足を止めて、苛ついた顔をする。

「じゃあ聞くけど、なんの関係があんの?」

「え?」

「週番に」

「…」

 そう言われたら、困る。

「あいつが九生でもなんでも、助かったんだから。

 気にすることない」

「…」

 ソレは確かにそうだし、でも違う気がする。なんというか白倉らしくない…気がする。

「それとも、俺を好きだから?」

「…」

 そうだ。他の理由はない。が、今のは少し違う気もするし、九生の気持ちをばらしたくなくて黙ってしまう。

「…」

 白倉がため息を吐く。失望の気配に、吾妻は怯えた。

「好きだよ」

「嘘」

「好き。ほんとに」

「じゃあどこが? なんで?」

 早口で問いつめる白倉に、ただ「好き」としか繰り返せない。

「理由は?」

「それは、好きだから」

「つまり顔か」

「違う!」

 一目惚れだから、顔もあるが、それは断じて違う。

 白倉の手首を掴むと眉を寄せられた。

 構わず必死に捕まえて叫ぶ。

「僕は白倉のこと好き! 本気だよ!」

「り」

「理由なんてない。直感で恋した。

 運命だって本気で信じた。それくらい、心で愛した。

 愛してる! 白倉!」

 伝わってくれ。そう願って叫んだ。

 恥ずかしいとかどうでもいい。

 白倉が目を見開く。

 吾妻は真っ直ぐに見つめ返した。

 心臓がどきどきうるさい。



『理由なんてない。直感で恋した。

 運命だって本気で信じた。それくらい、心で愛した。

 愛してる! 白倉!』



 しかし、その場に流れた吾妻の告白のリピートに、吾妻も白倉も固まった。

「……今、スピーカーから聞こえたよな? お前の声」

「…うん。確かに」

 視線を廊下の上の壁に取り付けられたスピーカーに向ける。


『……今、スピーカーから聞こえたよな? お前の声』

『…うん。確かに』


「…え? なに、ここにマイクあんの!?」


『…え? なに、ここにマイクあんの!?』


 白倉の声がまた校内に響いた。

 すると、


『おい、今の告白、吾妻の声やないか?』

『え? 今度は全校放送で告白かあの転校生…って俺の声もだよ!』

『え? なにこれ!』


 校舎の別の場所にいる生徒たちの声が、スピーカーから響いてくる。

 ついで教師の声。


『白倉、吾妻! なにやっとるんや!』


「違います俺の仕業じゃないです!」


 白倉が思わず反論すれば、スピーカーからも同じ声。


『とにかくさっさと職員室来い! 違反者は捕まえたわ!』


「はい!」

「…すごいね。ちゃんと会話になってるよ白倉…」

「あほ、なに遠い目してんの…」

「自分の一世一代の告白が校内に流れたと知ったらみんなこうなる…」

 その声も校内中に響いているのだが、吾妻は気にする余裕がない。




 そのころ、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉-17号室では、試合のない九生が観戦に来ていたが、唐突に彼は身を折って、手すりにもたれかかった。

 くつくつ笑い出す。

「あいつらアホじゃ。ほんまアホじゃ。

 あの程度の挑発に乗るたぁ吾妻は初やのう意外に!

 昨日から仕込んだ甲斐があったわ!」

 そのままげらげら笑い出した九生を、フィールド内で試合中の岩永が「なにあれ」という視線で見上げている。

 試合も中断してしまっている。

 ばんばん手すりを叩いて大喜びの九生の横に立っていた少年が、腕を組んだまま彼を呼ぶ。

「九生くん」

「あん? なんじゃ山居やまい

「あれ、君の仕業でしょう。先生に報告させてもらいますからね」

「……マジか」

 隣の優等生然とした少年は「当たり前の義務です」と己の眼鏡のブリッジを指で押した。


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