第五話 ここから始まり

「ほんっとに、すまん!」

 翌朝、吾妻と白倉は寮の食堂で、手を合わせて謝罪された。

 もちろん、九生に。

「ほんの出来心なんじゃ。然したる意味はなくての…あー、ごめん」

 ひたすら申し訳ないと、真剣に、しかしどこかに苦笑を混ぜて謝る九生に、白倉は腕を組んで隣の吾妻を見上げた。

「これからしばらくパシリでもなんでもやるけん、マジ許してくれ」

「…なんでパシリ」

 白倉の重苦しい言葉に、九生は自分の頭を掻いた。

「ほら、俺等Sランクやろ? 全員。

 そしたら好きなもん無料で食えるん当たり前やし、そしたら『なにか奢るけん』っちゅうんはできんじゃろ」

「…まあな」

 白倉に「どうする?」という視線で見られ、吾妻は気まずそうに目を逸らす。

 この場合、傷が重いのは告白した方の吾妻だ。本気の告白を全校に流された。

 白倉も大変だが、彼は以前の吾妻の出会い頭のプロポーズで一通り噂が広まっていることもあって、あまり被害はない。

 被害といっても、精々冷やかされるくらいだが。

「…あんたに確認していい?」

「うん? うん」

 吾妻の唾を飲み込んだ、真面目な問いと声でわかる言葉に、九生は今までの彼が嘘のような素直さで頷いた。

 自分の手を後ろで組んで自分を見上げ、じっと自分の言葉を待つ様は、普通の友人に怒られた同級生。

今までの印象はなんだったんだ?

 特に白倉関連の。

「…一昨日と昨日、僕に言ったことは、全部僕をはめるため?」

「うん。そう。すまんの」

 九生は極めて神妙に謝った。

「白倉のこと、どう思ってる?」

「え? 仲良し幼馴染みやろ。当たり前じゃろ。お前と一緒にすんな」

 すらすらーっと出てきた言葉は、早口でもないし、視線を逸らされてもいない。

 つまり、本音。

 自分になにかと牽制していたのも、白倉に特別な感情があるとかではなく、自分を罠にかけるためだけのことで。

 事実、あの後岩永や夕に「九生って見た目詐欺言われとるくらいやしなぁ」と聞いた。

 人をおちょくるのが好きというか、悪戯大好き、らしい。多分。

 岩永も夕も「らしい。多分」をつけた。九生の本性なんかわからない、と。

 悪戯好きというとこすら詐欺かもしれないし、と。

 だから、顔面から「白倉に他意はない」というのは信じられないが、かといって今までのように本気で疑ってかかるほどとは思わない。

 自分の感覚も、そう告げている。

「…ならいい」

「お! お前さん気前いいの」

「そのかわり、もう僕で遊ぶんよして」

「そこは保証せん」

「しなよ!」

 吾妻と九生のやりとりを聞いていた白倉がくすくすと笑い出した。

「白倉?」

「ふふ。でも、なんだかんだで、馴染んでよかった」

 吾妻が問うと、白倉は笑ってそう言う。

「初めてがあんなんだから、なじめるか不安だったけど、なじめそうじゃない吾妻。

 一番難易度高いの九生だよ?」

「…あれは馴染んだんじゃなく、からかわれただけ」

「九生は人格を信用してないバカをからかったりしないぞ」

 九生がからかったってことは、少なくとも信用できる人格ってこと、と白倉は綺麗に微笑んだ。

「ま、俺も罰は受けるけん、すまんな」

「もういいよ。…あ」

「平気じゃよ。お前さんらみたく超能力使用禁止に違反したわけじゃないからの」

 ランク引き下げを心配した白倉に、九生はそう言う。

 吾妻は内心「でも自分をはめるために一回使ったけど」と思う。あれは教師にばれてないからだ。吾妻ももうばらす気はない。

「時波のヤツも、あれはお前さんを助けるためやけん、正当防衛で許可されたしな」

「そっか。よかった」

「…あんた、時波に入れ知恵したたいね?」

「うん」

 あの時、助けてくれた時波という男が、「九生」だと思った感覚はもう思い出せない。

 曖昧になってしまった。

 だから、多分、時波は九生の悪巧みに乗っただけなんだろう。

 九生に「吾妻にこう言え」と吹き込まれて。

「かなわんね」

「俺に?」

「違うよ」

 自分を指さした九生を睨んで、吾妻は白倉を見下ろした。

「あんたには、かなわない」

 真正面から褒められて、白倉は言葉を失う。

「ごめん。取り消していい?」

「え?」

「出会い頭のあれ。戦闘試験で勝ったら負けたらっていう…」

 吾妻の言葉に、白倉は呼吸すら忘れた。

「勝負にかけて済むような安いもんじゃないよ。あんた。

 僕の態度で惚れさせる。だから、…取り消させて」

「…吾妻」

「…本気で好きだから、…白倉の返事を待つよ」

 そう言って吾妻は微笑んだ。



『あんた、無敗って言われてるだろ?

 戦闘授業で、戦って、僕があんたに勝ったら、僕のモンになる』



 なかったことにしよう。

 本気で君が好きになったから、勝負で手に入れたって嬉しくない。

 キミの本気の愛が欲しいから。




「おはよう」

 九生と別れて学校に向かった際、昇降口で時波に出会った。

「おはよう」

「九生は罰当番か?」

 白倉の挨拶に頷いて、時波はそう聞いた。

「ああ、教材運び任されたとか」

「そうか」

 吾妻とは顔を合わせづらくて校門で別れた。

 白倉の複雑な心情を察したのか、時波は微かに笑う。

 安心を誘うやさしい笑みだ。

「ここでは話が出来ないな。

 図書室に行くか」

「え? 授業」

「一時間目は自習だそうだ」

 時波はそう言って、白倉を促した。




 自習の場合、図書室に行くなり、トレーニングルームに行くなり、自由だ。

 超能力のトレーニングルームが校内にあり、その中ならば違反にはならない。

 戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉に似た構造で、使用時間は決められているが、基本休日でも自由に使える。

 図書室は何万という量の蔵書があり、毎日全国から仕入れられているため、本屋に行く必要がないほどだ。

 本好きな時波や岩永、白倉もよく来る。

 沢山並ぶテーブルの一つに腰掛けて、朝の顛末を語る白倉の話に耳を傾けていた時波は不意に苦笑した。

「どうした?」

「いや、それで? 吾妻のなにが気に入らないんだ。

 吾妻の方から過ちに気づいたならいいことだろう」

「…まだ怒ってるな時波」

「当たり前だ。人の気持ちを勝負の秤に掛けるなど神経を疑う」

 淡々と、しかし厳しい言葉で非難した時波は、複雑そうな白倉を見つめて視線を和らげた。

「それとも、変わったのは吾妻だけではないのか?」

「…間違っても好きじゃない」

「そうだな。恋愛の好きではないだろう。

 だが、以前の嫌悪感はもうないのではないか?」

「…うん」

 白倉は微かに頬を赤くして頷いた。

「…ちゃんと話してみたらいいやつっぽいし、気遣ってくれるし、…恋を軽々しく捉えてたわけじゃないみたいで…」

「嫌いじゃないと」

「うん」

 最初は、気持ちを勝負で決めるなんて、と憤慨した。

 男に告白された嫌悪もあって、吾妻を嫌った。

 でも、彼は想像以上に真摯だった。

 真面目だった。

「だから、…なんか物足りないなぁと」

「…白倉は、向上心が強いからな」

「へ?」

 時波は見透かしたように、笑った。優しくて、そして、戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉で対戦相手に見せる表情に似ている笑み。

「Sランクは最上の証。しかし、俺達は知っている。

 Sランクへの到達は目標を失うことだ。

 Aランクまでは『Sランク』という目標がある。

 頂点に上り詰めてしまったあとというのは、空しいものだ」

「……」

「もちろん、最後まで守り通し、自分を更に高めるという目標はあるがな」

 時波の言葉に、白倉はくす、と笑う。

「その中で、お互いを尊重出来るライバルの誕生というのは、代え難い。

 吾妻は強い。

 そのうえで、お前を尊重し、しあえるならば、それはとてもいいことだ」

「…うん」

 白倉は頷いて微笑んだ。とても、綺麗に。

「俺も戦ってみたいしな」

「…時波、まさか以前、吾妻を倒すとか言ったの、純粋に戦ってみたいのもあった?」

「あらいでか」

「…そうか」

「…しかし」

 時波は腕を組んで、椅子の背もたれに背中を預けた。

 さっきまでテーブルに身を乗り出していたので、距離が少し離れる。

「九生も難儀だな」

「九生?」

「あれは吾妻で遊んだわけではないだろう」

 疑問符を浮かべる白倉を見つめて、時波は優しい口調で語る。

「あいつは俺達の中で心の関門が一番狭いだろう?

 一番節操ナシに見えるが、その実、付き合う相手を一番厳選する。

 その分、一度親しくしたヤツには優しいからな。

 …面白くなかったんだろう。吾妻が」

「…ごめん。よくわからん」

「告白されたのが俺でも同じだとは思うが、単純に最初は白倉に近づく吾妻を排除する気だったんだろう。

 あいつはお前に優しいし甘い。俺にもだな。

 だが、思った以上に吾妻が本気だったうえ、真剣だったから、ギャグにしたんじゃないのか?」

 からかったことにして。という時波の説明に白倉はやっと「ああ!」と手を打った。

「吾妻を一番認められなかったからこそ、『認めて欲しいならもう一回全校生徒の前で愛を誓え』という心づもりだったんじゃないのか?

 だから俺は協力したんだ」

「あははすっぱり言い切ったー!!」

 腕組み姿勢のまま言い放った時波に白倉は爆笑する。

「そうだな。普通ならお前がまず九生を叱っとるもんな」

「当たり前だ。そもそも実行させん」

「あははっ」

 ばしばしと机を叩いた白倉は、不意にはた、と表情を引き締めた。

「九生がそう言った?」

「言わない。一言も本心はな。そういう面倒なやつだ」

「だな…」

「ただ、持つ能力が能力なだけに、友人を大事にするヤツだと俺達は知っている。

 それから推察するには十分だ」

「…そうだな」

 九生はそういうヤツ、とまとめて、にこにこ笑って「なんか借りようかなー」と言う白倉を見遣って、時波は口の中だけで呟いた。

「…全く、厄介な相手に恋したものだ」

 と。




 その日は校外の見回りも仕事にあった。

 白倉と並んで歩く吾妻は、時折白倉から寄越される視線に、無駄に心拍数をあげてしまう。

 多分然したる話じゃないが、なにかを自分に話したがっている様子だ。

 それも、悪い話じゃない。

 間違っても告白ではない。そんな気持ちは全く感じられない。

 ただ、自分に以前より友好的だと自惚れている。だからこそ、

「吾妻なぁ」

「! うん」

「…なに? その顔」

 足を止めて、びしっと直立不動のポーズを取ってしまった吾妻に、白倉は怪訝そうな視線を向ける。

「いや、なんでも」

「そうか?」

「うん!」

「…」

 まだ、なにか考えている様子で、言い悩むような表情だ。

 なんでも気にしないのに。

「白倉、言っていいよ?」

「え?」

「なんか言いたいんでしょ?」

「…」

「言って。な?」

 まだ躊躇う彼を促した。

 構わない。なんでも言って。

 君の話なら、聞きたい。

「あのな――――」


 瞬間、悲鳴が耳を塞いだ。現実の悲鳴ではない。心の声。

 吾妻がハッとして白倉の背後を見遣ると、道路を走るトラックがこちらに向かってきていた。

 歩道に乗り上げている。運転手はいる。青ざめた顔が見える。

 九生の言葉に他意はないとわかったのに、頭に過ぎる。


『惚れたはれたの相手を助けられんとは情けないの。

 肝心なとこで後込みするんはいかんぜよ?』


 自分の力は発火能力。

 燃やしたのではガソリンに引火する。そもそもそんなことしたら運転手が死ぬ。

 思いついた方法は一つしかない。

「白倉!」

「え」

 気づいて後ろを振り返るところだった白倉を抱き込み、自分の背後に庇うと、足を踏ん張って、両手を構えた。

 息を吸い込んで、両手から炎を発現する。

 突進してきたトラックの車体を、両手で受け止めた。

「あがつ…っ!」

 衝撃で数十㎝背後に下がったが、吾妻は手を離して「ふう」と息を吐いた。

 トラックは停止している。炎上していない。運転手も無事だ。

「お前、なんて無茶っ!」

 自分に駆け寄ってきた白倉が、吾妻の両手を掴んで見た。

 火傷が両手の平にできている。

 吾妻はトラックの車体と接触する寸前に、自分の手の平とトラックの間に小さな爆発を発生させて、その衝撃で止めたのだ。

 しかし、発火能力には変わりない。自分の手がただですまなかった。

「仕方ないよ。僕の力は発火だから。

 …白倉みたいな力があったらいいけど」

「だ、けど…」

「守りたかった。それだけ」

 握られている手の平を見つめて、吾妻は嬉しそうに笑った。

 その表情に、胸が騒ぐ。

「……」

「白倉?」

 本当に、自分を好きだと言うんだ。

 本気で。

「…ちゃんと勝負しろ」

 痛々しい手を掴んだまま、言ったら泣きそうになってしまった。

「…え?」

 突拍子がなさすぎて聞き返した吾妻は間抜けだった。

 意味を理解はしたらしく、間抜けな顔をした。

 白倉は一呼吸して、声を落ち着ける。

「俺は勝負する気なんだよ、戦え」

 声が今度は掠れず、震えなかったのでホッとする。

「……白倉っ…それ」

「ただ! 俺はまだ、お前のこと好きじゃないからな!」

 手を優しく撫でる。

 見上げて、はっきり言った。

「Sランク同士の試合は一年に一回あればいい方。

 だから、それまでに、俺の気持ちを傾けられたら、…そのうえで俺に勝ったなら、いい」

「……しらくら……」

「な?」

 吾妻は耳まで真っ赤にして、白倉の手を振りほどく。

 白倉が気にする暇なく、その場にしゃがみ込んだ。

「反則だよその笑顔…」という情けない声。

「ごめん。今顔見ないで。…はずかしい」

 首筋も真っ赤だ。嫌じゃなく、正反対。

「……情けないなぁ」

 と思わず笑ったら、吾妻に、

「僕は一途だよ!」

 と、真っ赤な顔で言われてしまった。

「…そういや、お前、昨日もだけどよくわかるな」

「…へ?」

「バイクといい、なんでわかる?」

 白倉の質問に、吾妻は赤い顔のまま立ち上がると、迷ったあと、

「ほら、パンツ何色って聞いたでしょ? あ、そういう意味じゃなく!」

 白倉の視線が一瞬で険しくなったので吾妻は慌てた。

「あれはそういう意味」


『……んー、どっちでもいいよ。

 白倉がそう思うなら』


「僕、超能力が二つあるんだ。

 一つは発火能力。一つはテレパス」

「…って」

「簡単に、人の心を読む力ね」

「…………」

 わかりやすい白倉の沈黙に、吾妻はハッとして「いつも使ってないよ? 場合わきまえてるよ!? 今使ってなかったよ!?」と弁解した。

 あんまり必死だったので、白倉は噴き出す。

「わかった」

 と言ってやると吾妻はやっと安堵した。




「好き」って気持ちじゃないけど、気に入った。

 やから、まあ、考えてやる。

 少なくとも、今はそう思う。

 それが、お前への免罪符。

 お前から告げられる愛への、――――免罪符。




 ちなみに帰寮したら、出迎えた九生に、

「ああ、そうそう。俺、例の件の処罰で一週間、週番やることになったから、一週間よろしゅうな♪」

 と言われて、吾妻は絶叫した。

 もちろん、嬉しくない悲鳴。

「失礼やのぅ。一週間だけじゃろ?」

「そんでも嫌なんやろ。独占欲強いんが普通なんかな? 吾妻は」

 九生と岩永の会話が聞こえたが、吾妻はなにも言えなかった。

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