第三話 trick and treat

 吾妻の転校から四日目。

 相変わらず一組に吾妻の姿はない。

 本気で図太いな、と夕も岩永も思う。

 家が遠いならまだしも、寮で、すぐそこの距離なのに。

「白倉」

 教室の扉を見ると、担任が廊下に立っていた。

 名簿で扉を軽く叩いて、白倉を呼ぶ。

 白倉はなんだろうと席を立って、担任の元に行く。

 夕も岩永も気になって、席を立つと後を追った。

「HR欠席でええから、吾妻を寮まで迎えに行け」

「え? やだ!」

 担任の頼みを超高速で断った白倉に、教室の中にいた九生が「うわ言いよった」という顔をする。

 担任はため息を吐いて、白倉の形のいい頭を名簿で叩く。

「お前、自分の不始末忘れたか? ん?

 会長自らの違反。ん?」

「……すみません、今のは条件反射です」

「なら迎え行ってこい」

「……来ないのは吾妻の責任です」

 白倉は反論も弱いが、表情は露骨に「いやだ迎えなんか行きたくないなんであいつのために」と語っている。

「なら寮を出る時に部屋を覗いて引っ張ってくるくらいはせぇ」

「んなこと言われても」

「お前、寮出る時、一回でも吾妻を誘ったことあるか?」

「…………………………………」

 無言の肯定だ。

 今回は白倉にしてはひどく珍しい無精で、だからこそ吾妻への嫌悪が強いことを物語るが、嘘はつけない。それが白倉だ。

「迎えに行け。ええな」

「……ハイ」

「よし」

 死んだ魚のような目で頷き、白倉はゆらーりと幽霊のような足取りで教室を出ていった。

 夕と岩永は顔を見合わせ、追おうとしたが、担任が名簿で道を塞ぐ。

「お前らは、HR。さぼんなや」

「………」

「はい……」

 夕はあからさまに不満そうに、岩永はしかたないという顔で頷いた。




 時刻を見ると、既に九時だった。


(連続二日…休みだね)


 と胸中でぼやいて、寝台に両手をつき、シミのない天井を見上げた。

 吾妻の部屋は随分豪華だ。

 寝台はキングサイズの、柔らかさはこれ以上があるのかと疑うほど。

 天蓋はないが、望めばつけてくれると聞いて「マジか」と思った。

 ランクの高い生徒ならば、希望次第で部屋に様々なものをおける。それも、生徒の負担なしに。

 吾妻のランクの場合、パソコンが希望なら三台までなら用意してもらえるし、テレビも50インチの大型テレビが既にある。

 冷蔵庫も、洗濯機も置いてある。つまり、宛われたのは一部屋ではない。

 寝室と、ダイニング、望めば調理の出来るキッチンに書斎に個人風呂。

 最初来た時は、流石の吾妻も口が開いたままになった。


(え? ここどこのマンション? 家賃は?)


 と半分混乱したのに、案内した岩永というクラスメイトは、

「現在のランクを維持する限り、無料やで、全部」

 と普通の顔でのたまった。

 流石、国内唯一の超能力者育成学園。規模が違う。


 しかし、現在の悩みはそれではない。

 転校前日に出会った白倉。

 あんな美しく、強い人が世界にはいるのだと心を奪われた。

 気づけば目が追う。

 一目惚れなんてしたことなかった。勝手がわからない。

 自分はなにもしなくても女から寄ってくる。それだけの見目と才能があった。

 けど、白倉はそれじゃ手に入らない。

 もし白倉が自分に友好的だったとしても、恋仲になるならば自分が頑張らなければ不可能だろう。いや頑張っても不可能かもしれない。

 なのに、初対面で険悪になってしまった。

 どうしたら仲良くしてくれるんだろう。

 あの岩永や、夕という生徒に向けるみたいな笑顔、見せてくれるんだろう。

 頭の中はそれ一色。

 学校に行かないのは、彼が自分に冷たいから。

 好きなら好きだと表せばいいと思った。

 他の方法を知らないから。

 そうしたら、露骨に嫌われて、さすがの自分もそれを見に学校に行く気力など続かない。

 突破口があるなら知りたい。

「ついこの口が…」

 自分の口を押さえて、呟く。

 気づくといらないことを口走っている。

 彼を前にすると落ち着こう、冷静になろうと誓ったことなど忘れて暴走する。

 彼が自分の前にいるだけで、瞳に映るだけで嬉しい。

 声が聞けるだけで天国だ。

 そんな恋を、こんなに制御不能な恋をしたことがなかった。

「吾妻!」

 チャイムもなしに、扉が開いた。

 部屋の玄関からだ。しかも、それは今、思い悩んでいた人の声。

 聞き間違えるはずがない。すごい勢いで振り返った吾妻は、寝台から立ち上がろうとして、「落ち着け」と呟く。

 いつもみたいに行ったらまた砕け散る。落ち着こう。

 深呼吸して、笑って、よし。

「吾妻、返事!」

 かなりの不機嫌声で寝室の扉を開けた白倉は、やっぱり今日も美しかった。

「あ、白倉! 今日もお肌ツルツルだね!」

「……は?」

 白倉が思いきり、「なんだこいつ…」という顔で数歩さがった。

 吾妻は我に返る。


 あ、また砕け散った…! 僕のアホ!


 と内心、自分を激しく罵ったが、顔には悲しいかな出ない。

 にこやかに微笑んで、「白倉はいつ見ても美人だねって」と言う。

「あ、化粧水なに使ってる?」

 胸中で「なに聞いてるアホっ!」と思っているが、やっぱり顔には出ない。

「んなもん使うか。精々洗顔フォーム使うくらいで」

「どこの会社の製品!?」

「………」

 勢いよく寝台から立ち上がって鼻息荒く聞いたら、白倉が露骨に引いた。

 その反応を見て、吾妻は内心泣きたい。落ち着こうと思っているのになんでこうなるんだろう。

「……知りたいなら、朝起きて食堂で飯食え」

「……いいの!?」

 絶対気持ち悪がった表情で罵られると思っただけに、白倉の落ち着いた反応に、吾妻はびっくりした。

「お前が真面目に学校来るならいいわ。そんくらい。

 そうやって普通に目にして知ってくなら文句言わん。

 変な聞き方するから嫌なんだよ」

「………………………!」

 初めて見た白倉の友好的(?)な反応に、吾妻は激しい胸のときめきと喜びを味わう。

「…おい、なんで顔赤いねん」

「……あ、うん、えー、惚れ直した!」

 胸の衝動のままに微笑んで伝えたら、白倉はやっぱり引いた。

 がーん、とショックを受ける吾妻を見て、視線を逸らしたあと、ため息。

「ま、それがお前のデフォルトと思えばいいか」

「へ?」

「『白倉大好きー』が、デフォルトのヤツと思えばいいんだな。よし」

「……」

 白倉は一人でぶつぶつ呟いてなにかに納得したのか、大きく頷くと、吾妻の前に歩いてきて、手を出す。

「ほら、行くぞ、吾妻」

 自分の前に差し出された白い手の平は、間違いなく自分を待っている。

 その感動に、吾妻の頭はパンクした。

「白倉っ――――ほんとに好きー!!!」

 力一杯その身体を抱きしめて愛を叫んだら、心底苦しがられた。




「お、重役出勤やな。なにしとったん?」

 教室の入り口で自分と白倉を出迎えたのは、岩永だった。

 しかし、吾妻が視線を動かすと、教室内の机の上に座って、自分と白倉を見張っている生徒が二人。

 片方は白倉のルームメイトだと名乗った九生という男だ。

 やっぱり、敵だ。

「吾妻に手こずった」

「いや、そんなんわかっとるし」

「なら聞くな」

 二人の気心知れた掛け合いを聞いて、吾妻はふと思い至る。

 白倉も普通ならいいって言った。

「なあ、岩永と白倉って仲良いね」

 口にしてすぐ、内心ばくばくだ。「これで言い方あってた?」と思い、万一違っていたら、と嫌な汗が出る。

「…ああ、普通に仲いいな?

 一応ここ初等部からエスカレーターやから。

 幼馴染みみたいなもん」

「うん」

 吾妻の動揺とは裏腹に、岩永と白倉は普通に答えた。大丈夫だったらしい。ホッとする。

「て、ことはみんな大抵そんなもん?」

「あー、そうやな。まあたいていは」

「ただ、たまに退学したり転校生が来たり…お前みたいな。

 あと、全校生徒多いから、親しくなるんは一部だけど」

 白倉の口から自分のことが出て、それだけで嬉しくなった。

 自然に笑ってしまい、白倉の手を掴んでぶんぶん、痛くない程度に上下に振る。

「ん? なに?」

「え? ううん。なんでも」

 ぱっと手を離して言うと、白倉はいぶかしげな顔はしたが特に追求しなかった。

「世間話はそんくらいにして、はよ教室入りんしゃい」

 初めて白倉とまともな会話のキャッチボールが出来たことに舞い上がっていて、気づかなかった。

 見ると、岩永の背後にあの九生の姿。

「次の先生来るぜ。吾妻も」

「ああ。ありがとう」

「そうだな」

 白倉や岩永はなんの疑問も持たず、教室の中に入って自分の席に向かう。

 二人を追った九生の視線が、唐突に自分を向く。

 にやり、と笑った顔は、見たことがないくらいの悪人面だった。




 九生は敵だ。あいつは倒さないとやばい。

 そう心に誓った日の放課後だ。

 さぼった分、いろいろ雑務を押しつけられて、くたくたで教室を出る。

 白倉はもう帰ったはずだ。

「お疲れさんやの」

 独特の訛りは、どこの方言と特定できない。

 意図的にあらゆる地方の訛を混ぜた口調は、一人しかいない。

 吾妻は警戒して振り返る。

 背後の、今自分が出てきた教室の壁に背を預けて、腕を組んで微笑む姿。

 九生。

「なに」

 返す声も、我ながら硬い。

「そう警戒しなさんな」

 九生は楽しそうに笑って、「忠告するだけじゃ」と物騒なことを言う。

「お前さん、白倉に深入りすると、天罰くだるぜよ」

「……くだって欲しいもんだね。僕はかまわない」

「へぇ」

 吾妻の返答に、九生はわざとらしい感心の声。おそらく吾妻の回答などわかりきっていた。

 背を、壁から離してすたすたと吾妻の前に歩いてくる。

 吾妻は思わず、背後に下がった。

 気圧された気がして、足を意識的に止めたが、気づけば壁が自分のすぐ後ろにある。


「どんなんでも?」


 自分を下から見上げて、問うた九生の声は低かった。

 悪魔みたいに。

 九生の手が自分に向かって伸びる。下がる場所はもうない。

 自分の首に触れる直前、何故か意識が沈む感覚がした。

 視界が真っ暗になる。

 それは一瞬で、気づくと自分の片手を掴む感触。九生だと思ったが、どうしてか視界は自分の腕を掴む腕しか映さない。他の場所が見えない。悪夢みたいに。

 自分の手を離さない腕から炎がのぼって、自分に襲いかかった。

 熱い気がする。悲鳴が漏れそうになって反射的に、相手に力を発動した。

 自分に向かっていた炎が、自分を捉える腕に向かう。

 視界が切り替わった。自分の眼前が映る。自分の前に立っている人が。

 自分より小さな身長の男。

 でも、顔を上げた彼は、九生じゃない。


「ひどい吾妻。俺を焼くの?」


 自分を見上げて、微笑んだのは、白倉だ。

 なんでここに。ここにいるのは九生じゃ。それよりなんで白倉が炎を。

 いろいろな疑念が一度に浮かぶ中、どうにか炎を制御して、白倉を包む前に消す。

 激しい動悸と、呼吸。耳の奥までうるさい。

「し、らくら…だいじょ…」

 大丈夫かと聞こうと白倉を見て、吾妻は言葉を失った。

 そこに立って、自分を見上げて嫌な笑みを浮かべるのは、九生だ。

 白倉はどこにもいない。

「ほら見ぃ」

 九生の声が聞こえた。

 九生の能力は、夕との対戦でははっきりわからなかった。

 多分、光系統の力だろうと当たりを付けた。

 全部違う。

 今のは、


「全部、はずれじゃ」


 彼は自分から離れて歩き出した。白髪が後ろで一本に結われている。

 尻尾みたいに揺らして、背中が遠くなる。

「お前さんは、俺には勝てんよ」

 予言じみた言葉。畏怖を抱く能力。

 吾妻はその場に立ち尽くして、自分の手を掴んだ。

 さっき、九生が掴んで「いたはず」の腕。実際はどうなのかわからない。

「だけど、倒す」

 掠れた声で誓った。それが聞こえたのか、九生はもう一度振り返って「ふーん」と言った。

 意味深に。


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