第13話 乾季のはじまり ― 試練の大地 ―

の匂いが変わった。

 土の湿り気は消え、草は乾き、空は霞んだ白に染まっている。

 サバンナに、乾季が訪れたのだ。


 「ガウゥ……(水場が遠くなるな)」

 父が呟いた。

 目を細めて遠くを見つめるその姿は、まるで大地そのもののように揺るぎない。


 「グル(群れは動けるか?)」

 「ガウ(子どもたちは少し疲れてるけど、問題ない)」

 リアが答える声にも、わずかな緊張が滲む。

 乾季の始まりは、いつも“試練”の合図だった。



 昼の日差しは容赦がない。

 地面は熱を持ち、空気が揺らぐ。

 獲物の群れも姿を消し、ハイエナやハゲワシの鳴き声だけが響く。


 俺たちは数日かけて、水場のある東の低地を目指していた。

 子どもたちを中央に、メスたちが囲い、雄の俺と父が外を守る。


 風は熱く、乾いている。

 喉が焼けるように渇く。

 それでも、止まるわけにはいかない。



 「ガウ(リア、少し休ませよう)」

 「グル(でも、もうすぐ丘を越えるわ)」

 「ガウ(無理をすれば仔が倒れる)」

 リアが少しだけ目を伏せた。

 「グル(わかった。……あんた、本当に“群れのこと”を考えるようになったわね)」

 「ガウ(父の教えだからな)」

 「グル(そう。あの人、誇らしいでしょうね)」


 リアの声には柔らかさがあった。

 その言葉に、少しだけ胸が温かくなった。



 丘を越えた先に、ひび割れた地面が広がっていた。

 かつて小川が流れていた場所は、今や砂と骨の道だ。

 風が吹くたびに、乾いた草がカラカラと転がる。


 「グル(……何もいない)」

 「ガウ(ガゼルの群れすら消えたか)」


 父が鼻を鳴らし、耳を立てた。

 「グルル(この匂いは……死だ)」


 風下から、かすかに漂う血と腐敗の匂い。

 俺たちは慎重に進み、やがて見た。


 ――一頭のバッファローが倒れていた。

 だが、その周囲にはハイエナの影がいくつも蠢いている。



 「ガウゥゥゥ(……数が多い)」

 「グル(十……いや、もっと)」

 リアが低く唸る。


 ハイエナたちはこちらに気づくと、動きを止めた。

 薄い笑い声のような鳴き声を上げながら、ゆっくりと輪を広げる。

 腐肉を巡る争い。

 それがこの乾季では、命を分ける戦場だった。


 「グルル(父さん……どうする?)」

 父は一歩前に出た。

 「ガウ(奪わぬ。だが、示す)」

 「グル(示す……?)」


 父が喉の奥で唸り、空に向かって咆哮を放つ。

 「ガウウウウウウウウウウウウッッ!!!」


 その声は空を裂き、大地を震わせた。

 ハイエナたちが一斉に身を引く。

 怯え、唸りながら後退していく。


 「グルル(弱き者を奪えば、いずれ己も奪われる。掟は守らせる。それが王の務めだ)」


 俺はその背中を見つめながら、理解した。

 ――“王の強さ”とは、恐怖ではなく、威厳だ。



 その夜。

 俺たちは木陰で休んでいた。

 風は涼しく、月が大地を照らしていた。

 仔たちは寄り添って眠り、リアが俺の隣に身を寄せる。


 「グル(あんた、今日の父さんの背中、見てた?)」

「ガウ(ああ。あれが、本物の王だ)」

 リアが静かに笑った。

「グル(でも、私は思ったの。――あんたも、あの背中に並ぶ日が来る)」

「ガウ(……来ると思うか?)」

「グル(思うわ。だって、もう“群れの目”が、あんたを見てるもの)」


 リアの声は、月明かりのように穏やかだった。

 俺は空を見上げる。

 星々が乾いた空気の中で、やけに近く見えた。


 ――いつか、あの光のように高く、遠くまで届く存在になりたい。

 そう思いながら、俺は静かに目を閉じた。

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