第14話 渇きの群れ ― 生と死の境 ―

乾季が始まってから、どれほどの月日が経っただろう。

 昼の熱気は肌を焼き、夜の風さえも乾いている。

 草は枯れ、木の葉は落ち、獲物たちは水を求めて北へと去っていった。


 俺たちの群れは、ゆっくりと、しかし確実に衰えていた。



 「ガウ(子どもたちの歩みが遅い)」

 リアの声には焦りが滲んでいた。

 俺は彼女の視線の先を見る。

 小さな仔ライオンが二頭、立ち止まって息を切らしている。

 舌を出し、目に力がない。


 「グル(もう一度、日陰で休ませよう)」

 「ガウ(でも、水場まではあと少しのはず)」

 「グルル(“少し”が一番危険なんだ)」


 俺はそう言いながら、草陰を探した。

 だが、影になる木はどこにもない。

 見えるのは地平線まで続く白い砂と、揺らめく空気だけだった。



 そのとき、父の低い咆哮が響いた。

 「グルル(レオン。前方に動く影がある)」

 「ガウ(獲物か?)」

 「グル(……わからん。確かめてこい)」


 俺は頷き、素早く高草を抜けた。

 乾いた風が鼻先を刺す。

 匂いは薄く、風に散っている。

 それでも――確かに、何かがいる。


 近づくと、倒れかけたアカシアの木の下で、一本の角が見えた。

 ――ガゼルだ。

 だが、すでに弱りきっている。

 立ち上がろうとするが、脚が震えて動けない。


 「グル(……助けるか、狩るか)」

 俺は息を呑んだ。

 この状況では、情けは命取りになる。

 だが、目の前のガゼルは怯えもせず、ただ乾いた目で俺を見つめていた。



 「ガウ(見つけたか)」

 父が背後に現れた。

 「グルル(……弱ってる)」

「ガウ(そうだな)」

「グル(狩るか?)」

「ガウ(それをお前に決めさせる)」


 風が止まった。

 俺はガゼルを見た。

 その命は今にも消えそうだった。

 それでも、生きようと必死に立ち上がる。


 「ガウウゥゥ……」

 喉の奥で唸りが漏れた。

 牙を剥けば、すぐに終わる。

 群れの腹は満たされる。

 けれど――


 俺は一歩、後ろに下がった。


 「グル(……まだ生きてる。生きようとしてる)」

 「ガウ(なら、見届けろ)」

 父の声は、静かだった。


 俺たちはそのままガゼルに背を向け、群れのもとへ戻った。



 その夜。

 俺は遠くで聞こえるハイエナの笑い声を聞きながら、考えていた。

 「命を奪う」ことと「命を繋ぐ」こと――それは表裏一体だ。


 やがて、リアが俺の隣に来て座った。

 「グル(あのガゼル……)」

「ガウ(まだ生きてるかもしれない)」

「グル(あんた、迷ったのね)」

「ガウ(迷った)」


 リアは少し笑った。

 「グル(いいと思う)」

 「ガウ(え……?)」

 「グル(迷える王って、きっと強いのよ。全部を切り捨てるより、考えられるほうが怖い)」


 俺はその言葉に、何も返せなかった。

 ただ、月を見上げた。

 白い光が、乾いた草を照らしていた。



 翌朝。

 俺たちはまた歩き出した。

 太陽は容赦なく照りつけ、汗の代わりに血の匂いが立ち上る。


 そのとき――

 遠くから、微かな水音が聞こえた。


 「グルル(……川だ!)」

 メスたちが一斉に顔を上げる。

 仔たちが走り出す。

 リアの瞳が光る。


 俺と父は先頭に立ち、走った。

 枯れた木々を抜け、岩を越えた先――

 そこには確かに、細い川が流れていた。


 水の匂い。

 命の匂い。


 俺たちは次々と水辺に顔をつけた。

 冷たさが喉を潤し、体の芯に沁み渡る。

 群れの中から、安堵の声が漏れた。


 「ガウ(よく見つけたな)」

 父の声に、俺は静かに頷いた。

 「グル(……生き延びたな)」

 「ガウ(ああ。だが、乾季はまだ始まったばかりだ)」


 風が吹いた。

 その風の中に、遠くの匂いが混ざっていた。

 ――獅子の匂い。


 俺は顔を上げる。

 夕焼けの向こうに、黒いたてがみの影が一瞬、揺れた。


 「グルル(……次の試練が来る)」

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