第12話 夜の静寂 ― 傷と誓い ―

夜のサバンナは、驚くほど静かだった。

 昼間の熱気がすっかり引き、風はひんやりと肌を撫でる。

 虫の声が遠くで響き、月の光が白く大地を照らしている。


 戦いは終わった。

 放浪雄たちは去り、群れに平穏が戻った。

 だが俺の胸の奥では、まだ血が熱く滾っていた。



 「グル……(痛む?)」

 リアの声がした。

 俺は横になりながら、体を少し起こす。

 肩と脇腹に浅い傷。動かすたびに疼くが、致命的ではない。


 「ガウ(大丈夫だ。これくらいならすぐ治る)」

 リアは俺のそばに座り、舌で丁寧に血を舐め取った。

 彼女の動きは静かで、優しかった。


 「グル(怖かったのよ……)」

 「ガウ(あのとき?)」

 「グル(ううん。レオンが“別の獣”みたいな顔してた)」

 リアの瞳が、月の光を映して揺れた。


 俺は何も言えなかった。

 あの瞬間、たしかに自分でもわかっていた。

 守るためとはいえ、牙を立て、相手の血を求めた。

 “本能”と“理性”の狭間にいる自分が、恐ろしくもあった。



 「グル(それでも……)」

 リアが俺の傷口を見つめながら言った。

 「ガウ(あんたがいなかったら、群れは守れなかった)」

 「グル(……)」

 「ガウ(だから、怖くても、誇らしかった)」


 風が吹く。

 草がざわめき、月の光が波のように揺れる。


 俺はリアに向かって小さく唸った。

 「グル(ありがとう)」

 「ガウ(ふふ。素直じゃないのね)」

 リアが微笑み、鼻先を俺の頬に寄せた。

 その温もりが、戦いの痛みよりも強く心に染みた。



 しばらくして、父が近づいてきた。

 その姿はいつも通り堂々としていたが、目の奥に疲れが見える。

 「グルル(まだ起きていたか)」

 「ガウ(眠れなくて)」

 父は俺の隣に座り、夜空を見上げた。

 星が無数に瞬いている。


 「グル(戦って、どうだった)」

 「ガウ(怖かった。でも……守りたいって思った)」

 「グルル(それが王の始まりだ)」


 父は静かに続けた。

 「ガウ(強さは、牙や爪の鋭さではない。群れを生かす力だ)」

 「グルル(生かす……)」

 「ガウ(守り、導き、時に引く勇気を持つ。それを忘れるな)」


 父の横顔は、月の光の中で白く輝いていた。

 その背中が、今夜ほど大きく見えたことはなかった。



 やがて父は立ち上がり、俺を見下ろした。

 「グルル(お前の中には、二つの力がある)」

 「ガウ(……二つ?)」

 「グル(本能の牙と、心のカリスマだ)」

 父の瞳が鋭く光る。

 「グルル(牙だけの王は、血に沈む。心なき王は、群れを失う)」

 「ガウ(じゃあ、どうすれば……)」

 「グルル(両方を持て。牙で守り、心で導け)」


 その言葉は、まるで刻印のように胸に焼きついた。



 父が去ったあと、リアが静かに言った。

 「グル(あなたのお父さん、本当に王ね)」

 「ガウ(ああ)」

 「グル(……あんたも、きっとそうなる)」


 リアが体を寄せた。

 彼女の体温が心地よい。

 俺はそのまま目を閉じた。


 ――牙で守る。

 ――心で導く。


 父の声が、夢の中でも響いていた。

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