異世界のやつ

宮野優

異世界のやつ

※作者からのご注意

 こちらは内輪向けの、二次創作ではないけれど半ば二次創作的(?)な小説となりますので、下記の真のタイトル*1やタグでピンとこない方は楽しめないかもしれない旨、あらかじめお断りしておきます。一度ならず二度までも、誠に申し訳なく思っております。

 また本作のエピローグの展開は、とある海外のSF短編小説とだだ被りしておりますが、オマージュということでご容赦いただけるとありがたいです。


*1かりそめのタイトルは少しでも各方面にご迷惑がかからないよう配慮した結果とご理解ください。




   異世界トドオカ



 彼が目を覚ましたとき、まず視界に飛び込んできたのは珍妙な衣装の女性二人だった。十代後半くらいの少女と十歳程度の子供。その直後に居並ぶ甲冑の男たちを視認し、そして辺りを見回す前にを目撃した。

 前方上方の窓から見える影。空を舞うには巨大すぎることがこの距離でもわかる生物。それは――ドラゴンと呼ぶしかない形の生き物だった。

 彼は瞬時に理解する。これは――いわゆる「異世界」というやつだ。

 彼は脳を高速回転させる。まずは、夢の可能性を疑う。俗に言う異世界転生――いや、どうも自分の身体は見慣れた中年男性の肉体そのままらしいので、これは異世界転移と呼ぶのが正確か?――などということが現実におこるはずがない。だが夢にしては妙に現実感があるし、夢の中で真っ先に夢の可能性を疑うものだろうか。

 次に考えたのは妻のことだった。これがもし悪い夢でなかったら? 自分は元の世界に帰れるのか。異世界に飛ばされたことや、この後に待ち受けるものへの不安より、何よりも彼の焦燥感を駆り立てたのは、妻にもう会えない、妻を置き去りにしてしまうという恐怖だった。

 そしてその後に考えたのが、SNSソーシャルネットワーキングサービスのことだった。――この体験、ただの夢ならフォロワーに話すいいネタになるな。咄嗟にその考えが浮かんできたことに彼自身が驚いた。三番目に思いを馳せるのがよりによってX(旧Twitter)とは――

「このような形で突然お呼び立てしてしまったこと、まずはお詫びいたします」

 数秒のうちにそんなことを考えていると、若い方の少女が話し出した。こんな小さい子なのにしっかりしとるなあ、と場違いな感想が浮かんだ。

「わたしは召喚士のハレと申します。あなたをこの世界を救う勇者として、別の世界から召喚いたしました」

 彼は漫画はよく読む男だったが、いわゆる「異世界もの」というジャンルにはあまり明るくなかった。過去に一作そのジャンルの大長編を読み、そのあまりの名作ぶりに感動し、本一冊分にもなる感想をしたためたことがあったが、基本的には彼が愛読するジャンルというわけではなかった。

 そんな彼でもわかる。これが異世界ものでよくあるテンプレ的展開ということが。

「……なぜ私が?」とりあえず訊いてみる。

「それはこちらの者――予言者ランがご説明します」

 十代後半くらいの方が一歩進み出る。それどころではなかったので気にしていなかったが、二人の少女は随分と布面積の少ない服を着ている。これが異世界ものアニメならいいサービスなのかもしれないが、彼にとって目の前で若い女性が露出度の高い格好をしているのは、ただただ居心地が悪かった。着ているユニフォームを脱いで「そんな格好してたら風邪引くで」と渡してやりたいほどだった。

「予言者のランと申します。以後お見知り置きを。勇者様のことは、何とお呼びすればよいでしょう?」

「私は……トドオカと申します」

 自分をこの世界に呼び出した彼女らが、自分にとって味方となる存在か確信が持てなかった。彼は警戒心の強い人間なので、そういう相手に本名を名乗ることはしない。だがこの異常事態に瞬時に偽名も思いつかず、咄嗟にSNSで使用しているアカウント名を名乗ってしまった。

「トドオカ様、単刀直入に申しますと、あなたにはこの世界を滅ぼそうとする悪しきドラゴンを――」

「ちょっと待ってください。先に一ついいですか? 私が使う言語は日本語というもので、どう考えてもそちらが使ってる言語とは別のものだと思うんですが、これはその、何か魔法のようなもので自動的に翻訳されてるということでしょうか? もしそうなら、その翻訳の正確さはどの程度信頼していいんでしょうか? 我々が意思疎通するのに、細かいニュアンスなんかはお互い正しく伝わってると思って大丈夫なんですかね」

 二人の少女も周りを固める兵士たちも、異世界らしくどう見ても日本人とは顔立ちが違う。いや、ハレだけは髪も目も黒っぽいから日本人の子供でも通用しそうだが、ランに至っては金髪碧眼でアジア系には到底見えない。かと言ってヨーロッパ系かと言われるとそれもピンとこない。そういう異世界人らしい風貌の彼らが、いやそもそも容姿を抜きにしても異世界の人間が日本語を話すはずがない。

「……そんなことをお尋ねになったのはトドオカ様が初めてです。ええ、わたくし共が用いる自動翻訳魔法は、対象者の魂に作用するもの。対象者が心の底から伝えたい意志がはっきり伝わるものと捉えていただいて構いません。諸外国との交渉にも我々は常にこの魔法を使ってきました」

「そういうことなら安心です。すいませんね、何事もきっちりしておきたいタチなもんで」

「いえ。ハレの召喚魔法で一度に召喚できる勇者は一人だけですから。わたくしたちは蛮勇よりも用心深さを求めます」

「それでその勇者として私が選ばれたわけは……」

「わたくしが予言したのです。『ドラゴンが再びこの国を襲うとき、龍と虎の魂をまといし勇者が現われ、世界を救うであろう』と」

 ランはトドオカの胸元をじっと見た。――最悪や。トドオカの着た阪神タイガースの、選手がプレーするときに着ているものとは意匠が大きく違うユニフォームには、胸元にばっちり虎のリアルなイラストが描かれていた。




 野球に、というかスポーツ全体に関心がないトドオカが地元球団のユニフォームを身に纏っていたのは、職場の付き合いで見たくもない野球観戦に出かけていたからだ。揃いのユニフォームまで渡され、何が楽しいのかもよくわからないまま人生で数度目の試合観戦を終え、近くの橋を通りがかったときトラブルに巻き込まれた。酔っ払った若者グループと試合に負けて腐っていた同僚が言い争いになり、掴み合いのけんかになって橋から落ちそうになった同僚をかばったとき、気づけばトドオカの身体は宙を舞っていた。

 道頓堀に飛び込む野球ファンを冷めた目で見ていた自分がまさか野球観戦の後で川に落ちるとは――そんなことを考えたのが最後の記憶だった。そういえば水面に叩きつけられる瞬間、川の水が強く光り輝いた気がする。どうやらトドオカはあの瞬間異世界に召喚されたらしい。

「いや、これは普段は着ない、人に渡された服なんですよ。虎の魂、纏ってません」

「わたくしの予言は、今まで外れたことがありません。そしてハレがこの世界に同時に二人の異世界人を呼ぶことができない以上、予言の勇者はあなたです」

「これまで外れたことがないのは、これからも外さないことを意味しませんよ。間違いは誰にでもある。恥ずべきことじゃありません。大体こんなただの中年男が勇者に見えますか?」

 とにかく元の世界に帰りたくて必死だった。訳のわからないファンタジー冒険などしてたまるか。話の種になるような面白い体験は好きだが、それは命の危険がないものに限る。

「……確かにもっとお若い方を想像していましたが、年齢は関係ありません。勇者であるあなたはこの世界に召喚された瞬間、精霊の加護を得たはず。ご自身でもわかるほど、身体の奥から湧き上がる力を感じていらっしゃるはず」

 表情に出ないよう必死で抑える。確かに、先ほどから身体中に力が漲っているのを感じていた。五十歳を迎え体力の衰えをひしひしと感じていた日々が嘘のような、二十歳の頃のような覇気が身体に満ちている。

 だがやれるかやれないかではない。自分はやりたくないのだ。そう思ったとき、ふと脳裏に妻の言葉が浮かんだ。

 ――あなたは冷たく見えるけど、本当は誰かに頼られると、助けずにはいられない人だから。

 あれはもうずっと前、彼女と付き合い始めた頃に言われたことだった。なぜ今こんなことを思い出す。安請け合いなどして、彼女の元へ帰れなくなったらどうする。

 ふと顔を上げてギョッとした。召喚直後に窓から見えたドラゴン。あれの大きさが明らかに倍以上に――つまりこっちへ近づいている。

「トドオカ様、実はこんな問答をしている時間はないのです。あのドラゴンはもうじきこの城までやって来ます。兵士たちも命を賭して戦いますが、ドラゴンを葬ることができるのはあなた様だけでしょう。お覚悟を決めてくださいませ」

 しかし、あんな怪物とどう戦えと言うのだろう? あの巨大な質量で空を舞う時点で、自分がいた世界のどんな生き物とも比較にならない化け物だ。何らかの魔法で飛んでいるにしても、どちらにせよ人智を超えている。

「この城には勇者のための武具をいくつも運び込んでいます。由緒ある聖剣から伝説の鎧まで、お好きなものを――」

「そんなもん、上手く使える気がせんわ――」

 トドオカは深呼吸して、ランを見据えた。

「一つ聞きたいんやけど、精霊の加護? っちゅうのはどの程度のもんなん? ドラゴンのしっぽの一撃で身体がバラバラになるようじゃお手上げやで」

「精霊の加護は、この世界でただ一人勇者にだけ与えられる特別な力。その力はドラゴンの怪力や炎の息にも耐えうるものです。過去に召喚された勇者たちは、皆その力でドラゴンと互角に戦ったと歴史に刻まれています」

 トドオカの前にもこの世界に召喚された者がいるらしいことは、彼女たちの口ぶりから予想できていた。

「互角。つまり勝ったわけではないと?」

 そう尋ねると、ランは露骨に目を逸らす。

「……どの勇者様も勇敢に戦い、ドラゴンと刺し違えて息絶えたと記録されています」

「……そうか。召喚士のお嬢ちゃん」

 トドオカは沈痛な面持ちで顔を伏せる子供に呼びかけた。

「は、はい」

「ドラゴンを倒して世界を救ったら、元の世界に戻してもらえるってことでええんかな?」

「はい! 間違いなく元の世界の、元いた場所に送り返すことができます」

「嫌なことを聞くけどな、今まで生きて帰った勇者がいないのに、どうしてわかるんや」

「それは……わたしが感覚としてわかると言うしかありません。あなたを呼び出すときも、あなたが川に落ちる瞬間をわたしは見ていました。送り返すときも、あなたを送る先が見えるはずです」

「そうか……まあ信じるしかないわな」

 ならば今すぐ送り返してくれと言うのは無駄だろう。自分がいなければこの世界は滅ぶと、少なくとも彼らはそう信じているらしい。トドオカは無駄な頼みはしない主義だ。

「ハレ、一つだけ頼まれてくれるか。私が死んだら、遺体を元の世界に送り返してほしい」

 この異世界で死んで、元の世界で行方不明者扱いされることだけは避けたかった。だがハレは俯き、か細い声で語り出した。

「ごめんなさい。それはできないんです。あなたを見つけて召喚したり、元いた所に送り返せるのは、あなたの魂があなたのいた世界と深く結びついてるから。でも死んでしまうと、魂は消えてあなたの世界との繋がりがなくなってしまう。そうなったものは、元いた場所や時間に送り返せないんです」

 なるほど。死体になったただの物体は、遺族の元に返すこともできないらしい。

 トドオカが行方不明になったら、妻は彼のことを探すだろう。まさか異世界でドラゴンに殺されたなどとは知る由もなく、ずっと探し続けるだろう。生命保険も支払われることなく。退職金はどうなるんだったか。とにかく、そんなことは絶対避けなければならない。

「ということは、あっちの世界から現代兵器や何かを持ってくることもできない……持ち込めるのは身につけた服くらい……っちゅうことやな。まあそんなもんを持ってこれるなら、最初からやってるか……」

「すみません、わたしたちは予言の勇者に、トドオカ様に頼ることしかできないんです。この世界の人間をそちらに送っても、魂はこの世界と結びついているので、正確な場所や時代に送れないし、呼び戻すこともできないんです」

「そうか。残念やな。あっちの世界には、あんなドラゴンでも簡単にやっつけられるような武器がいくらでもあるんやで。まあそれはいいことかわからんけどな」

「トドオカ様は、この国より遙かに文明が発展した国の方なのですね」

 ランが目を見開く。人間がドラゴンを容易に殺しうることが信じられないようだ。

「君らが見たら、きっと魔法のように見えると思うで。そや、この世界の魔法に、遠くの人と話す、みたいな魔法はある?」

「はい、念話の魔法というものがありますが」

「あっちの世界には魔法はないけどな、人が進歩させた文明は魔法と同じことができる。遠くの人と話すの、ワイはいつもやっとるで。それも一度に何十人もや」

 トドオカはこの極限状況において、またもX(旧Twitter)のことを思い出す自分に呆れた。

 ――まったく。もし死ぬときに、走馬灯にフォロワーのアイコンでも浮かぼうもんなら洒落にならんで。

「本当ですか? 念話魔法は一対一でしか使えないのに……」

「まあとは言っても、集まって話すのはくだらないことばっかりや。漫画の――絵物語の感想やったり、ワイに変な獣の肉や虫を送りつけて食わしたり、なぜか人を冷酷な反社会的組織の人間のように扱ったり、うちの嫁さんをトドオカの嫁だからとヨメオカ呼ばわりしたり――」

 トドオカは自分が饒舌になっていることに自覚がある。形を持った“死”が近づいていることで、テンションがおかしくなっているのかもしれない。

「トドオカ様は……元いた世界で邪悪な人々に虐げられてきたのですか?」

 ハレもランも呆然とした表情だ。心なしか周りの兵士たちまで引きつった顔をしている。

「いや、そういうわけじゃ……邪悪な人々でないとも言い切れんけど」

 こうして列挙すると、自分のSNS活動は随分奇妙なものに思える。これを呆れながらも許してくれている妻の鷹揚さに、トドオカは改めて感謝する。

 ドラゴンはもうすぐそこまで飛来していた。――何が何でも生きて帰るで。

「さて、もう時間がなさそうや。ドラゴンがこっちに来るなら、城内で迎え撃つ。あの図体で飛行できる生き物と外で戦うのは不利や。この広間で戦えば、ちょうどあいつの動きが制限される。悪いけどここで暴れさせてもらうで」

 ドラゴンがここを目指す理由だったり姿を見せない城主(王様?)だったり、まだ気になることはあったが、トドオカはこれ以上余計な情報を頭に入れたくなかった。頭を切り替えて、戦いに備える。

「嬢ちゃんたちは早よ逃げや」

「いいえ、わたくしたちも戦います。わたくしは治癒魔法が使えますし、ハレの召喚魔法は――」

 ランの台詞は途中で途切れた。ドラゴンの巨軀が広間の壁をぶち抜いたからだ。

 ハレの方に飛んできた瓦礫から彼女をかばおうとして、咄嗟に飛び出した自分の速度にトドオカは驚いた。明らかに人類の限界を超えた力。これが精霊の加護か。

 振り向いてドラゴンの全体を視界に収める。かつてRPGで何度も見たような、典型的な形のドラゴンと言ってよかった。体高はざっと四から五メートル。動物園のキリンと同程度だが、質量は倍以上ありそうだ。そこから生み出される怪力は――考えたくもない。

 ドラゴンが大きく息を吸い込んだかと思うと、炎のブレスを吐き出した。広間を炎が舐めるように包み込む。兵士たちは素早く動いて直撃を避けたが、ランが逃げ遅れた。

「アカン!」

 トドオカはランの前に飛び出し、背中で火炎を受け止めた。背中に強烈な熱を感じ、呻き声が漏れる。

 突然頭から水を被せられ、服についていた火が消えた。ハレが叫ぶ。

「水の精を呼び出しました! 炎はすぐに消せます!」

「ありがとな、召喚士のお嬢ちゃん。頼りにしとるで」

 すぐに消火できたとはいえ、ユニフォームが一瞬で焼け落ちてしまった業火を浴びて、トドオカの身体は軽い火傷程度のダメージしか負っていなかった。この耐久力なら、やれる。

 振り向いて怪物を睨み付ける。ドラゴンというのは意思疎通のできる存在なのかというのも気になっていたところだったが、答えはもうわかった。こいつは殺すしかない相手だ。

 背後でランが息を呑む気配がした。服が燃えたせいで、気づかれたらしい。

「りゅ、龍の魂を纏いし勇者……」

 ランが見ているはずの背中、そこには昇龍の刺青が、トドオカの過去の過ちが刻まれている。




 トドオカが悪の道に進んでしまったのは、十代から二十代前半の頃だった。

 自分ではそれが悪だと思っていなかった。社会の欺瞞に染まらず、己なりの義の道を、任侠道を邁進しているのだと思っていた。だが仁義を重んじ、弱きを助け強きをくじく極道など、フィクションの中だけの存在だった。

 二十歳になる前から無敵の喧嘩師として知られた彼の最後の喧嘩は、汚い商売に手を染めていた身内の組員十数人を相手にした大立ち回りだった。その後刑務所に収監され、人生を見つめ直したトドオカは、裏社会から完全に足を洗った。

 二度と暴力に身を任せないと誓い、まともな勤め先で真人間になろうと奮闘したトドオカだったが、元暴力団組員の前科者に対する風当たりは強く、挫けそうになったことは一度や二度ではない。

 後の妻となる女性と出会ったのはこの頃だった。児童養護施設出身の孤児だという彼女は、自身も様々な苦労を経験してきたからか、トドオカと話が合った。だが彼のような忌むべき過去の持ち主を受け入れてくれたことは、今でもトドオカにとって不思議なことだった。

 一度道を踏み外した者に社会は冷淡だし、それは仕方のないことだ。当時の苦労をトドオカは、自分が受けるべき当然の報いだったと思っている。

 だから自分の過去を受け入れ将来を共にすると決めてくれた妻にも、己の能力を評価してくれて過去の経歴ごと受け入れてくれた今の勤め先にも、トドオカは感謝している。勤続二十年を超えた会社には、もはやトドオカが前科者であったことを知る者の方が少ない。

 それでもときどき不安になることがあった。妻とはけんかの一つもしたことがなかったが、職場で部下を指導したり注意したりしなければならないとき、暴力の世界に身を置いていた名残が出てしまっていないか、強い叱責と受け取られるような言動をしていないか、気を遣わない日はなかった。

 五、六年前から気紛れで始めたSNSはトドオカにとっていい息抜きになっていたが、X(旧Twitter)のフォロワーたちから冗談でパワハラ上司や極道キャラ扱いされているとき、一緒になって笑いながらも心の片隅には不安がもたげた。封印したはずの自分の暴力性が、意図せずに顔を出してしまっていたのではないかと。

 自分が昔流行した音楽などにあまりに無知なことを晒すと、フォロワーからは「トドオカさん刑務所に入ってて外界と断絶してんじゃないですか(笑)」とからかわれるが、トドオカはその度冷や汗をかいたものだ。期間こそ違えど、服役していたのは事実だからだ。

「考えすぎだって。今のあなたのどこに、昔荒れてた頃の面影があるっていうの」

 トドオカの心配を妻は笑い飛ばした。彼女がそう言うならきっと大丈夫なのだろう。トドオカは長年連れ添った妻の言葉に絶大な信頼を置いていた。

 人との出会いに恵まれ、暴力を遠ざけ続けることができた四半世紀。だがここに来て、彼の非凡な暴力の才能が、全く予想外の方向で役立つ事態が訪れることになった。




 炎のブレスが致命傷にならないとわかった今、トドオカはもうドラゴンを恐れていなかった。

 振り下ろす爪も、叩きつけてくる尻尾も、当たれば凄まじい衝撃だろうが、今の彼にとってよけるのは造作もなかった。あとはハレやランや他の兵士たちが巻き添えにならないよう下がっていてくれるだけでよかった。

「なんぼ図体がデカくても、喧嘩は下手みたいやな」

 ドラゴンの大雑把で隙だらけな攻撃をかわして、かつて百を超える不良や極道を地に伏せた拳を打ち込む。あの荒んだ青春時代に染みついた殴り方は、これほどの年月を経ても身体が覚えていた。一撃では大きなダメージを与えられないが、それなら死ぬまで殴るだけだ。

 ドラゴンは確かに強い。おそらくこちらの世界で最強の生物なのだろう。だがそれゆえに「安全な戦い」しかしてこなかったはずだ。トドオカは違う。喧嘩は生まれつき強い方だったが、それゆえに「危険な喧嘩」に巻き込まれる日々だった。相手が複数、武器持ち、そんなことは日常茶飯事だった。どちらがより実戦に強くなれるかは明白だった。

 ドラゴンはついに痺れを切らし、巨大な牙が並んだ顎でトドオカをかみ殺すべく、その首を床に伸ばした。強く殴りやすい位置に急所が下りてきてくれる、待ち構えていた好機だった。

「残念やったな。くぐった修羅場の数が違ったみたいやで」

 トドオカの渾身の拳がドラゴンの眼窩を貫き、その奥の脳に致命的な一撃を与えた。




「……は? ドラゴンは他にもいる?」

 ドラゴンの亡骸が存在感を放つ崩壊した広間で、ランの治癒魔法で全身の火傷や打撲を治療しながら、トドオカは呆然と天井を仰いだ。

「はい。今トドオカ様が討伐したのが悪竜ルーワ。他にこの地を脅かす悪しきドラゴンは、暴竜バーレーン、魔竜ヴィール、邪竜ヨコマシー、虐竜シタゲル……」

「ちょ、ちょい待ち! 勇者に討伐させるつもりだったドラゴンは何体いるんや!」

「その……全部で二十体になります」

 さすがにバツが悪そうにランが小さな声で言う。

「複数いることは、ご承知かと思ったんですが……」

「なんやて? ……ああ、そうか。日本語に翻訳しとるせいか。これが英語だったらdragonsで複数形になるから間違えようがなかったんやろうけど……いちいち「ドラゴンたち」って翻訳せんかぁ……」

 ハレの方に目をやる。この小さな女の子を脅して、自分を元の世界に送り返させることは可能だろうか? 一瞬だけ考えたその案をすぐに却下する。そんなことをして、いやそれでなくても助けを求める子供たちを見捨てて家に帰って、妻に合わせる顔があるだろうか?

「あ~せめて嫁さんにだけでも、必ず帰るから心配するなって伝えたいんやがな~。でもどうせ、一度向こうの世界に帰ってからもう一度召喚してもらうわけにもいかないんやろ?」

「はい……以前それをやろうとして失敗した事例が記録されています」

 ハレが俯いた。

「トドオカ様は、奥様のことを深く愛していらっしゃるのですね」

 ランがやや伏し目がちにそんなことを呟く。別に恥ずかしがっているようではなかったが、聞いているトドオカの方は恥ずかしい。

「いや、なんというか……まあそうとも言えますが……」

「? なぜはっきりと仰らないのです?」

「いや、そのですね。日本の……私がいた国の男はですね、『愛してる』なんて言葉はそうそう口にしないものなんです。まあ特に私は見てのとおり古い人間、おじさんですからね」

 それは半分嘘だった。日本人がどうとかそんなことは関係ないし、トドオカは別段古風な男でもない。ただ昔から恋愛への興味が薄く、特に甘いラブストーリーに出てきそうな歯の浮くような台詞を自分が口にするなど、想像しただけで蕁麻疹が出るのだ。

「そんなのよくないです! ちゃんと言葉にしないと後悔します!」

 急に食ってかかってきたハレに目を丸くする。

「わたしたち召喚士は、勇者様の遺言を最期に聞かされることもあります。――お預かりした遺言を元の世界に送ることはできませんが。多くの勇者様は、残してきた家族へ『愛してる』と言い残します。そして、もっと『愛してる』と言っておけばよかったとも……」

「……」

「だから、トドオカ様も生きて帰って、ちゃんと伝えてください」

「……前向きに検討します」

 トドオカは今回の一件で、自分にとって妻がどれだけありがたい存在かを改めて思い知っていた。ハレの言葉を、適当に流すのではなく本気で受け止めるほどに。

 そしてこうも考える。自分にはできすぎた妻に、恥ずかしくない夫として胸を張って帰還したい。忌まわしい過去の遺物として引け目を感じていた暴力の才能で、誰かを助けることができるなら――

 ハレを見つめ返す。日本の子供めいた風貌のせいか、水の精によるトドオカへの消火活動のせいか、この子には不思議な親しみを感じていた。見捨てて帰ることは、やはりできそうもない。

「ま、まあとにかく……ここで帰るのも寝覚めが悪そうやしな……他のドラゴン、居場所の目処はついてんの?」

 ハレとランが、わかりやすく目を輝かせる。

「はい! わたくしの予言で悪しきドラゴンの住処は見当がついております!」

「わたしもランも、トドオカ様にお供させてもらいます! 召喚魔法できっとお役に立ちます!」

 仕事は短期間でなるべく早くこなすのが好きだ。誰かを待たせているなら尚更。トドオカは立ち上がって宣言する。

「そうか。そういうことなら、残り十九体のドラゴン、さっさと全部ぶっちめてやろうやないか! 最後まできっちりとな!」




   エピローグ ~異世界ヨメオカ~



 トドオカは懐かしの我が家の玄関に立ち、緊張しながらチャイムを押した。

 異世界で全てのドラゴンを倒すまで、実に二年の歳月がかかった。

 向こうから城に襲来してきた最初の一体のように、全てが順調に討伐できるはずもなかったのだ。気づけばハレやランや時に他のお供と月日を共にし、他の国や他の大陸にまで足を伸ばすことになった。控えめに言って、大冒険の日々だった。

 無事にドラゴンを討ち滅ぼし、トドオカが元の世界へ帰る段になると、ハレは大泣きしてしまった。ランは目尻に涙をためる程度で済ませる分別があったが、まだ子供のハレはそうもいかなかったようで、盛大に大泣きしていた。トドオカも苦楽を共にした仲間との別れは辛かったが、元来人に涙を見せるタチでないのもあって、さすがに泣いたりすることはなかった。

 それに、ハレとことがわかっていた。

 扉を開けて、懐かしい妻の顔が出てくる。

 の夫を見て、しかし彼女は驚いた様子の一つも見せない。

 ハレの召喚魔法で勇者を元の世界に送り返す際、召喚されたその日に送り返すことは不可能だった。異世界で二年過ごしたトドオカを送り返せるのは、トドオカが川に転落して異世界転移した日の二年後だけ。

 トドオカは可能な限りドラゴン討伐を急いだが、それでも二年間もかかってしまった。しかしトドオカの焦燥は、ある時期を境に薄れた。

 妻はだということに、気づいたからだ。

「……ただいま。待たせて、すまんかった」

「……お帰りなさい」

 苦労をかけたはずだ。彼が心配したとおり、行方不明扱いでは生命保険金もおりなかったろうし、勤め先も退職金を渡せたものかわからない。それでも彼女はたくましく暮らしてきたはずだ。彼女は姿のだから。

「……本当に、待たせてすまんかったな、ハレ」

「……お勤めご苦労様でした、トドオカ様」

 冗談めかして言いながらも、妻の目には涙がにじんでいた。

 異世界でしばらく気づかなかったのも無理はなかった。最後に見たハレの姿でさえ、トドオカが若い頃に出会った妻と比べると、ずっと小さな子供だった。


 ――この世界の人間をそちらに送っても、魂はこの世界と結びついているので、正確な場所や時代に送れないし、呼び戻すこともできないんです。


 ハレがあの世界での全てを捨てて戻れない旅に出ることを決意したのはいつだったのだろう? トドオカが帰還したすぐ後なのか。それとも数年経ってからか。どちらにせよ、彼女がこの世界に自分を転移させたとき、トドオカが召喚された時代とは大きくずれた時代に来てしまったはずだ。

 旅の間、トドオカはハレに元いた世界の話をよく聞かせていた。彼女はいつも目を輝かせてそれを聞いていた。それだけでもこちらの世界への片道切符を使う動機にはなったかもしれない。だがそれはトドオカ自身へのごまかしだ。本当はわかっている。ハレは、たぶんトドオカに会えると思ってこの世界へ来たのだ。


 ――児童養護施設出身の孤児だという彼女は、自身も様々な苦労を経験してきたからか、トドオカと話が合った。


 トドオカから聞いていた時代よりずっと過去に来てしまったことは、聡明なハレならすぐに気づいただろう。それから彼と再会するまでの歳月、彼女は見知らぬ世界で生きてきたのだ。身分を親に捨てられた孤児と偽って、本当の名前も捨てて。

 そしてハレなら程なく気づいたはずだ。児童養護施設出身というトドオカの妻の境遇と、自分がこちらの世界で置かれた境遇が同じであることに。

 自分こそが、後にトドオカの妻となる女性であるということに。

 で孤独に生きてきた彼女の苦労を思うと胸が痛んだ。だが全てはで、トドオカにはどうすることもできなかった。あの世界で共に旅をしている間、彼女に真実を打ち明けることもできなかった。

「すまんかった……いや、ありがとう。今までずっと、ありがとうな」

 彼にできるのは、ただ目の前の妻を抱きしめることだけ。

 そして、日本の男が軽々しく言わないはずの――彼が決して口に出したりしないはずのあの言葉を、ただ繰り返すことだけだった。


                 END

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異世界のやつ 宮野優 @miyayou220810

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