第十八章:沈黙の対話

世界から色が、音が、そして意思が消え去った。

赤い光の嵐が嘘だったかのように、アンデス山頂には、宇宙の真空にも似た絶対的な静寂と、月光だけが降り注いでいた。

『……ヤヌスッ!』

スペクターが、我に返ったように叫び、岩陰から飛び出した。

変わり果てた大地を駆け、黒い巨塔の麓で膝から崩れ落ちているヤヌスの元へ駆け寄る。

「しっかりしろ! ヤヌス!」

肩を揺するが、返事はない。ヘルメットの中で、ヤヌスの目は固く閉じられ、その呼吸は糸のように細く、かろうじて命を繋いでいるだけだった。彼の傍らには、あの軍用ナイフが転がっている。ついさっきまで世界を切り裂くほどの音を奏でていた刃は、今はただの鉄片として、完全に沈黙していた。

『……生きて、います。ですが、バイタルは危険な領域です』

後から追いついたオラクルが、冷静に、しかし震える声で報告する。

その時だった。

パリン……と、ガラスが砕けるような、澄んだ音が響いた。

二人が顔を上げる。

音の源は、目の前の巨塔だった。ヤヌスのナイフが触れた一点から広がった青白い亀裂は、今や塔の全体を覆い尽くさんとしていた。そして、あの禍々しい黒曜石の壁が、まるで古くなった皮膚が剥がれ落ちるように、音もなく崩れ、塵となって風に消えていく。

その黒い皮の内側から現れたのは、全く別の姿だった。

それは、巨大な水晶の結晶体。月光を浴びて、内側から淡い青色の光を放っている。先ほどまでの、生命を拒絶するような威圧感は完全に消え失せ、そこにあるのは、何億年もの時を静かに見つめてきたかのような、神々しいまでの静謐さだった。

『――調和は、もたらされた』

再び、あの声が響く。

だが、今度は頭の中に直接響くテレパシーではない。山頂の空気そのものが震え、音として鼓膜を揺らす、物理的な「声」だった。

スペクターは咄嗟に銃を構える。だが、オラクルがその銃口をそっと手で制した。

『待って、スペクター。……敵意が、ない』

『我々は、調律者』

声は続く。

『この星の生命が奏でる音を、調和の内に保つもの。あなた方が放つ、急激で、無秩序な不協和音を、我々は脅威と誤認した』

守護者は、抗体だったのだ。そして、赤い光は、星全体を蝕む病巣を焼き切るための、最終手段。

だが、ヤヌスがもたらした78.7ヘルツの音は、武器ではなかった。

それは、対話の言葉だったのだ。我々人類もまた、調和を奏でることができるのだという、たった一つの、しかし何よりも雄弁な証明。

水晶の塔の表面に、ヤヌス、スペクター、そしてオラクルの三人の姿が、ぼんやりと映し出される。

そして、その奥に、さらに別の光景が映し出された。

それは、宇宙。星々。そして、地球によく似た、しかし全く違う、無の世界だった。

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