第十九章:地球からの返歌
『あなた方は、星の不協和音か。それとも、宇宙の調和を奏でる、新たな音色か』
神のような問いかけが、アンデスの極寒の空気に溶けていく。
スペクターにも、オラクルにも、その問いに答える言葉はなかった。彼らの思考は、目の前でか細い呼吸を繰り返すヤヌスのことで、完全に飽和していたからだ。
「オラクル、本国との通信は!?」
スペクターが叫ぶ。
「緊急医療ポッドの転送を要請しろ! ヤヌスが死ぬぞ!」
『……ダメです。依然として、全ての通信は沈黙したまま……』
絶望的な報告。
その、刹那。
水晶の塔が、ふわりと、柔らかな青い光を放った。
その光は、まるで慈しむかのように、倒れているヤヌスをそっと包み込む。すると、ヤヌスの苦悶に歪んでいた表情が、わずかに和らいだ。強化戦闘服のモニターが示すバイタルサインが、危険な領域を脱し、安定していく。
『彼の奏でた音は、我々の誤りを正した』
調律者の声が、スペクターたちの心に直接響く。
『我々は、彼の音の内に、怒りと共に、深い調和への渇望を聞いた。仲間を想う、強い絆の響きを聞いた。それは、我々が忘れていた、生命の原初の歌』
水晶の塔は、ヤヌスを治療しているのだ。
敵意ではなく、敬意をもって。
その頃、地球の裏側、日本の総合司令部では、神代藍が息を詰めてモニターを凝視していた。
アンデス山脈から発せられていた、観測史上最大級のエネルギー反応が、数秒前に、まるで嘘だったかのように、完全に消滅したのだ。
後に残されたのは、ノイズ一つない、完璧な静寂。
いや、違う。
静寂ではない。
カッサンドラの解析モニターに、一本の、美しい波形が描かれていた。
それは、純粋で、清らかで、そしてどこまでも力強い、生命の賛歌。
周波数は、78.7ヘルツ。
ヤヌスが、命を賭して奏でた、あの音だった。
「……そう、だったの……」
藍の目に、涙が滲む。
彼らは、戦っていたのではなかった。
対話していたのだ。
人類という、不協和音だらけのオーケストラが、それでも奏でることのできる、たった一つの美しい音色を、必死に届けようとしていたのだ。
「カッサンドラ」
藍は、静かに、しかし強い意志を込めて、自らの分身であるスーパーコンピュータに命じた。
「私たちの『歌』を、彼らに送って」
それは、言葉による返答ではない。
カッサンドラのメモリに記録された、人類の叡智の全て。
バッハのフーガ。アインシュタインの相対性理論。洞窟に残された古代の壁画。名もなき市民たちの、日々の営みの記録。戦争の惨禍。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます