第5話『酒と玉座』



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### **デンジャラスアウトサイドBeautyズ**


### **第五話『酒と玉座』**


まゆみが例の酒場に現れるようになってから、数日が過ぎていた。

その存在は、もはやこの淀んだ場所の「名物」となっていた。彼/彼女が扉を開けると、男たちの無遠慮な視線が注がれるのは変わらない。しかし、その視線にはもはや侮蔑の色はなく、畏敬と、そして熱狂的な期待が込められていた。


まゆみは誰よりも酒を飲み、誰よりも大胆に賭け、そして誰よりも雄弁に夢を語った。

彼/彼女が語る夢は、荒唐無稽だった。「いずれ、この国の砂漠という砂漠を緑に変える」「ナイル川の底に眠る黄金で、ピラミッドより高い塔を建てる」。誰もが鼻で笑うような話だ。しかし、まゆみが語ると、それはまるで実現可能な未来のように聞こえた。その声には、人の心を酔わせ、理性を麻痺させる不思議な力があった。


男たちは、まゆみの周りに自然と集うようになっていた。

かつてイカサマを見抜かれた片目の男は、今ではまゆみの忠実な側近のように振る舞い、最初に絡んできた熊のような男は、彼/彼女の護衛を自ら買って出ていた。彼らはまゆみを「キング」と呼んだ。それは冗談半分のあだ名だったが、その響きには日に日に真実味が増していた。


しかし、まゆみは気づいていた。

この熱狂は、まだ脆い。それは安酒が生み出す一夜限りの蜃気楼であり、太陽が昇れば消えてしまう。彼らを本当の意味で心酔させ、自分の「手駒」とするには、もっと強烈な「儀式」が必要だった。


その夜、酒場はいつにも増して混み合っていた。給金日後の傭兵や労働者たちが、なけなしの銅貨を握りしめて集まり、刹那的な快楽に身を委ねていた。

まゆみは、酒場の真ん中に立つと、手を叩いて全員の注目を集めた。


「なあ、お前たち」

その声が響くと、騒がしかった酒場が水を打ったように静まり返る。

「こんな薄汚い酒で、本当に満足か?」

まゆみの言葉に、男たちは顔を見合わせる。満足なわけがない。だが、これしか飲むものがないのだ。


「俺たちの人生は、こんなものじゃないはずだ。そうだろ?」

まゆみの声が、男たちの心の最も柔らかい部分を的確に抉る。彼らが普段、虚勢の鎧の下に隠している諦めや劣等感を、容赦なく暴き出す。


「お前たちは、ただの石運びじゃない。この国を創る礎だ。ただの砂漠の警備兵じゃない。この国を守る壁だ。あんたたちには、もっと良い酒を飲む価値がある!」

まゆみは叫んだ。

「だから今夜は、俺/私がお前たちに、本物の『夢』を見せてやる!」


まゆみは懐から革袋を取り出すと、それをカウンターに叩きつけた。中からは、ナオミが「仕事」で稼ぎ、さゆりが「情報」で得た、銀貨や銅貨がじゃらじゃらと溢れ出す。それは、この場にいる全員が束になっても稼げないような大金だった。


「親父! この店で一番高い葡萄酒を、あるだけ全部持ってこい!」


酒場の主人が、目を丸くして奥から埃をかぶった高級葡萄酒の壺をいくつも運んでくる。貴族の宴でしかお目にかかれないような代物だ。


まゆみは、その壺を次々と受け取ると、テーブルの上に積み上げ始めた。

一つ、また一つと。不安定に揺れる壺を、絶妙なバランス感覚で重ねていく。周囲は固唾を飲んで見守っていた。

やがて、人の背丈ほどもある、歪な葡萄酒の塔が完成した。


「いいか、よく見てろ」

まゆみは一番上の壺の栓を抜くと、なみなみと注がれた葡萄酒を、塔の天辺からゆっくりと流し始めた。

濃紫色の液体が、壺の表面を伝い、下の壺へと流れ落ちていく。それはまるで、幾筋もの紫色の滝のようだった。甘く芳醇な香りが、酒場全体に満ちていく。


男たちの目が見開かれる。

それは、あまりにも美しく、冒涜的で、そして贅沢な光景だった。

自分たちが一生かかっても手に入れられないであろう高級な酒が、今、目の前で惜しげもなく溢れ、滝となって流れている。


「さあ、飲め! これが、お前たちの飲むべき酒だ!」

まゆみの声が号令となり、男たちは狂ったように塔に殺到した。自分の杯で、あるいは掌で、流れる葡萄酒を受け止め、貪るように飲む。


「うめえ!」「こんな酒、初めてだ!」

歓喜の声が上がる。それはもはや、ただの酒盛りではなかった。

貧しい者たちが、生まれて初めて本当の豊かさに触れた瞬間。まゆみが起こした、小さな奇跡。

彼らは理解した。この「キング」は、ただ夢を語るだけではない。本当に、自分たちに見たことのない景色を見せてくれる存在なのだと。


その熱狂の中心で、まゆみは一体の壺を手に取り、最も高い椅子の上に立っていた。

彼/彼女は、もはや酒場の客ではなかった。

信者たちに祝福を授ける、若き神官。

あるいは、兵士たちを鼓舞する、美しき将軍。


流れる葡萄酒に濡れた唇を舐め、まゆみは静かに微笑んだ。

安酒場の片隅に、今夜、見えざる玉座が生まれた。

それは、まだ小さく、歪な玉座だったが、これからこの国の夜を支配する王が座るには、十分すぎるほどの輝きを放っていた。

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