第6話『看板のない店』
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### **デンジャラスアウトサイドBeautyズ**
### **第六話『看板のない店』**
ナオミの舞は、王都の裏社会で静かな評判を呼んでいた。
彼女は特定のギルドに所属せず、決まった舞台にも立たない。しかし、「特別な依頼」を抱えた者たちは、いつの間にか彼女に辿り着く術を知るようになっていた。ナオミの「店」は、特定の建物ではなく、彼女自身の存在そのものだった。そして、その店に「看板」はなかった。
その日、ナオミのもとに新たな依頼が舞い込んだ。
依頼主は、ファラオの遠縁にあたるという、年老いた貴族・パシェデュ。彼は、政敵である書記官長・アメンエムヘブが、北のヒッタイト王国と密通している証拠を掴みたいと語った。
「アメンエムヘブは用心深く、屋敷の警備は鉄壁。だが、奴は無類の女好きだ。今宵、奴の屋敷で開かれる私的な宴に、お主を『贈り物』として送り込みたい」
それは、ただの潜入依頼ではなかった。
ナオミは、敵の最もプライベートな空間――寝室まで「配達(デリバリー)」されることを求められていた。
「わたくしに、何をしろと?」
ナオミは表情を変えずに尋ねる。
「奴を骨抜きにし、秘密の書簡のありかを聞き出せ。あるいは、寝入った隙に書斎を探れ。やり方は任せる」
パシェデュは、ナオミの足元に金と宝石が詰まった箱を置いた。
「これが前金だ。成功すれば、この三倍を払う」
ナオミは金箱を一瞥すると、静かに言った。
「お受けいたします。ただし、条件が一つ」
「なんだ?」
「わたくしが今宵、どのような『女』を演じるかは、わたくしが決めさせていただきます」
その夜、ナオミは豪奢な衣装をまとい、アメンエムヘブの屋敷に「届けられた」。
彼女が演じたのは、これまでの妖艶な踊り子とは全く違う、北の辺境の小国から献上されたという、世間知らずで臆病な姫君だった。長い睫毛を伏せ、おどおどとアメンエムヘブを見上げるその姿は、百戦錬磨の権力者である彼の征服欲を強く刺激した。
宴の間、ナオミはほとんど口を開かず、ただアメンエムヘブの傍らで小さくなっていた。男が注ぐ酒を、か細い手で受け、少しだけ口をつける。その仕草一つ一つが、計算され尽くした「演技」だった。
やがて宴が終わり、アメンエムヘブは満足げにナオミを自室へと伴った。
寝室には、二人きり。
ここからが、ナオミの本当の「仕事」の始まりだった。
「怖がることはない。わしが、都の全てを教えてやろう」
アメンエムヘブが、下卑た笑いを浮かべてナオミの肩に手を伸ばす。
その瞬間、ナオミは震える声で言った。
「…お待ちください。わたくしたちの国では、契りを交わす前に、互いの『誠意』を示す儀式がございます」
「誠意だと?」
「はい。互いが持つ、最も大切な『秘密』を一つ、打ち明けるのです」
アメンエムヘブは、面白そうに眉を上げた。なんと初々しく、馬鹿げた儀式か。だが、それがこの臆病な小鳥を安心させるのなら、付き合ってやるのも一興だ。
「よかろう。では、わしからだ」
彼は、どうでもいい自身の若い頃の武勇伝でも語ってやるつもりだった。
だが、ナオミはそれを遮るように、囁いた。
「わたくしの秘密は…わたくしの故郷の村が、ヒッタイトの密偵によって滅ぼされたことでございます。わたくしは、彼らを心の底から憎んでおります」
その瞳には、真に迫った憎悪の炎が宿っていた。それは、ナオミがこれまでの人生で見てきた、無数の人々の本物の感情を借りてきた「演技」だった。
アメンエムヘブの動きが、止まった。
ヒッタイトという言葉に、彼の表情が微かにこわばる。
ナオミは、その変化を見逃さなかった。彼女は、相手の心の鍵穴に、ぴたりと合う鍵を差し込んだのだ。
「あなたの…あなたの『誠意』もお聞かせください。あなたが、わたくしの憎むべき敵と繋がっていないという、証を…」
ナオミは、彼の胸にすがりつき、涙ながらに訴えた。
それは、もはやただの女の芝居ではなかった。男の良心と猜疑心、そして征服欲を同時に揺さぶる、高度な心理戦だった。
アメンエムヘブは、一瞬ためらった。だが、目の前の美しい姫君の涙と、彼女を完全に支配したいという欲望が、彼の警戒心を上回った。
「…案ずるな。わしはヒッタイトなど信用しておらん。奴らはただの駒よ」
口が、滑り始める。
「奴らを利用して、邪魔な連中を始末させるだけだ。証拠など、どこにも残さぬ。全ての書簡は、この寝台の下にある隠し箱の中。明日の朝には、ナイルの藻屑となる…」
そこまで言った時、彼は自分が何を口走ったかに気づき、ハッとした。
だが、もう遅い。
ナオミの瞳から、涙は消えていた。そこには、獲物を仕留めた狩人のような、冷たい光が宿っていた。
「…感謝いたします。あなたの『誠意』、しかと受け取りました」
彼女が指を鳴らすと、窓の外の闇が揺れ、音もなく数人の影が部屋に流れ込んできた。依頼主であるパシェデュの私兵たちだった。ナオミが屋敷に「配達」される前から、彼らは外で待機していたのだ。
アメンエムヘブは、呆然と立ち尽くす。
自分が今夜、屋敷に招き入れたのは、臆病な姫君ではなかった。
こちらの心の扉をこじ開け、最も大切なものを奪っていく、冷酷な調教師。
あるいは、依頼主の望む「健康(ヘルス)」な状態――つまり、政敵の失脚――を、確実にお届けする、神出鬼没の配達人。
ナオミは、捕らえられたアメンエムヘブに一瞥もくれず、寝台の下から隠し箱を取り出した。
そして、冷ややかに言い放つ。
「ご指名、ありがとうございました。またのご利用を、お待ちしております」
その声は、もう震えてはいなかった。
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