第4話 父の特訓
ー[河川敷グラウンド・朝]ー
曇り空。
川の匂いと土の湿り気が混じり合う。
武はジャージ姿で腕を組み、前に立つ少年たちをにらんでいた。
その背中には「広陵ジュニア 魂」の手書き文字。
「――よし、今日からワシが臨時コーチじゃ」
「え、ほんとに!?」
キャプテンの蓮が目を丸くした。
「ほんとよ。誰もせんのなら、ワシがやるしかないじゃろうが」
武は胸を叩く。
「けどおじさん、野球のルールあんま詳しくないって……」
「そがぁな細けぇことはええんよ! 大事なんは“気持ち”じゃ!」
武は大声で笑い、スコップを振り上げた。
「まずは走り込みじゃ! グラウンド三周、声出していけ!」
「えええっ!? 練習じゃなくて体力づくり!?」
「そうよ! 根性が負けとったらボールも逃げるんじゃ!」
子どもたちは半泣きで走り出す。
土を蹴る音と、武の怒鳴り声が交じり合う。
「ほら! 足止めるな! 息切らすんじゃない! 止まったら“負けグセ”がつくけぇ!」
「は、はいっ!」
「声が小さい! 勝つ気あんのかぁ!」
ー[病室・同時刻]ー
航はタブレット越しにその光景を見ていた。
父の姿。
泥だらけのグラウンド。
走るチーム。
「……やってる、本気で」
彼の胸が少しだけ熱くなった。
蓮が息を切らしながら笑う。
〈……でもさ、なんか、楽しいかも〉
航も思わず笑った。
ー[グラウンド・昼前]ー
走り終えた子どもたちが地面に座り込む。
武は腰に手を当て、汗をぬぐった。
「よし、よう頑張ったのぉ。……けど、まだ午前中じゃ」
「えええっ!」
「次は“声出し特訓”じゃ!」
子どもたちが悲鳴を上げる中、武はペットボトルの水を口に含み、
いきなり空に向かって吹き出した。
「なにしてるんですか!?」
「声は“腹”から出すんじゃ! こうして肺を空ける訓練よ!」
「……それ、野球関係あります!?」
「気合いに関係ある!」
子どもたちは顔を見合わせ、
やがて笑いながら真似をし始めた。
「ぶはっ!」
「きゃははは!」
「うまく飛ばん!」
グラウンドに笑い声が響いた。
いつの間にか、曇り空が少しだけ明るくなっていた。
ー[病室・午後]ー
タブレットの画面越しに、その笑いが届く。
航は頬を緩め、呟いた。
「……ほんと、バカみたい」
だが、その声は少し震えていた。
笑いながら、目頭が熱くなる。
「ありがとう、親父」
ー[グラウンド・夕方]ー
練習を終え、武は一人、ベンチに腰を下ろした。
泥で汚れたジャージを見下ろしながら、
誰もいない空に向かってつぶやいた。
「昔はのぉ、ワシも逃げてばっかじゃった。
怒られて、殴られて、笑われて……
でもな、逃げとったから、今こうして立っとるんじゃ。」
〖転げてもええ。ただ、笑うのは立ってからじゃ。〗
その言葉を、遠く病室で航も聞いていた。
タブレット越しの声が、春の風と一緒に届いてくる。
ちりん。
ボールのキーホルダーが、小さく揺れた。
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