第3話 廃部通達

ー[病室・昼下がり]ー

春の光が和らいで、白いカーテンが風に揺れている。

航はタブレットを抱え、チームの練習映像を見ていた。

グラウンドの隅で蓮が笑いながら声を張り上げる。

〈――ナイスキャッチ!〉

スピーカー越しの声が小さく響くたび、航の口元も少しだけ緩んだ。


ドアがノックされる。

看護師の声に続いて、武が入ってきた。

「ワタル、来客じゃ」

「え? 誰?」

「市の教育委員会の人らしい。なんか話があるっちゅうてな」


航が驚いてタブレットを閉じた。

廊下の奥から、スーツ姿の男が現れる。

胸元に市章のバッジ。無機質な笑顔。


「失礼します。〇〇市教育委員会の田辺です」

「……どうも」

武は丁寧に頭を下げたが、その目には警戒の色が宿っていた。



田辺は書類を胸に抱えたまま、淡々と話を始めた。

「少年野球クラブ“伴陵ジュニア”の件でして。

 長期的な活動維持が難しいため、今期をもって廃部とする方向で進めています」


航の手が止まった。

「……廃部?」

「ええ。少子化でメンバーも減り、顧問の先生も兼務が続いておりますので」

「そんな……」


武の眉がぴくりと動いた。

「ちょっと待ってつかぁさい。

 子どもら、ようやっと新しいメンバーが増え始めたとこなんじゃ。

 今、頑張っとる最中なんよ」


田辺は淡々と首を振る。

「現状では登録人数が大会基準に届きません。

 “頑張り”だけでは公式認定は維持できないのです」


静かな部屋に、重たい沈黙が落ちた。


航が小さく声を出す。

「……僕が監督代わりに戦術を考えています。

 次の試合で結果を出せば――」

「お気持ちは分かります。ですが決定事項です」


その言葉に、武の拳がわずかに震えた。

「決定……言うて、あんたらは現場見たんか?」

「データと報告を拝見して――」

「報告書に“夢”は載っとらんじゃろうが!」


田辺が一瞬言葉を失った。

病室の空気が一変する。

看護師が気配を察して廊下を覗いたが、武は静かに手を上げた。


「すまん、声が出た。

 でもな――現場で汗流しとる子らに、“数字”だけで線引きすんなや」


その声は怒鳴りではなく、どこかに滲む痛みを含んでいた。

田辺は沈黙のまま、深く頭を下げて部屋を後にした。



しばらく誰も喋らなかった。

航は拳を握りしめて俯く。

「……僕のせいだ。僕がいないから」

「ちげぇ」

武が短く言った。


「人のせいにすんな。お前も、俺も、まだ途中じゃけぇ」


武は、ベッド脇のグローブを手に取って笑った。

「見ろ、こいつなんか、十年モンじゃ。

 ボロボロでもまだ捕る気満々よ。

 道具が諦めとらんのに、人が諦めてどうすんじゃ」


航の喉がかすかに鳴る。

父の声が、胸の奥に届く。


武は窓の外を見ながら、ぽつりと呟いた。

「悔しゅうてもな、そこで止まったら、それが終わりになるんじゃ。」


外で、鳥の鳴き声がひとつ響いた。

陽が傾き、光がグローブの縫い目をなぞる。

その影が、まるで心臓の鼓動みたいにゆっくり動いていた。


ちりん。

ボールのキーホルダーが、静かに鳴いた。

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