第三話:武器は「危機管理能力」

助けを求める声。それは、健司が現実世界で何年も聞いていなかった響きを持っていた。会社では責任を押し付けられ、家ではいないものとして扱われる。誰かに必要とされることなど、とうの昔に忘れていた。


だが、目の前の現実は非情だ。自分は武器も持たない、ただの冴えない中年男。体力だって、そこらの若者には遠く及ばない。関われば死ぬ。それが道理だ。


(無理だ。俺に何ができる? 逃げるべきだ。これは夢なんだから)


後ずさりしようとした足が、乾いた小枝を踏み、パキリと音を立てた。その音に、ゴブリンの一体が獰猛な笑みを浮かべてこちらを向く。終わった、と健司は思った。


その瞬間、エルフの騎士が最後の力を振り絞るように動いた。健司を狙ったゴブリンの脇腹を、その細身の剣が貫く。だが、それは大きな隙を生んだ。背後から別のゴブリンが棍棒を振りかぶる。


「危ない!」


健司は、ほとんど無意識に叫んでいた。そして、叫ぶだけでは意味がないと悟った瞬間、彼の体は勝手に動いていた。足元に転がっていた、手頃な大きさの石を拾い上げる。野球なんて中学の部活以来だ。だが、フォームも何もあったものではない。ただ、必死に、棍棒を振り上げたゴブリンの頭めがけて、全力で投げつけた。


ゴッ、という鈍い音。石は見事に命中し、ゴブリンは呻き声を上げて体勢を崩した。その一瞬の隙を、エルフの騎士は見逃さなかった。流れるような動きで振り返り、残りのゴブリンを斬り伏せる。


静寂が戻った森の中、残されたのは健司と、肩で息をするエルフの騎士だけだった。


「……助かった。感謝する、旅の方」


彼女は剣を鞘に収めながら、健司に向き直った。夕陽に照らされたその横顔は、神々しいほどに美しい。だが、その表情には深い疲労と、警戒の色が浮かんでいた。歳は、健司より少し上だろうか。30代後半……いや、エルフの年齢は見た目では分からない。だが、その佇まいには、若さだけではない、経験に裏打ちされた落ち着きと気品があった。


「わ、私は……」


「名を名乗る必要はない。それより、あなたは何者だ? この森で、そのような姿の人間は見たことがない」


鋭い問いに、健司は言葉に詰まる。「日本のサラリーマンで、死んだと思ったらここにいました」などと、信じてもらえるはずもない。


「……記憶が、ないんだ。気づいたら、この森にいた」


咄嗟に出たのは、ありきたりな嘘だった。だが、彼女は疑う素振りを見せず、ただ静かに頷いた。


「そうか。災難だったな。私はエリアーナ。見ての通り、エルフだ。今は……少々厄介な事情で追われている」


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