第十五話:不信の壁と種蒔き(語り手:アオイ)

バルブが開き、水が流れた。それは、僕たち三人の勝利だったが、同時に、社会の根深い病を突きつける始まりでもあった。

僕が暮らした特区のタワーと、ケンジたちが集まる集落の数カ所に水が供給された。僕たちは安堵したが、富裕層の態度は変わらなかった。

彼らは、僕が泥まみれになった姿を見て、軽蔑の目を向けた。「アオイは、低スキル労働者と同じレベルに落ちた」と。彼らは水が出たことに感謝するのではなく、**「なぜすべてのエリアに、以前のように安定して供給されないのか」と、僕を詰問した。彼らは、自らが築いたシステムが完全に機能停止した事実を受け入れられず、僕の「非効率な手作業」**による成果を、当然のサービスだと見なしたのだ。

一方、ケンジたちのコミュニティでは、水が出たにもかかわらず、不信感が渦巻いていた。

「どうせ、アオイたち富裕層が自分たちのために水を確保しただけだ。」

「ケンジは、またあいつらの道具になったんじゃないのか?」

長年の無気力と絶望の中で、彼らは**「信用」という概念**を完全に失っていた。僕がいくら「次は集落全体の配水システムを直す」と説明しても、彼らは耳を貸さない。彼らが信じられるのは、AIの管理下で最低限の生活が保証されていた、あの冷たいシステムだけだったのだ。

コウは、この状況を静かに見ていた。「アオイさん。人間を再起動するには、まず**『希望』**が必要です。でも、僕たちはその希望を、あなたたちの世代が作ったシステムに何度も裏切られてきたんです。」

彼は正しかった。僕たちの「知識」とケンジの「経験」だけでは、失われた人間と人間との繋がりを修復できない。僕たちが直すべきは、水道管ではなく、コミュニティの信頼という名の配管だった。

僕は、最も非効率だと切り捨ててきた方法を試すことにした。

ケンジの集落へ、食料を持って行った。もちろん、僕も飢えていたが、それは僕たちがバルブを開けるために確保したわずかな備蓄だった。僕はそれを、彼らが使えるように集落の中央に置いた。

「これは、僕たちがあなたたちを支配するためじゃない。僕たちも水も食料もない。生き残るために、お互いの助けが必要だからだ。」

そして、僕は土を耕し始めた。

僕たちのタワーマンションには、屋上庭園があった。富裕層が趣味で始めた、**「非効率な自然体験」**のための場所だ。僕は、そこで得た知識と、ネットに残された古い農業のアーカイブを頼りに、集落の空き地で、食料を育てるための畝を作り始めた。

僕の肉体労働はひどく非効率で、すぐに水ぶくれができた。ケンジの集落の人々は、遠巻きに僕を見ていた。彼らの目には、**「支配層のエリートが泥遊びをしている」**という冷めた嘲笑が浮かんでいた。

しかし、僕はやめなかった。システムが死んだ今、僕が持っているのは、**「知識」と「自ら変わるという行動」**だけだったからだ。

数日後、ケンジがやってきた。彼は何も言わず、僕の隣で、硬い地面を耕し始めた。彼の動作は淀みがなく、僕の非効率な動きとは大違いだった。

「あんたの『知識』は、土を耕す方法を知らないようだ。あんたのシステムは、生命を育てる方法も知らなかったんだな。」

ケンジの言葉は皮肉に満ちていたが、彼の隣で作業することで、僕たちは言葉を必要としない、新しい協力関係を築き始めていた。それは、支配でも、道具でもない、ただの隣人としての繋がりだった。

水、食料、そして信頼。僕たちが直すべき社会のインフラは、あまりにも多すぎた。だが、土に蒔かれた小さな種のように、再生の試みは、静かに始まっていた。

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