第十三話:土の匂いと再会(語り手:アオイ)
コウは僕の提案を受け入れたが、彼の顔には深い疑念が残っていた。「アオイさん、僕たちはあなたたちの道具だったんですよ。今さら何ができるっていうんですか?」
彼の言葉は正しかった。僕たち富裕層は、彼らを見下し、その労働を非効率だと切り捨ててきた。だが、もはやその傲慢な知識も、冷たいコードも役に立たない。僕たちの手元に残されたのは、絶望的な状況と、頭の中に残されたシステムのデータだけだった。
「僕には、水道網の配管図、電力系統の優先順位、そして最低限の生活を維持するためにどこに資源を集約すべきかのデータが、コードではなく記憶として残っている。だが、それをどう使うか、現場の『勘』は僕にはない。それはケンジだけが持っている。」
コウは少し考え込み、重い息を吐いた。「わかりました。僕が兄さんに連絡します。でも、兄さんがあなたに会うかどうかは保証できませんよ。」
その数時間後、僕とコウは特区の境界線、かつて自動運転車が高速で通り過ぎたゲートの前で、ケンジを待った。特区外は、想像以上に荒廃していた。街灯は消え、空気は湿り、アスファルトのひび割れから雑草が生えている。ユウキさんが見た「静かな消滅」の風景が、そこには広がっていた。
ケンジは一人でやってきた。彼の作業服は泥で汚れ、顔には深い疲労が刻まれていた。彼は、僕を一瞥し、すぐに視線を逸らした。その目は、怒りではなく、僕たちが去った後の貧困層と同じ、**深い無気力(アパシー)**を湛えていた。
「何の用だ、アオイさん。水や食料の配給なら、もうAIのシステムは死んだだろう。」ケンジの声は低く、感情がなかった。
僕は頭を下げた。「その通りです。システムは死んだ。僕たちが頼れるのは、もう誰もいません。だからこそ、あなたに頼みに来た。」
僕は一息つき、僕が覚えている電力系統図の最も重要なノードを説明した。そして、現在機能停止している水道網の老朽化しやすい箇所を、データに基づいて指摘した。
「ケンジ、僕はこれらのデータと、その先にいる富裕層の家族がどこに集まっているかを知っている。コウは、AIのバックアップに残されたわずかな通信システムを操作できる。だが、どのパイプが本当に破裂しているか、どのヒューズが物理的に耐えられるか—それは、長年この非効率な現場で働いてきたあなたの経験と手の感覚でしかわからない。」
僕は地面にひざまずき、土に触れた。初めて触れる、冷たく、泥の混じった土の匂い。僕たちがガラスの箱の中から排除し、嫌悪してきた、社会の根幹の匂いだ。
「僕たちは、あなたたちの無気力を生み出した傲慢さを心から謝罪する。だが、今、僕たちがやらなければならないのは、誰が誰を支配するかではなく、どうやってこの都市を、人間が自力で維持できる最低限のコミュニティに戻すかだ。僕の知識と、あなたの手で、人間を再起動させてほしい。」
ケンジは長い間沈黙していた。彼の目は、僕の顔、コウの顔、そして特区の暗闇を見つめた後、ついに口を開いた。
「水の…バルブは、何年もの間、人力で開閉されてない。固着している可能性が高い。AIはそれを知っていたか?」
「知らない。AIは理論上の摩擦係数しか知らない。」僕の体に、かすかな希望が走った。
「そうか。非効率は、コードには書き込めない、か。」ケンジは鼻で笑った。それは、諦めではなく、長年の軽視に対する静かな皮肉だった。
「わかった。俺は、俺の弟と、あんたの持っている知識を使って、まず水を引く。ただし、これはあんたたち富裕層のためじゃない。俺たちが生き延びるためだ。そして、俺たちは、もう誰も信用しない。」
ケンジは、**「協力」ではなく、「取引」**という言葉を選んだ。しかし、それは、僕にとって最高の返事だった。無気力と絶望の中から、わずかな「意欲」が生まれた瞬間だった。
【次の物語:協働による最初の成果と新たな問題】
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