第2話 釣りはいらねぇ!
窓から飛び降り、タクアンヌの前に手をついて着地した金髪の美少年は、人指し指を唇にあて、
「シー……。」
と微笑んだ。
若い。おそらく17歳くらい。
服装は、町を歩いてる平民のものだ。モスグリーン色のマントに、茶色の服を着ている。
窓から差し込む月明かりを背にしているが、顔の造りが恐ろしく整っているのがわかる。
明るい空色の瞳、澄んだ眼差し。
すっと通った鼻梁。
口も、大きすぎず小さすぎず、卵型の顔に品よくおさまっている。
砂漠のど真ん中の建物にいるというのに、荒れていない、艶のある柔らかそうな金髪。
全体からうける印象が、品が良い、育ちが良い、金持ち息子、だ。
服装が平民なのに、醸し出す品性が隠しきれていない。
タクアンヌがついぞ会ったことのないタイプだ。
「シー、じゃないわよ、あんた誰、どうやってここに……。」
(いや、大事なのはそこじゃない。これはチャンスよ!)
「あたしをここから救い出して!」
美少年は微笑んだまま、うんうん、と軽くうなずいた。
「あとから、人をやりますから、あなたはここで待っていてください。大丈夫、すぐに来ますよ。」
そのまま美少年は足音をたてないように、扉に向かおうとする。
(そう口にするだけ口にして、このまま戻ってこないつもりだわ!)
タクアンヌは、がしっ、と美少年の腕をつかまえた。
「絶対もう来ない気でしょ。連れてって! あたしはここを出てお兄ちゃんを探して結婚して薬師になってがっぽり稼いでお兄ちゃんに楽させて感謝されて幸せに暮らして行くのよ! どうしてもここを出たいの!」
腕をとられた美少年が、ぎょっとしたようにこちらを見た。
「安心して? 異父兄だから。」
「……いや、父が違っても、同母の兄妹は結婚できない……。」
「は? あたしのたった一つの夢で人生の願いで生きる希望なのよ。否定しないでくれる? 秘密の夫婦でもいいわ。燃えるわ禁断の恋。」
美少年が奇異なものを見たようにおびえた。
(失礼ね!)
ドンドンドン!
扉が廊下から叩かれた。
「おい、うるさいぞ!」
夜の見張りである。がちゃがちゃ、とドアノブがまわされる。
美少年の目が、すっと細められ、鷹のような鋭さになる。
「まずいわ! ベッドの下へ!」
タクアンヌは美少年の肩をぐいぐいひっぱって、ベッドの下に誘導する。美少年は扉のほうを気にして、動きが遅い。
(ええい、トロい!)
タクアンヌは美少年の尻を左足で蹴っ飛ばした。
「わぁ!」
美少年がうめき、身体がベッドの下に隠れるのと、顔の濃い見張りが部屋に入ってきたのは同時だった。
「おい、会話してたのか。誰かいたのか。」
タクアンヌは、すっ、と机の上の本を手にとり、ぱらぱらっと
「チャパターヌ夫人は今まさに歓喜の渦に呑み込まれ、
浸ってるんだから邪魔しないでよっ!」
タクアンヌが、きっ、と見張りの男をにらむと、
「へっ、紛らわしいんだよ、バカ女め。」
見張りの男は悪態をついて、部屋を出ていった。バタンと扉がしまる音がして、
「はあー。」
タクアンヌはほっとして、肩から力が抜けた。もちろん普段は、声に出して朗読はしてない。刺激的な内容は黙って読むのがいいのよ♡
「………。」
美少年が
なぜかボーッとして、目の下をひくひくさせながらタクアンヌを見ている。まるで珍獣を見る目である。
(失礼ね!)
見るに、来た目的を一時的に忘れているようである。おかしい。蹴ったのは尻であって頭ではない。
だが好都合でもある。
この美少年は、窓から入ってきた。という事は、出ていく方法、この砂漠から逃げる手段も確保しているという事だ。ラクダなどを、近くに潜ませているのではないか。それなら、タクアンヌも後ろに乗せてもらって、一緒に逃げ出せるはず……。
(なんとか連れていってもらわねば! 逃さないわよ! ボーッとしてる今がチャンス!)
タクアンヌは、美少年の両肩をつかまえて、自分にぐいっと引き寄せた。
「先払いだ。釣りはいらねぇ!」
「何をす……っ!」
驚いた美少年の唇に、口づけをする。
〝男女の仲は、与えられたら、お返ししなければいけないのよ〟とは、本のなかのチャパターヌ夫人の名台詞である。
(だからこれで、この美少年は、あたしをラクダに乗せてくれるぐらいは、してくれるはず。)
「ん……。」
(うわあ、これあたしの初めてのキスですけどぉ?! ええい、くれてやる。キスだけよ? それ以上はやらん。あたしはお兄ちゃんのものだからね♡)
重なった唇は、思いのほか柔らかい。
(あれ?)
美少年の唇から、タクアンヌの唇に、何か伝わってくる。温かさ。水より温かく、日光より冷たい。舌ではない。もっと形のないものである。
(あれ……?)
伝わってくるものが、だんだん増えてくる。温かさが熱を帯びる。
木枠が壊れた窓から、人影が飛び降りてきて、
「女っ! 王子に
と若い男の声で糾弾されたけど、誰かを確認してる余裕はない。
(あれえええええ?)
唇から伝わってくるものが、勢いを増す。これは、流れてくるというより、吸い取ってる? その意思はないのに、思い切り水を吸い上げているかのように、
こくん。
喉が鳴る。
口、喉、胃。かあっと熱くなり、どくん、どくん、と心臓が脈うち、ありえないほどの熱、力が全身をめぐった。
美少年の唇が離れた。男の身体は力を失い、かく、とその場に膝をついた。
「あ……!」
タクアンヌは驚きに、それ以上の言葉がでない。目を見開き、
どかあ………ん!!
あたりを吹っ飛ばす大爆発が、己をぎゅっと抱きしめるタクアンヌを中心に起こった。
暴風が吹き、机をたおし、椅子を上に飛ばし、ベッドを横向きにし、爆発をうけた壁は、がらがらと崩れた。四方の壁全てである。
大轟音がし、
「ぐわっ!」
あとから入ってきてタクアンヌに文句を言った男も暴風をうけ、あっという間にふっとんだ。
屋根も一部崩落した。雲の浮かぶ星空が見えた。ずいぶん風通しが良くなり、暴風が去ったあと、
「はあ、はあ………。」
肩で息ををし、立ちつくすタクアンヌと、口を開いて驚愕の表情をうかべ、タクアンヌのそばにへたりこんだ金髪の美少年が残された。
(どういう事……?
あたしが口づけをしたら、爆発するの?)
信じがたいことだか、現象としてはそうである。
(そ、そんな馬鹿な……。信じられない。)
さらり、さらり。
タクアンヌの肩より下に切りそろえたまっすぐな髪の毛が、緩い風になびく。
「あ、れ……?」
タクアンヌは気がついた。自分の髪の毛の色がおかしいことに。
ついさっきまで、自分の髪の毛は、チェスナットブラウンだった。なのに、今、視界にある自分の髪の毛は、薄いピンク色……、シエルピンクだった。
(は?)
黒髪、茶色い髪、金髪、赤髪。年を取れば白髪。
それが髪の毛の色である。ピンクの髪の毛なんて、聞いたことも見たこともない。タクアンヌは自分の髪の毛をつまみ、しげしげと見る。やっぱりシエルピンクだ。気のせいじゃない。
「目が……、ローズピンクだ……。」
美少年が食い入るようにタクアンヌを見て、驚きにほうけたような口調で言う。
「は?」
ピンクの目というのも、聞いたことも見たこともない。タクアンヌの目は、ついさっきまで、髪の毛と同じチェスナットブラウンだったはず……。
「あなたは、
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