おかしな話は湧いて出る
葉加瀬 ナツキ
古い館
最初に断っておきますが、これは99%実話で構成されています。
虚偽の情報があれば、せいぜいが立場や地域・そして登場人物の名前くらいです(例えば、僕の本名は葉加瀬ナツキではないので)。その上で、似たような事象に遭遇した方がおりましたら、その事件のことをさっさと忘れてしまうことをお勧めいたします。
あれはどうしてもミステリのネタが無くて頭を抱えていた頃、『リング』に出会ったことから始まります。僕はホラーというとゾンビとかジェイソンのような、スプラッタ・サスペンスの印象が植え付けられていて、『リング』のホラーとミステリを組み合わせたような作品を初めて見たことにひどく感銘を受け、『ホラー×ミステリを書きたい!』という欲求に駆られました。しかし、いきなりホラーをスルスル書けるほどの文才は僕にはなく、『リング』の鈴木光司先生をはじめとして貴志祐介先生や澤村伊智先生、海外で言うとスティーブン・キングなどの作品狂うほど読み漁っていました。そんな時、近所の語尾をよく伸ばすおしゃべりなおばさんから面白い話を聞きました。
「葉加瀬さん知らないのお。あそこの洋館、『出る』らしいわよ。結構有名な話なんだけどねぇ」
最初は話半分に聞いていたんです。しかし興味を持って調べてみると面白い噂がわんさか見つかる見つかる。山の中とは言え土地の狭い神奈川に廃墟があるというだけでおかしな話なのに、その洋館は小さめの城程の規模があるというではないですか。たしかにそれほどの大きさだと退けるのにもお金がかかるし山の中だからそこに新しく何かを建てたいなんて企業もないでしょう。だから都会にしては珍しい大きな廃墟として、デートスポットとして、つまるところ肝試しスポットとして有名な場所になったわけです。もう近隣住民も大して取り壊したくもないでしょうね。
僕は、そこでなにか小説のインスピレーションが得られるかも! とウキウキで出かけることにしました。
登りの山道はなかなか急で足が棒になりそうでした。その日はクリスマスを越えて少ししたあたりの日で、凍えてしまいそうな気温だったのも辛さに拍車をかけていました。しかし洋館はどんよりと湿っぽい雰囲気を醸し出して、僕にいかにも何か出そうだと思わせてくれました。すでに来た価値はあったかも、と、着いただけで少し嬉しかったことを覚えています。
洋館の扉を開けると、ギシリ、と音が鳴りました。錆びているのか、開けるのに力が必要でした。精一杯扉を開け放つと、今度は錆に固定されてしまいました。待っていても一向に閉まりません。これはこれで帰りが楽か、と僕は気にせず中に入りました。
外だけのハリボテということもなく、中はとっても広かったです。隙間風がひゅうひゅう通って耳障りなのが欠点ですが、誰かが住んでいてもおかしくなさそうでした。なんとなく「おじゃまします」と言いました。
台所らしき場所や、暖炉もあって、ボロボロでもすべて立派な作りでした。暖炉の傍にはバケツが二つあり、片方はまだ水が入ったままです。おそらく家の持ち主が汲んだものでしょう。これで暖炉の火を消していたのかな、と思います。
二階の階段を上がるとギシギシうるさくて、抜けてしまうんじゃないかと心配でした。手すりにしっかり捕まって、上へと登ります。
二階に上がって、さてどうしようかと考えました。まあ部屋を端から見ていけばいいか。僕は一番近かった部屋に手をかけると、ぱき、と音がなって、反射で手を引っ込めました。てっきり静電気でも鳴ったのかと思いましたが、衝撃は無くただ手が濡れています。ノブに霜ができていたのか。霜を割った音で手を引っ込めるなんて、案外ビビってるなあ、僕。そんま能天気な気持ちで扉を開けました。
部屋は寝室のようで、窓の下には机があり、上に止まった時計に中が汚れた牛乳瓶が置かれてました。古びたタンスは中に人が入りそうなほど大きく、ベッドは夫婦用なのか横に広いです。壁の塗装は剥げていて、壁紙の端がベロンと中の木壁を剥き出しにして――
瞬間、ぼぉぉぉん、と音が聞こえました。僕は「うわあ!」と声を上げてすっ転びました。何かが叫びました。ぼぉぉぉん。ぼぉぉぉん。僕は恐る恐る、半分這いずりながら部屋を覗きました。しかし部屋には何もいません。ただ窓のあたりから、恐ろしい声が聞こえてくるだけです。
続いて、カタタタタ、と笑うような声が聞こえます。骨が、上顎と下顎を擦り付けているような音です。僕は無意識に、体をぶるぶる震わせていました。
次の瞬間、洋館がひどく揺れました。僕は言葉にならないような声で叫びながら階段を降りました。転げ落ちていた、という方が正しかったかもしれません。腰を抜かしながらも洋館から命からがらと飛び出します。下りの山道は、腰を抜かしていても降りやすかったです。
なんだあれは。洋館の噂は本当だったのか? 僕は振り返りもせず、全力で街へと走ります。背後から何かが追ってきている気がして、死ぬ気で走ります。
洋館の中から話し声や笑い声が聞こえる。それが洋館の噂でした。噂は本当だったんだ。僕はそう結論づけました。僕はホラーのネタが欲しかっただけで、本当に遭うのは求めてない!
自分の足音が、ひどく大きく、不安に聞こえます。単調な音です。
ひとしきり走ったでしょうか。それとも、少ししか経っていなかったかもしれません。ふと、スマホがブーッと震えました。いや、ずっと震えていたようです。気が付かなかっただけで。そうだ、スマホで助けを呼ぼう。スマホを開くと、『震度5強』と書かれています。『神奈川県横浜市 震度5強』。
僕は思わず立ち止まりました。地震? さっきの揺れは地震だったのか? 霊によるものじゃなくて? すると僕の中で、パズルのピースのように事象が組み立てられていくではありませんか。
部屋に入る前、カタタタタという音を聞いた。それに僕の体も震えていた。あれは、『P波』だったのではないか。
地震の波は『P波』と『S波』に分かれます。地震の元となる強い揺れが『S波』、その前に来る予告のような弱い波が『P波』です。つまり先ほどの大きな揺れが『S波』なら、その前に軽い『P波』が届いているはずなのです。
つまり、カタタタタという音は『P波』によって何か物が震えていた音、そして僕の体が震えていたのは恐怖心からではなく単純に『P波』に揺らされていたのではないか―—。
ではぼぉぉぉんという、あの不気味な音はなんなのか。よく思い出してみる。あの時、窓の傍には何があったか。何もなかった? いや、あった。『牛乳瓶』が。あのぼぉぉぉんという音は、『牛乳瓶が出したのではないか』。
小学生の頃、牛乳瓶の横から息を吹きかけたことはないでしょうか。あれは高校の物理基礎で習う『気柱の振動』によって起こる現象です。円形の牛乳瓶のような形のものに特定の角度から空気を吹き込むことで、『ぼぉぉぉん』という音が鳴る。あれは、開け放たれた窓から吹き込む風に、牛乳瓶が触れたことで起こったものではないのか。
僕は後ろを振り返りました。当然のごとく、何も追いかけてなんて来ていません。洋館はすべてを拒否するように閉じられていました。今見るともう、霊も何もいないただの廃墟にしか見えません。
「……何が霊だよ、クソ喰らえ!」
僕は近くの石を蹴飛ばしました。やはり僕は、ホラーよりミステリが向いているなと、心底思いました。
「……って話なんですけど、どうです?」
葉加瀬は自慢げに椅子にもたれた。望月さんは、
「いいんじゃないでしょうか。面白いと思います」
「本当ですか、そりゃあ良かった」
男女二人でスターバックスとはカップルに見えるだろうか、しかし男性の方はお世辞にも整った顔とは言えないし、女性の方は絵画から取り出した様に綺麗な顔で、要するに釣り合っていない。それもそのはず、この二人はただの作家と編集なのである。葉加瀬としてはべっぴんな編集さんをつけられてとても嬉しいが、望月さんの薬指には銀色の指輪が輝いており、端から淡い期待すらできない。
「でも、オカルト雑誌の『本当にあった怖い話』で提出するんですよ。大丈夫ですか?」
たしかにオカルト雑誌『ネス・トラベル』から『本当にあった怖い話』の依頼があったときは、『こういうのって依頼するもんなのか?』とは思った。思ったが、残念だったな望月さん。
「こんなミステリ風味なもの、現実じゃないと思うでしょ。これね、実体験なんですよ」
葉加瀬はやっぱり胸を張って言った。望月さんはうーんと考える素振りを見せ、
「本当ですか? 本当に、実体験?」
「しつこいですね、疑うのもわかりますけど、百億%、いや百兆%も本当ですよ」
なんら嘘はついていない。誇張も……多分ないはずだ。多少の記憶違いくらいは許してほしい。
「うーん……それなら、変な話ですね」
「変な話?」
望月さんはブラックコーヒーを一口飲み、
「それじゃあ、理屈に合わない箇所があります」
「ほお、聞かせてもらおうじゃないですか」
葉加瀬は背もたれから離れ、前のめりになる。
「まずバケツの水の話なんですが、『片方のバケツには水が入っており、もう片方には入っていなかった』んですよね」
「はい、多分片方は暖を消すために使ったんじゃないかな、と」
「ええ、その予想は合っているでしょう……バケツの水がないことはいいんです。問題は、『バケツの中に水が入っている』ことです」
「どういうことですか?」
「葉加瀬さんが言うには、二階のドアノブに手をかけた時、『霜がついていた』んですよね」
「ええ、冷たかったし、手も少し濡れました。確かです……あっ!」
葉加瀬は思わず口を押さえる。
「気が付きましたか。そう、霜ができるということは、その日は『水が凍るほど寒かった』んです。つまりバケツの水は『凍ってないとおかしい』ですよね。でも、バケツの中は水のままだった」
「でも、霜ができてバケツの水が凍らないことぐらい、なくはないでしょう」
「いいえ、ないですね。まだバケツの中は凍っていてドアノブが濡れていた、という方が理解できます。だって『温かい空気は上に溜まって、冷たい空気は下に溜まる』んですから、凍るとしたら下のバケツからです。葉加瀬さんも、中学校で習ったでしょう?」
葉加瀬は少し唸って、
「でも、だからなんだと言うんですか。まさか上の階に霊がいたから空気が冷えて霜ができた、なんて言い出しませんよね」
「まさか。そうですね、これは私の予想でしかないんですが……洋館には『葉加瀬さん以外の人もいた』んじゃないですか。葉加瀬さんが来る前まで誰かが暖炉を使っていたから『バケツの水は凍らなかった』んです」
葉加瀬は大きく目を見開いた。
「そんな馬鹿な! 僕は、いいですか、僕は誓って、誰かと一緒に洋館に行ってませんよ!」
「ええ、葉加瀬さんと一緒に行ったわけではないでしょう。誰かがいるとしたら、葉加瀬さんが来る前から『もともと居た』に違いありません」
「飛躍しすぎですよ、その理論は!」
望月さんはブラックコーヒーを飲み終わって、氷をチャラチャラと鳴らす。
「おかしな点はまだあります。洋館の扉ですよ。葉加瀬さんが洋館に入った時、ドアは寒さもあってか『ギイと音を立てて固定された』んですよね。そして、洋館を出るときも、葉加瀬さんは『飛び出した』という言葉を使いました。どこからとは言っていませんでしたが、窓からということはないでしょう。扉から飛び出した、ですよね?」
「ええ、そうです」
「なら、葉加瀬さん。葉加瀬さんが洋館を出る時、もしかして『扉は開けっ放し』だったんじゃないんですか。つまり扉はずっと『固定されたままだった』」
葉加瀬の顔がさっと青ざめる。
「葉加瀬さんは洋館に入る際、扉を固定して入りました。そして帰る時……『S波』で揺れた時も、その衝撃で扉が閉まることはなかった。だけど、葉加瀬さんが結論を出して振り返った時、扉は『閉まっていた』。
いえ、もっとあります。葉加瀬の理論では窓から入った風が牛乳瓶を鳴らして音を出していたんですね? じゃあ『窓だって空いているはずですよね』。じゃあ葉加瀬さん、なんで『洋館はすべてを拒否するように閉じられていました』なんて表現を使ったんですか? 扉も窓も全開なのに、なんで『閉じている』ように見えたんですか?」
温かい汗が背筋をつたう。背筋のほうが、冷えているのかもしれない。
「ただドアが閉まる可能性は十分にあります。例えば、余震で閉まったかもしれませんね。走っている葉加瀬さんが余震に気が付かない可能性は十分あります。しかしそんな巨大な洋館の扉が閉まって『大きな音が鳴らないはずがない』。『のんきに自分の足音を聞いていられるわけない』んですよ。しかし扉は閉まっている。もしかして、『誰かが音を出さないように閉めたんじゃないんですか?』
……ところで、この話はいつの話でしょうか? そう言えば、去年の冬にこんな事件がありましたね」
望月さんはネットニュースを開いて机に置いた。
「『センター南で強盗事件。犯人はホームレス集団』――二次被害としてホームレス狩りが行われて、そちらのほうで社会現象と持ち上げられた事件です。ここで問題です。はて、ホームレスが神奈川のどこで『銀行強盗の作戦を立てた』んでしょうか。強盗自体はそこそこ周到なものだったと聞いていますよ」
「……こんな事件、よく覚えていましたね」
「今の話を聞いてこれを思い出したのは、偶然です。だけど一回思ってしまうと……綺麗なほど、ピースが嵌るものですね」
葉加瀬は唾を飲んだ。そう言えばもともとその洋館の噂は『廃墟になった洋館の中から話し声や笑い声が聞こえる』というもので、『叫び声や唸り声が聞こえる』という噂ではなかった。それに望月さんには言わなかったが、あの時葉加瀬は自分の声がエコーのように聞こえたのだ。もしかしてあれは、『そこに隠れていた誰かの声と被ったから』エコーに聞こえたのではないか。あの時、人が入りそうなほど大きなタンスが……
「まあ、もう関係のない話ですけどね」
望月さんはごちそうさまでした、と律儀に手を合わせる。冗談じゃない。
「やっぱ僕は、ミステリ作家です。ホラーなんて二度と書きません。こりごりですね」
いやはやまったく、心臓に悪い。
以上で古い館は終了です。他にも怖い話をお持ちの皆様、図々しいですが僕に話してくださると、もしかしたら、もしかしたらに過ぎませんが、望月さんが解決してくれるかもしれません。では、またいつか。
おかしな話は湧いて出る 葉加瀬 ナツキ @nakinishi
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