第1話 夜道
暑い夏が終わり、雨が降るごとに涼しくなっていく9月頃のことだ。
雨は降っていないのに空は曇って周りも薄暗い、夕方であるのに空が橙色にも染まらずに広がっていた。傘をなくしたため、雨が降ったら困ると思いながら、
鈴江は年齢で言えば学生だが裕福では無いため学校に通うこともできておらず、とある屋敷の手伝いとして住み込みで働いていた。元々孤児で両親はいなく、屋敷の旦那さんとその奥さんだけが私の唯一の頼りであった。自分の取り柄である裁縫と料理を活かしてなんとか仕事を全うしているが、このあと夕飯を作らなくてはならないのに既に鈴江はくたくたである。
薄い服の隙間から寒い風が入り込んできて足元が痛むように冷やされていった。
「お嬢さん、すみません。」
後から若者のようだが低めの声が聞こえきた。後を振り向くと自分よりも慎重が高く、骨っぽくてスラッとした自分よりも五つほど歳上であろう黒髪を首の付け根まで伸ばし、顔の整った男が立っていた。目が細く、目つきが鋭いので私が何かしてしまったのかと不安に思った。
「何でしょう。」
そう返事をすると手に持っていた薄紫色の地味な傘を私の方へ差し出した。
「こちらあなたのものではないでしょうか。」
その傘は紛れもなく私が数日前に無くした傘であった。
「あぁ、その傘は私のものでございます。ありがとうございます。」
何故持っているかも気になるが、傘が戻ってきた嬉しさでさほど疑問にも思わなかった。男から傘を返してもらうと私ではなく男の方から傘を持っている理由を話し始めた。
「お嬢さん、よくこの道を通っているでしょう。
ということは私がここを通っていることを見ていたということなのだろうか、考えると気持ち悪いが、傘が帰ってきたのでそこまで悪い気はしない。
「はぁ、そうなんですか。わざわざすみません。是非今度お礼でもさせてください。」
手提げからメモ用紙とペンを取り出そうとすると男は「とんでもない。」と言いながら控えめに笑っていて満更でもなさそうなその様子がやはり気持ち悪かった。
見た目だけで言えば真面目で物静かなどこか天才オーラの漂うような容姿端麗の美男だが、その男の言動が鈴江には気持ち悪く感じた。
「そうだ、じゃあ今度家へ来ませんか。ちょうどこの近く、というか、貴女が通り過ぎたのを見て家を飛び出してきたところなんでね。あそこです。」
そう言って斜め後ろの古いアパートを指さした。
「いつでも基本家にいるんで、あそこの204号室です。お好きなときに来てくださいよ。」
まだ行くとも行っていないのに話を進めてくる、この男はあってすぐに自分が苦手な人間だと感じた。
とはいえ、行かないのもどうかと思うため屋敷の手伝いがない夜間なら行くと彼に伝えると、表情一つ変えずまた話しだした。
「ありがとうございます。あそうだ、私の名前を言っていなかったですね。
なんとも反応の困る話し方だ。鈴江は苦笑いをして、「それではまた、今度」といってその場を去った。
「只今戻りました。」
屋敷のドアを開け、旦那さんにも聞こえるような大きな声で言った。相変わらず無反応だから、奥さんの看病でもしているのだろうかと考え、靴を土間に置き、長い廊下を上がった。
屋敷の奥さんは二ヶ月前ほどから病気で起き上がることのできないため、旦那さんが看病している。そのため屋敷のことに手が回らなくなったか、同じく二ヶ月前程、私を雇ってくれたのだ。また、その夫婦のちょうど同い年ぐらいの娘が一ヶ月前程から行方不明になっていた。多分最近この年頃の女の人が行方不明になる事件が流行っているから娘さんもその被害者だろう。写真を見せてもらったが、白黒でも色鮮やかに見える程美人だった。奥さんの病に娘の失踪。広くて大きな屋敷なのに私と奥さんと旦那さんの三人しか住んでいないという不気味さがより一層強まった。
街で買ってきたものを台所前の小机に置き、夕食の料理を始めた。
今日の夕食は時間があまりなかったため野菜炒めだ。お二人のいる寝室まで2人分の料理を持って行く。襖を叩き「お食事お持ちしました。」というと中から「はい。」と優しい声が聞こえてくる。襖を開けると暗い和室の真ん中に布団が一つ、奥さんが眠っていた。その近くで旦那さんは私を見て口元に人差し指を持っていった。料理を部屋の中へ持っていき小声で「失礼しました」と言ってその場をゆっくり去った。
この屋敷に住んでいる旦那さんこと、
「若いのに仕事ばかりで大変ねぇ、疲れたらお休みをとってもいいのよぉ」
と、自分の病が深刻なことよりも私を気遣ってくださり、今までそんな人とは出会ったことがなかったためなんとも言えない気持ちになった。
お二人がお食事を食べている間自分も軽めの食事を済ます。お二人と違って貧相な食事だが、これはしょうがないと思いながら食べ進める。食事が食べ終わった頃に、お二人がいる寝室の襖の外には空になった食器が置いてあった。その食器を流しに持っていき、自分も含め皿を洗っているとき後から幸治さんの声が聞こえてきた。
「鈴江さん。お料理ありがとうございました。今日も美味しかったです。」
普段はこのように話しかけては来ないため、なにか私に用があるのだろうか。
「いいえ、とんでもないです。それでどうかなさいましたか?」
幸治さんは少し間をおいてから話し出す。
「鈴江さん、今度から買い物は午前中に済ませてもらえないでしょうか。」
「はい、わかりました。ですが、どうしてでございますか?」
「近頃、若い娘さんが行方不明になる事件が増えてるのはご存知ですよね」
もちろん知っている。幸治さんの娘さんも行方不明になっているからだ。
「もちろんです。」
「もし、鈴江さんも行方不明になったら困ります。娘も、、、、、もしかしたら理沙子さんもいなくなってしまうかもしれませんし、もう大切な人を失いたくないのですよ。」
幸治さんらしい理由だ。これには”はい”と言わざる終えない。だが、今日麻生荘司とやらという男と夜間お礼をしなければならない約束を立ててしまった。そのことも幸治さんに伝えなければならない。
「わかりました。ですが、夜間人と合う約束をしてしまいまして。」
「そうですか、、、、ならば夜道はくれぐれも気をつけてくださいね。」
そう言って幸治さんは部屋へ戻っていった。
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