第2話 絵

 この季節では珍しく、昼に降っていた雨も止みジメジメとした空気が漂う夜。今日の仕事も終わり、麻生荘司にお礼をしに行かなければいけない。正直面倒臭いが傘を返してもらったお礼はしなくてはならないと自分の中の正義感とやらが心のなかでそう言い張って仕方がない。とにかく、今は麻生の家へ向かっている最中なのだ。昼間の買い物のついでに買っておいた手土産、、と言っても安い果物だ。お礼をするという経験したことが無いため何を持っていけばいいのか分からなかった。たかが傘で家に上がるほどでもないだろうと思いながら、昨日初めて麻生と会った場所へ到着した。

 斜め後のアパートの204号室だったような気がする。メモを取っていないため場所もうろ覚えだが、アパートの錆びついた階段を上がっていく。手すりを掴んで上がっていくと手は少し黒ずんでしまった。アパートは、1から5号室まで横に部屋が隣り合っており、外から見る限り部屋はそこまで広くはないだろう。他の部屋に人が住んでいる様子もなく、4号室の窓だけから光が漏れていた。 204号室の引き戸の前に立つ。部屋が間違っていたらどうしようという不安も濃くなっていき、戸を叩くのに少しためらった。覚悟を決めて三回程戸を叩くと数秒後麻生が無言で戸を開けた。私の姿を見ても表情をあまり変えなかった。

「こんばんは。来てくれるなんて思ってませんでしたよ。」

 私も今ここにいるとは思ってもいませんでしたと内心思った。麻生が「上がってください」と言い部屋の奥の方へ入っていった。

 私も部屋に入り戸を閉め、靴を脱いで中に上がった。左には水回り、前には小さな廊下があり麻生はその奥の大きめの和室へ入っていった。私も麻生についていき奥の部屋へ入った。

「どうぞ、散らかっていますが。」

 本当に散らかっている。入ってすぐに薄汚れた丸椅子、奥側に書きかけのキャンバスがイーゼルに乗っている。右側には押し入れがあり、中には積まれたキャンバス。部屋の左側はは絵の書かれたキャンバス、絵の具、筆、筆洗ひっせん等が散乱しており床や壁には絵の具が飛び散っていた。麻生は絵を書くのが趣味なのだろうか。そんなことより賃貸をこんなに汚して大丈夫なのだろうかという心配のほうが大きかった。

「麻生さんは絵を書くのが趣味なんですか?」

 私の声に気がついた麻生は散らかった部屋を片付けるのをやめ私の方を見た。

「えぇ。芸術系の学校に通ってます。よかったら見ますか?」

 そう言って私の意見など聞かず押し入れを漁る。あいかわらず人の話を聞かない男だと思いながらも内心この男がどのような絵を書くかが気になった。

「これとか、、、これも自信作です。」

 そう言って見せた二枚の作品はどちらとも女性の絵で、一枚は長い黒髪の美しい女性の横顔、二枚目はななめ下を向いた髪の短い女性だった。過去に付き合っていた女性なのかと思った。だが長い黒髪の女性はどこか見覚えがあった。どこかで会った事があっただろうか。一ヶ月前ほどの幸治さんに見せてもらった写真を思い出した。

「娘さんだ、、、、、。」

 私のつぶやきに気がついた麻生は首をかしげた。

「どうしました?」

「いえ、、、この絵の女性に似ている人がいまして。」

「もしかして恵梨香と知り合いですか。」

「えりか、、、、、苗字は?」

「倉石、、、でしたはずです。?」

 苗字が一致しているということはやはり幸治さんの娘さんの似顔絵なのだろうか、、。関係を聞くのは野暮なので流石に聞かないことにした。だが。

「恵梨香は元々付き合っていた女性なのです。」

 麻生は表情一つ変えずに言った。自分からほぼ初対面の人にそんなこと言っちゃうんだと思いながら話を聞く。

「一ヶ月ぐらい前まで付き合っていましたが。あまり性格が合わなくて別れてしまいました。恵梨香と知り合いなんですよね?私の話とかしてましたか?」

 一ヶ月前、、娘さんが失踪したのも同じく一ヶ月前だ。麻生から別れたということは娘さん、、、恵梨香さんは麻生に別れ話をされた悲しさで自ら命を絶ってしまったのだろうか。命を絶てるほどの魅力が麻生にあるとは到底思えない。まあ死んだと決まっているわけでもあるまいし、このような想像をしてしまうのは自分の悪い癖だ。

「恵梨香さんとは知り合いじゃなくて、恵梨香さんのご両親と知り合いなんです。だから恵梨香さんと話したことはありません。というか、、、恵梨香さんは、、、、。」

 失踪したことを伝えてもいいのだろうか。

「どうしましたか?」

「いえ、、、恵梨香さんは、、一ヶ月前ほどから失踪していまして、、、、。」

 そう告げた瞬間麻生の切れ長の目は大きく見開かれた。少しの間下を俯き私の方を見た。

「そうなのか、、、それは知らなかった、、、。恵梨香は大丈夫なのか心配だ。」

 そう本人は言っているが、口調や表情から悲しんでいるようには思えない。どうせ嘘何じゃないかと思った。失礼だが。

「というか、ずっと立ち話させてすみません。椅子はないが座ってください。今茶を入れてきます。」

 そう言って麻生は絵や絵の具、筆等をを押し入れに乱雑に押し込み、台所がある方へ向かおうとした。

「あ、麻生さん。私、お礼に果物を持ってきたので受け取ってください。」

 そう私が言うと足をとめ、こちらの方へ向かってきた。私は果物が入った紙袋を麻生に渡した。

「ありがとうございます。良ければ鈴江さんも一緒に食べますか?」

「いいんですか。ありがとうございます。」

 私がそういうと麻生はにっこり笑って台所の方へ向かった。

 台所の方からはコンロをつける音と果物を洗う音が聞こえてくる。この広い部屋に一人になった私は畳にやっと腰をおろし持ってきたトートバックを自分の横においた。私はさっき見せてもらった麻生の絵が心に残ったため他の作品も見てみたいとふと思った。許可は取っていないがまあいいだろうと押し入れをゆっくり開けていった。中にある大量のキャンバスから適当に選んだキャンバスを取り出す。かさばったキャンバスのかなり下の方に会ったため出しにくかったが。押し入れの中が崩れなくて良かったと思った。さて、作品とご対面だ。私はキャンパスを表に返した。

「うっ、、、、。」

 思わず声が漏れてしまった。キャンバスには女の人がモノクロで描かれているというわけではなく、どちらかといえば全体的が黒く染まり女の人の絵が浮かんで見えるといったほうが正しいほど黒い絵だった。黒いシルエットの周りはトマトジュースをこぼしたように赤く染まっていた。こういう絵を描く時期もあったのだろうか。この絵の不気味さに耐えきれず、キャンバスを押入れの中に押し込んで戸を閉めた。


 そういえば私名前言ったっけな___。


「鈴江さん。遅くなってすみません。お茶をお持ちしましたよ。」

 急に声が聞こえ、身体全身の血の気が引いたようだった。後を見ると二つの湯呑と果物の入った皿をのせたトレーを持った麻生が立っていた。キャンバスを盗み見たことはバレていなさそうだ。それにしても本当に気配もなく現れたため今も心臓の音がよく聞こえる。

「ありがとうございます、果物も準備してもらって、、、、」

「いいんですよ。招いたのは私ですし、お客さんですからね。」

 そう言いながら麻生は微笑む。私は絵を盗み見ていたことが恥ずかしくなって押し入れから離れ部屋の隅に寄った。麻生は私の前に持っていたトレーを置いて座った。


 そこからはお茶を飲んで果物を食べて雑談したりして過ごした。お互いの距離は少ししか縮まらなかったが、帰り際玄関で「また来てくださいね。いつでもお待ちしています」と声をかけてくれた。気持ち悪く変な人だという印象だったが今日を通して麻生のことが少し好きに慣れた、、、、気がする。

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