第7話 当たり前の事

 私は神様と真正面から向き合った。神様の怒りを受けた目を凝らして、醜い獣をじっと見つめる。憎しみは少しも湧かず、私は罪悪感で胸がいっぱいだった。

 お婆さんが言っていた四人の女子高校生は、杏奈あんなたちの事だ。私が声をかけたのは杏奈と久留米くるめさんだけだったが、ほかにも二人いるのだろう。私が心霊スポットに立ち寄ったか訊ねた時に二人が言いよどんだのは、恋のおまじないをしたことを知られたくなかったのだ。


「悪いのは杏奈たちでした。勝手に悪い奴と決めつけて攻撃してしまい、すみませんでした……っ!」


 私は神様に頭を下げた。もっと他に上手い言い方があっただろうが、心に浮かんだままを口にした。私は相手が神様だと知ろうとしなかっただけでなく、杏奈たちが何をしたのかも知ろうとしなかった。私が神様に無礼を働いて罰を受けたように、杏奈たちも無礼を働いたから罰を受けたのだ。お供え物を引きちぎり、ゴミを散らかすなんて、神様が怒って当然だった。


 握り締めたガムの包み紙が次第に熱を持ち始めた。痛みを感じるが、私は手を開かなかった。手のひらに爪を食い込ませて耐える。地元の人たちが大切にしてきた神様を、醜い姿に変えてしまった罪は重い。

 祠には新しい榊が左右に並び、中心に男の子が供えた折り紙の猿がいる。神様は熱心にお参りしていた男の子の前へ現れ、力を授けていた。男の子の眼帯はすぐに外すことができるだろう。


 獣は私に近づくと、黒い塊の垂れ下がる腕を伸ばした。鋭い爪が私の頬を撫でる。私は獣の黒い瞳を見つめた。ふいに目が熱くなり、視界が真っ白に染まる。強い光を浴びせられたみたいに何も見えなくなった。

 景色を取り戻した時には、膜を張られたようなうっとおしさが消えていた。


 目の前に白い猿がいた。


 淡い光を発しながら、黒曜石のような瞳で私を見つめている。頬に当たっていた鋭い爪はなくなり、しわの寄った指先が暖かかった。汚れていた毛からは黒い塊が消えて綿毛のようにふわふわと風で揺れていた。

 神様は私から手を離すと、地面に手をついて背を向けた。祠へと帰って行く後ろ姿に私はお辞儀をする。


「ありがとうございましたっ!」


 私は謝罪を受け入れ、怒りを収めてくれた慈悲深い神様に感謝した。悪いことをしたら反省して心から謝るように、お礼を言うのも当たり前のことだった。



 ◇



 私は家に帰る途中で、杏奈の家に行ってみることにした。

 神様には杏奈たちの分まで謝ったつもりだったが、彼女たちが赦されたどうか分からない。もし目の異常が続いているなら、ほかの二人も呼び出して祠へ謝罪に行くべきだろう。初対面だった久留米さんを含め、私は杏奈とも連絡先を交換していなかった。様子を知りたくても、明日は日曜日なので学校で会うこともない。

 杏奈とは小学校一、二年生の時にクラスが一緒だった。近所だったこともあり、お互いの家で何度か遊んだこともある。杏奈の家は一軒家で引っ越ししたという話も聞いたことがなかったから、行けば会えるはずだ。目に異常がある状態で外出するとも思えなかった。


 視力の回復した目で見ると、通りは嘘みたいに穏やかだった。行きには飛び出してくるよう感じていた自転車の人も、真横を通り過ぎる時には、気を使って小さく会釈をしていた。


「ここ、だったよな……」


 杏奈の家は記憶通りの場所にあったが、なんだか小さく感じられた。私が成長したということだろう。通学路にも含まれておらず、近所を通ったのはそれこそ小学校低学年以来だった。赤茶色のレンガの塀を過ぎ、門に手をかけると、玄関の隅に真っ青なプラスチック製の鉢植えを見つけた。一年生の時に育てた朝顔のものだ。家では処分してしまったが、私が持って帰った時、ペットボトルホルダーがあることに6つ上の姉が驚いていた。


「は~い……って、綾香あやかか。どうかした?」


 鳴らしたインターフォンに応対したのは杏奈だった。よそ行きの声を聞かれたのが恥ずかしかったのだろう。訪れたのが私だと分かると、杏奈の声は低くなった。私は家の中に入らず、玄関に立ったまま手短に訊いた。


「目、治ったか?」


 見たところ目やにが浮いた様子はない。杏奈は「ああ、うん」と頷いた。


「医者にもらった薬が効いたみたい。原因はガスとか言ってたよ」


「違ぇ……」


 私はガムの包み紙を杏奈に押し付けた。


「えっ? 何よ、コレ……」


「アンタたちの忘れもんだよ。お供え物をむしって、ゴミまで散らかしたから罰を受けたんだ」


 私は杏奈に、彼女たちが恋のおまじないをして神様の怒りを買ったことを話した。私の責めるような口調が気に食わなかったのか、杏奈はずっと顔を伏せて腕を組んでいた。


「慈悲深い神様だったから、謝って赦してもらえた。もう二度とやんじゃねぇぞ」


 あの神様は古くから地元で信仰の対象となっていたのだろう。石造りの祠は角が取れて丸みを帯びていたが、表面に苔は生えていなかった。敷地を囲う玉垣はまだ新しく、寄進者の名前に朱が残っていた。オッサンが言うように、今でも大切にされているのが分かった。

 私は久留米さんたちにも伝えるよう杏奈に頼んだ。彼女の返事はそっけなかったが、ばつの悪さを感じているのなら、同じ過ちを繰り返すことはないだろう。


「ああ、そうだ――」


 門のところで、私は杏奈を振り返って言った。


「――救急車を呼んでくれたのは感謝してる。ありがとうな」


 杏奈は何も言わず、玄関の扉を閉めた。


 週明けの月曜日。私は再びきたない猿を見ることになった。

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