第4話 負けっぱなしじゃ気が済まない

 生まれつき霊感のある私にとって、霊が視えるのは当たり前のことだった。両親や二人の姉たちは、霊が視えないにも関わらず、私の能力を一切否定せずに受け入れた。建物の隅にいる幽霊を指差せばどんな形かを訊ね、私が小動物の霊を捕まえて差し出すと驚いてくれた。


 それが当たり前ではないと悟ったのは、小学生になってからだった。


 霊が視えると言うと否定され、触れると言うと馬鹿にされた。次第に私は『イタイ女』としてクラスメイトから疎まれるようになった。

 最初は世間の“当たり前”に合わせようとしたが、私には難しかった。あるものをないように、居るものを居ないことにはできないのだ。私をからかう奴も同じだった。いくら無視しても、霊を目で追う私を笑う声は聞こえてくる。


 短気で怒りっぽいこともあり、私はすぐに我慢するのをやめた。

 陰で私を指さして含み笑いをする男子たちを捕まえて、思いきりゲンコツを食らわせた。


 「言いてえ事があるなら真っ正面から言えよ! コソコソしやがって……! 別にお前らに信じて貰わなくたって何とも思わねえっつうの! バーカ!」


 そうやって怒鳴ると、男子たちは火がついたように泣き喚き始めた。

 職員室に呼び出された私は、教師にいくら叱られても、かたくなに態度を変えなかった。私が霊感を持っているのは嘘ではないし、馬鹿にしてきた男子たちが悪いと思ったからだ。困った挙句、教師は母を呼び出した。男子生徒の親と教師に頭を下げる母に、私は腹をてた。私が悪いわけじゃないのに、と。


 学校からの帰り道、不機嫌な私の手を引きながら母は言った。


「いいのよ、失礼な奴なんかはっ倒しちゃえば。出来なくて後悔するのが普通なんだから。アンタはそこで止まらないような思いきりを持っている。これはチャンスよ。どうせなら後悔しないように生きなさい、綾香」


 驚いて見上げた母は微笑んでいた。


 それから私は、霊感を隠すことも行動しないで我慢することもやめた。コソコソと陰口を言う女は引っ叩き、真正面から馬鹿にしてきた男を殴り飛ばした。日頃の暴力に対する注意だけでなく、精神疾患のある子供と決めつけた教師には、蹴りをお見舞いした。

 たびたび学校から呼び出されても、母が頭ごなしに私を叱ることは一度もなかった。帰り道で私の口から事情を聴き相手の非を認めると、後悔しないで生きるよう励ましてくれた。


 私は今でも母の教えを貫いている。



 ◇



 グズリと鼻をすする音が聞こえて、私は目を覚ました。日暮れを迎えたらしく、見知らぬ天井のある部屋は暗かった。


「綾香……?」


 声の聞こえる方に顔を向けたが、母の顔はぼんやりしてよく見えない。目にゴミが入っているのか、ぽつぽつと黒い染みがうっとおしかった。目をこすろうとして、手を優しくつかまれる。


「ダメだよ、あやちゃん。血が出たんだから」


 3つ上の姉だった。彼女は私の両手を取り、自分の額に当てがった。


「気が付いてよかった……!」


 声は涙ぐんでいるが、表情までは分からない。状況を把握できないうちに、6つ上の姉が「看護師さんを呼んでくる」と、走り去る音が聞こえた。


 路地で倒れた私は、救急車で病院に運ばれていた。5時間も気を失っていたそうで、説明する母と姉の声に疲労がにじんでいた。

 頭を打った可能性があると言われCT検査を行い、その後は眼科で目の検診が行われた。視力検査では芳しい結果を出せなかったが、出血は治まっており、外傷も一切見られなかった。


「眼圧は正常ですし、眼底検査でも異常はありませんでした」


 医師にはそう告げられたが、視界は薄い膜を被せられたようにハッキリとしなかった。どう考えても、あの穢い猿の仕業だろう。私は念のため、一晩入院することになった。

 一通りの検査を済ませて病室に戻ると、目覚めた時にいなかった父も来ていた。テーブルには夕食が置いてあった。


「綾香、だ……」


「やった! 飯だ!」


 父への挨拶より先に「いただきます」を言い、私は滑り込むようにベッドへ座った。昼食を食べ損ねて腹が減っていたのだ。親の仇のように箸を探していると、見かねた母が手に持たせてくれた。


「も〜、心配したんだからねっ」


「でもよかった〜。いつものあやちゃんだ」


「あんまり急ぐと、喉に詰まらせるぞ」


 姉二人と父の言葉にうなずきながら、味噌汁のお椀を空にする。私の食べっぷりに、家族は安心した様子だった。姉たちは退院したら改めてケーキを買うと言い、父がご飯のおかわりをもらいに行こうとして母に止められた。

 食事を終えて飢え死にするほどの空腹は収まったが、私の怒りは収まらなかった。面会時間の終了が迫り、それぞれが帰り支度をする中、母が言った。


「私もお礼に伺うつもりだけど、退院したらお友達にありがとうを言うのよ」


 杏奈と久留米さんが救急車を呼んでくれたらしい。サイドテーブルには、ベンチに忘れたはずのカバンが置いてあった。


「へーい」


 私はカバンからコーラを出して飲んだ。食事は想像していたよりも美味しかったが、量が足りなかった。コーラはぬるく、炭酸が抜けていた。


「おやすみ、あやちゃん」


「また明日ね」


「歯磨きを忘れるなよ」


 二人の姉と父が口々に言い、病室を出ていく。残った母は私の頭を撫でて、頬をつまんだ。


「もうお化けと喧嘩しちゃダメよ」


 見えづらくても母の不安は感じ取れる。私は正直に言い返した。


「負けたまま引き下がるなんて出来ない!」


 母の指先に力がこもった。


「やっぱりお化けのせいなのね。どれだけ心配したと思っているの! 制服も血だらけで……」


「今すぐブッ殺しに行く!」


 それと私にラリアット仕掛けた和服姿の男も許せなかった。もし次に会うことがあったら、絶対にシバき倒してやる……。


「綾香っ!」


「ヤダ!!」


 私と母の言い合いを聞きつけ、姉たちと父が戻って来た。姉たちに引きずられて去っていく母に「おとなしくしているのよ」と言われたが、従うつもりはなかった。


 消灯時間を待って、私は病院を抜け出した。


 私の運ばれた総合病院は、山の一角を切り出して建てられていた。病院の裏手には坂があり、廊下の窓から簡単に道へ出られそうだった。建物との距離はおよそ1.5メートルだ。普段だったら難なく飛べる距離だが、夜で視力の落ちた状態だと少し躊躇いを覚えた。

 それでも結局は穢い猿への怒りが勝った。窓から飛び出し、私は柵の金網に指をひっかけてしがみついた。


「さっすが、私」


 金網を登って道に下りれば脱出成功だ。帰りのことは後で考えることにして、私は坂を上り始めた。病院から路地に行くには、山の頂上に出る必要があった。

 時刻は夜の十時を過ぎ、高校生の私が歩いていたら補導される時間帯だった。おまけに私は、作務衣のような入院着を身に着けている。昼間に着ていた制服のブラウスとスカートは血だらけで、クリーニングに出すため家族が持ち帰っていた。着替えは明日に持って来るという。


 頂上を過ぎた先には、日中にきたない猿と戦った公園がある。道路は街灯で照らされていたが、視界の悪い目にはあまり意味がない。夜道を歩く足取りはおぼつかず、私はたまった目ヤニを拭うために立ち止まった。


 公園にうずくまる人影が見えた。


 私が穢い猿の次に倒したい相手、和服姿の男だ。今の状態では見間違いということもあったが、和服を着ている奴はそう多く見かけない。私は無視して通り過ぎることが出来ず、怒りに任せて男へと向かった。


「この野郎っ!」


「おわっ!」


 素足で履いたスニーカーが緩くて思うように走れず、私が突き出した拳はあっさりと男にかわされた。トポトポと水のこぼれる音がする。


「酒……?」


 ふわりと立ち込めた香りに私は顔をしかめた。男が悪態をつく。


「ったく、余ったら飲むつもりで高いのを買ったのによぉ……」


 私は目を凝らして男を見た。男は袖を引きながら一升瓶を持ち上げて立ち上がった。瓶を起こすときに酒がついたのか、男は腕を口元に寄せて舐めた。じゅるり、という音が耳に障る。

 夜遅くに公園で一升瓶を持ち、うずくまっていた和服の男――どこを切り取っても怪しさしか感じない。警戒心がもたげ、私は拳を構えて男から距離を取った。

 男が言う。


「なんだ。誰かと思えば、昼間の馬鹿者女じゃないか」


「てめッ……!!」


 探す手間が省けた、と男は喜んだが、冷笑を含んだ物言いは私の怒りに拍車をかけた。私は腕を引いて前のめりになった。


「格上相手に無礼を働いたんだ。馬鹿と呼んで何が悪い?」


 男の声が耳元で聞こえ、私は拳を止めた。和服なら足元は草履か下駄だろう。予想外の俊敏さだった。


「格上? 無礼? 無礼なのはてめぇだろ?」


 目の前の男が格上かは分からないが、無礼を働いた覚えはない。ラリアットを食らって倒れたのは私の方だった。

 男は一升瓶を傾けて酒をあおった。無防備な腹に拳をぶち込むのはたやすかったが、舌戦を挑まれたのなら言葉で勝たなければプライドが許さない。

 男は口に含んだ酒を、私の足元に吹き出した。バックステップで避け、何とか免れる。


「汚ったねぇな!」


 舌戦なんてどうでもいい。やっぱり倒す……!

 拳に力を込めた私に、男は「よく視ろ」と言った。


「今は障りがあるみたいだが、視えてるんだろう?」


「えっ?」


 私は足を上げて、自分のスニーカーをまじまじと見た。ゆらゆらうごめく影のようなものに集られている。


「クソッ! 消えろっ!」


 手でたたくと簡単に消え去ったが、まるで蜜に引き寄せられる虫のように影が次々と現れる。男が今度は手に酒を注いで私のスニーカーにかけた。すると影が消え、ふたたび現れることはなくなった。


「アンタ……何者だ?」


 普通の塩や酒で除霊が出来ないことは、経験から知っている。間違いなくこの男の力によるものだろう。


「ようやく話を聞く気になったか、馬鹿者女。ちっとは知性が残っていたみたいだな」


 そう言って男は、たもとから取り出したキャップで一升瓶の口を閉じた。

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