第2話 管理者

「あ、起きた? おーい。高瀬凪くんで合ってるよね?」

 すごい、顔の綺麗な男だな。全然タイプじゃないけど……。律樹の方が百億倍かっこいいが、それはそれとして人間離れして綺麗な顔だ。妖精とか、神さまって言ったほうが正しい気がする。

 俺はぼうっと目の前の男を見つめた。黒いスーツを着ている。こちらを覗き込むように上体を傾けて、後ろで腕を組んでいるらしい。男から視線を外して周りを見ると、真っ白な天井が見えた。病院?

「い、生きてる⁉」

 俺は飛び上がり、両手で体を触った。足、ある。腹、なんともない。

「え、夢⁉ どこから⁉ 最前も夢⁉ ドームは⁉」

「あ~、うんうん。なるほどね。わ~、すごい。人間って感じ! よしよし、全部夢じゃないよ~。最前もドームも君が死んだのも全部現実だからね」

「え……⁉」

 なに? 聞き間違いか? 俺は目の前の男を改めてじっくりと見た。

 黒い髪、白い肌、赤い目。大きな翼。目を擦る。黒くて立派な羽だ。スーツの背中から生えているらしい。赤い目はカラコンでどうにかなるとして、羽は……でも今どきはコスプレとか色々あるし、作り物だよな? 縋るように見つめていると、羽が大きく広がった。すごい。動くんだ。

「まだ混乱してるみたいだね。とりあえずもう一度確認するけど、名前は?」

「た、高瀬凪です」

 この人がコスプレイヤーだとして、この状況は一体なんだろう。俺はアリーナにいたはずだが、今は壁も天井も床も真っ白でベッドだけが置かれた部屋にいる。窓もドアもない。背中を冷汗が伝った。

「よかった。じゃあ説明するね。まず、君は死んだ」

 そ、そんなニコニコの笑顔で……。呆然とする俺をよそに、男はぺらぺらと喋った。ベッドの横にいつの間にか現れたスツールに腰かけ、足を組んでいる。股下が五メートルくらいありそうなほど足が長い。

「アリーナでの爆発事故でね。君含めて、あの会場にいた全員が死んだんだ。悲しい事故だった」

「全員……」

 あの会場にいた、全員? 俺は全身の血が足元にひいていくのを感じた。手がぶるぶると震える。

「律樹は、あの、宮葉律樹は……、彼は無事ですか?」

「凪くん、話を聞いてた? 全員死んだって言ったでしょ」

 聞いた瞬間、涙が溢れた。男から泣き顔を隠すように体を丸め、腕で目元を抑える。肩が震えて、うっうっと声が漏れた。頭が真っ白だ。自分が死んだと聞いた時よりショックだった。

 元々、俺は高校生の時には親が死んでて、今じゃ親戚の厄介者だし、俺が死んだって悲しむ人はいないけど、律樹は違う。律樹はそんな簡単に死んでいい人じゃない。俺はもちろん、たくさんの人が悲しむ。

 それに、やっとドームに行けるところだったのに。アスターボーイズはデビューしてからずっと、目標はドーム公演だと言っていた。やっとその夢が叶ったのに。これからだったのに。

「悲しい?」

 頷く。

「宮葉律樹に生き返ってほしい?」

 俺は勢いよく顔を上げて男を見た。

「で、できるんですか?」

「うん。まあ、交換条件があるんだけど」

「なんでもします、俺にできることなら……!」

「ありがとう。じゃあ、まず君には異世界に行ってもらって、そこで魔王が生まれるのを防いでもらいます」

 そんなベタなラノベみたいな展開ある? すごい、動画配信サービスのアニメで二十個くらいありそうな展開が来た。俺は戸惑い、不信感、不安、そして期待の入り混じった顔で男を見た。

 宗教画に出てきそうなくらいめちゃめちゃきれいな顔を見ながら真剣に考える。

 一旦、あくまでも一旦、これが全部夢じゃなく現実だと仮定して、俺は死んでいて、アリーナにいた律樹も死んでる。ここで俺が異世界に行って魔王の誕生を阻止するとかいう壮大で意味不明な交換条件を断ったら、律樹も俺も死んだままだ。

 俺は男に向かって片手を上げた。

「はい、凪くん」

「質問なんですが、もし俺が魔王の誕生を阻止出来たら、アスターボーイズのメンバーはみんな生き返りますか?」

 そうだ、律樹だけ生き返るんじゃ意味がない。いや、最悪律樹だけはなんとしてでも生き返ってほしいけど、できればアスターボーイズには全員そろってドームに行ってほしい。

 男は「良い質問だね」と微笑んだ。

「いいよ。もし君がミッションに成功したら、宮葉律樹も他のメンバーも、あのアリーナにいた人間皆生き返らせてあげよう。君以外ね」

「なんで……⁉」

 急に仲間外れにされてビビるんだが。え、なんで俺は生き返らせてもらえないんですか? 俺もアスターボーイズと一緒にドーム行きたいよ。混乱を隠さず男を見つめると、彼は同情するように腕組みしながら何度も頷いた。

「簡単に説明すると、魂には耐用年数があって、君はこれから異世界に行って生きることで残り時間がどんどん減っていくわけだ。あっちの世界で生きた分、こっちの世界で生きられなくなる」

「なるほど……」

「やめる? 別に私はそれでもいいんだけど」

「や、やめません、やめません!やります、やらせてください!」

 やってもやらなくても俺自身は死ぬんなら、推しの命救ってから死にてえよ。

 俺は覚悟を決めベッドの上で立ち上がった。男に向かって腰を九十度に折り、高校時代ラーメン屋のバイトで培った渾身の声量で「よろしくお願いします」と叫んだ。

 その後、男はどこからかホチキス止めされたA4の書類を取り出した。

彼が指をパチンと鳴らすとベッドが消え、会議室のような長机とパイプ椅子、ホワイトボードが現れる。俺は圧倒されたまま二時間弱の異世界講義を受けた。

「じゃあ資料一ページ目を見てほしいんだけど、この写真の子が君がこれから行く世界で魔王になる予定のアスターくんだ」

 言われた通り資料に目を通す。すごい、隠し撮りみたいな写真だ。これだけで異世界っぽいって分かるな。背景のせいかな。というか、魔王(仮)、アスターって名前なのかよ。全然他人とは思えない。

「アスターくんもかわいそうな子でね。まだ生まれたばかりの赤ん坊のころに捨てられて、孤児院で育ったんだ。資料二枚目見てくれる? それが魔王になったアスターくんだよ」

 バチイケすぎるだろ! 俺は目頭を押さえた。いや、俺には律樹という心に決めた最推しがいるんだが、それはそれとして一枚目の前髪が長すぎて顔の八割を覆った状態のアスターくんから華麗なる魔王へと変身を遂げたアスター様は衝撃の成長だった。垢ぬけすぎ。

 短かった髪は長く伸び背中で波打って、竜に生えているような角がある。斜め後ろからのショットで顔は良く見えないが、すっと通った鼻筋が綺麗すぎて見なくてもカッコいいのが分かる。

「アスターくんが魔王になったら最後、世界は荒廃して滅びへ一直線だからね。凪くん、くれぐれもそうならないように頑張って」

 男の言葉にはっと我に返る。そうだ、魔王姿のアスターがあまりにもかっこよくて一瞬忘れていたが、俺はこれからアスターが魔王にならないように頑張らなきゃいけないんだった。謎の名残惜しさを感じながら資料一枚目の垢抜け前アスターに目を戻す。

 それから、男はアスターが魔王になるまでのおおまかなあらすじと、絶対に阻止すべきターニングポイントをいくつか教えてくれた。

 話を聞いているうちに、ここまでサポートされたらなんとなく俺にも世界を救えるんじゃないか? という気持ちになってきた。やる気がどんどんわいてきて、資料をじっくりと読み込む。異世界には持ち込みできないらしいので、今のうちにしっかり覚えておく必要がある。

 「勉強熱心でいいね!」

 大学受験以来の必死さで資料と向き合う俺の肩を男が叩いた。彼はその手を軽く握りこむとくるっと回し、ゆっくり開く。手品のように手のひらの上に現れたのは青い石のはめ込まれたペンダントだった。

「努力家の凪くんにはお助けアイテムをあげよう。これは魔法のペンダントで、計画が上手く行けば白く光る。進展なしなら青のまま、悪い方向に進めば黒く濁っていく。分かりやすくていいだろ? 道しるべだ」

「ま、魔法のアイテム……! あの、やっぱりあなたって神さまなんですか?」

 謎の白い部屋で神様から異世界転生前のチュートリアルを受けるのはラノベだとお決まりの流れだ。

 男は俺の質問にぱちぱちと瞬きした。睫毛が長すぎる。丸の内のOLより長い。

「神さまっていうか……どっちかというと、管理責任者とか、そっち系かな」

「組織の一員なんですか……⁉」

 一気に親近感が増した。非人間社会にも組織ってあるんだ。男は笑って黒い羽根をばさばさ動かした。

 もらったペンダントをチェーンで首から下げる。よし、このペンダントを真っ白に輝かせられるよう頑張るぞ。そして律樹とアスターボーイズのメンバー、俺以外のアリーナにいた人たちを生き返らせて皆をドームに連れて行くんだ。

 立ち上がって拳を握り闘志をみなぎらせる俺に、管理者が「じゃあそろそろ行く?」と声をかけた。

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