第3話 異世界

「ライル、ライル起きなさい! いつまで寝ているつもりですか!」

 勢い良く布団をはぎ取られて、俺は目覚めた。

 ぱちぱちと瞬きをして、ゆっくりと周囲を見回す。ロココ調の豪華な室内。肌触りの異様に良い服。俺を厳しい表情で見下ろす貴婦人。

 頭の中で管理者に渡された資料の、家族のページが開く。彼女はアシュフォード公爵家の女主人、つまり俺の母だ。

 俺は今この瞬間、管理者によって、本来ならこの世界に存在しないはずの人間、アシュフォード家の末息子ライルになっていた。

 ゆっくり体を起こしながら母になった人を見る。

 眉を寄せて厳しい表情をしてはいるが、華奢で少女のような雰囲気だ。髪型もドレスもぴしっと整っていて、それだけできちんとした人だというのが分かる。

 彼女の顔を見ていると、今更ながら本来なら彼女が産んでもいない俺という息子を世話させるのが猛烈に申し訳なくなってきた。

「良いですか、ライル。あなたも今年で十六になるのですから、しっかりしなくてはなりません。今のように一人で起きられないようでは母は心配であなたを学校にやれません」

「すみません……」

 謝りながら、俺はハッとして立ち上がった。そうだ、学校! アスターが魔王になるのを阻止するために、彼と同じ王立魔術学院に入学する必要があるんだった。

 ママさんの有難いお言葉を聞きながら衝立の裏に回り、寝間着から洋服へ着替える。

 後に俺はこの時ろくに考えず軽率に行動したことを心から後悔するのだが、この時はまだ知る由もない。

 用意されていたのは着慣れない服だったが、予習のおかげで難なく着替えることが出来た。

 長い髪を櫛で梳かしながら姿見を見る。十五歳の少年だ。管理者は「適当に作る」と言っていたが、どことなくさっき見たママさんの面影がある。白い肌に鳶色の髪の、ザ・西洋ファンタジーアニメど真ん中という顔だ。何の変哲もない。特徴がないという一点において、現代日本に生きる高瀬凪と似ている。

 身支度を整えて出て行くと、ママさんは鋭い眼差しで俺を一瞥した。幸い及第点だったらしく、朝食を食べようと誘われ一階に降りる。

 さすが公爵家だけあって、アシュフォード邸はかなり大きかった。階段と階段を繋ぐ踊り場だけで俺が住んでいたワンルームのアパートより広いかもしれない。

 朝食会場に着くと、家族が全員集合していた。長方形のテーブルの、奥側の長辺に長男がいる。手前の長辺にある空席はママさんの場所だろう。部屋の一番奥、いわゆる誕生日席に父であるアシュフォード公爵が座っていた。俺以外見事に美形だ。

「おはようライル。よく眠れたみたいだね」

 朗らかに笑いかけてくれたのは兄のニールだった。ママさんが「寝坊なんて、だらしがないわ」と言いながら席に座る。俺もテーブルの向こうに回って兄の隣に着席した。途端、待機していた使用人たちがテーブルに料理を用意していく。

 一見パンケーキとエッグベネディクトに見えるが、なんの粉かもなんの卵かも定かではないところに異世界に対する緊張を感じる。

「ニール、仕事はどうだ?」

 パパさんがパンケーキを切り分けながら聞く。長男ニールは王宮で書記官をしている。エリートコースで問題なく進めばいずれは父親の跡を継ぎ宰相になることも夢ではない。

「特に問題なく。昨日は陛下にお声がけいただきました。お前がアシュフォードの倅かと」

 ママさんが「まあ」と嬉しそうに笑う。パパさんも口の端に笑みを浮かべてサラダを口に運んでいる。さすが、アシュフォード家の期待を一身に受けて育った人だ。立派だ。

「ニールは優秀ね、努力家だし」

 ママさんが誇らしげに言う。

「うちの子供たちは皆努力家だろう。君に似て」

「まあ、あなたったら……」

 和やかな雰囲気だ。家族全員がふふふ、あははと笑いあっている。団らん参加一日目、完全異分子の俺は気まずいながらもなんとなく微笑んだ。

「それで、ライルは? どこの学校に行きたいか、もう決めたのか?」

 完全に寄生虫の気持ちを理解しかかっていた俺にも、パパさんが声をかける。俺は口に押し込んだパンケーキを飲み込んでから「はい」と答えた。

「あの、王立魔術学院に……」

 食卓がしん、と静まり返る。ママさんが困ったようにパパさんへ目配せする。ニールも黙り込んで目線で両親を窺っていた。しばらくたって、パパさんが持っていたフォークとナイフを置いて俺の方を向いた。

「すまないライル。もう一度言ってくれるか?」

「王立魔術学院……」

「その、ライル、気を悪くしないでほしいんだけど……魔術記念学園とか、王立中央学院ではだめなの?」

 ママさんが言いづらそうに提案してくる。かなり遠回しに学力不足を指摘されている。ママさんの提案を聞いてニールも俺の肩を優しく叩いた。

「そうだライル。魔術記念学園もいい学校だよ。無理に私の卒業校に行かなくてもいいんだ」

 別に、ニールと同じ学校に行きたいわけではないのだが……。

 その後、俺は朝食の時間いっぱい使って家族全員から志望校のレベルを落とすように説得を受けた。

 だが、結論は同じだ。俺はなにがなんでもアスターと同じ王立魔術学院に行かなければならないのだ。

 俺は必死に勉強を始めた。寝食を惜しんで取り組んだ。ものの一か月でかなり体重が落ち、家族からものすごく心配された。なんていい人たちなんだ。ほぼ洗脳みたいな手法で入り込んで本当に申し訳ない。だが、受験まであと半年しか残っていない状況で妥協はできなかった。

 パパさんに土下座して頼み込み専属の家庭教師をつけてもらい、鼻血が出るまで勉強に打ち込む。こんな風に努力したのは、それこそ大学受験以来だった。

 当時の俺は、正直高校卒業後はどっかの企業に拾ってもらうか、消防士になるかだな、とぼんやり考えていた。だが両親や教師からの説得もあり、今の時代、経済的に許されるなら大学は出た方がいいと考え直し高校二年生の夏から本格的に大学受験に向けて動き始めたのだった。

 しかし元々勉強が得意でない俺にとって、大学受験は地獄そのものだった。やってもやっても上がらない成績。半面、周囲の同級生たちは勉強なんてしていないといいながらどんどんA判定を取っていく。気が狂いそうだった。三年に上がっても全く現状打開できないまま、交通事故で両親が死んだ。

 どうしたらいいか分からなかった。律樹と出会ったのはそんな時だった。

 アイドルデビューをかけたサバイバルオーディション番組だった。百名の候補生たちのうち、デビューできるのはたったの四人。厳しいレッスンと度重なるダメだし。テレビに映る彼らは必死に頑張っていた。ただぼうっと流れる映像を眺めていた俺の心を、律樹の言葉がわし掴んだ。

 審査員たちの厳しいダメ出しのあと、インタビュアーからどうしてこんな状況で笑っていられるのか、と聞かれた律樹はこう答えたのだ。

『たしかに悔しかったです。俺にはまだまだ努力も、才能も足りないということが分かりました。でも、審査員のみなさんに教えてもらったことがたくさんあります。もっと成長できるところがあります。ないものを数えるより、あるものを数えていたいんです』

 律樹は誰よりも努力していた。

 俺は彼から目が離せなかった。彼が悔しくて泣くたび、泣きながら立ち上がる度、なにも感じないほど傷つき凍り付いていた心が震えた。律樹が一生懸命生きているから、俺ももう少し生きてみたいと思えた。たとえ一人でも。

 幸い、両親が残してくれたお金は一人暮らしをしながら大学に行けるくらいはあった。俺は親戚の厄介になりながら死に物狂いで勉強し、なんとか大学に滑り込んだのだった。

 今度は俺が律樹を助ける番だ。彼からもらった成功体験を握りしめ、アシュフォード家総出で応援されながら受験勉強に邁進した。

 結果、見事合格!

 努力を見守ってくれてはいたものの、全く結果に期待していなかったママさんとパパさん、兄のニールは俺の躍進を心から喜んでくれた。家庭教師の先生を含めた使用人全員には金一封が配られた。

 俺も合格の連絡が来た瞬間、足ががくがく震えて立てなくなった。

 良かった、本当に良かった。入学できなかったら始まる前にすべて終わるところだった。

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