第2話 昼夜のお店
夜の時間ともなると、どうしても、背広姿の男性が多く、中には、単独の女性客も少なくはないことから、
「出会いのバー」
ということで、一時期だけだが、
「地元の情報誌で紹介されたこともあった」
という。
その時のキャッチフレーズとしては、
「隠れ家のようなお店」
と言われていたのだった。
ただ、このお店で面白いところは、
「目的がはっきりしている客の邪魔はしない」
ということであった。
店には、
「バーテンダー」
ということで、男子、女子、それぞれが数名いるのだが、
「男性客には女性のバーテンダー」
「女性客には、男性のバーテンダー」
ということで、ハッキリと色分けされていた。
ただ、中には、
「ここで、彼女彼氏を探す」
という輩もいて、店側はそれを承認していた。
だから、その場所として、テーブル席が必要ということであり、バータイムでは、男女の知り合う機会を与えるために、
「昼間の喫茶ルーム」
として提供しているテーブル席を、利用しているというわけだ。
「本当は、最初からそんなつもりだったわけではない」
ということのようで、
「最初は、昼間の喫茶店だけでは」
ということで、
「夜はバーにしよう」
と思ったということであった。
その時、
「せっかく、広いスペースで、カウンターだけだと、少し寂しい」
ということから、
「いかに有効利用すればいいか?」
ということを考えた時、
「男女が知り合えるスペースを作ればいいか?」
と考えたのだという。
しかし、意見として、
「もし、知り合った男女がトラブルにでもなれば」
という話もあったようだが、
「逆に、解放した場所で勝手に知り合ったのだから、何かあっても、店には関係ないといえるのではないか」
と考えたのだ。
実際に、席には、その旨の注意喚起を張っておいて、
「交際相手を探す」
ということを目的とした人に、認識させることにしていたのだ。
だから、バータイムは、完全に、コンセプトとして、
「出会いの空間」
というお店になっていたのだ。
当然、
「水商売」
でもなければ、ましてや、
「風俗店」
というわけではない。
ただ、
「目的がある提訴ハッキリしていると、お客さんが入ってきやすい」
と思ったのだ。
そもそも、今の時代は、
「なかなか男女が安全に知り合う」
という場所が少ない。
昔から、男女の出会い」
というと、
「出会い系サイト」
であったり、
「テレクラ」
というものから始まり、今では、
「マッチングアプリ」
と呼ばれるものまでさまざまである。
その途中には、
「お見合いパーティ」
などというものを主催する会社も結構あり、それらの主催のパーティなどを経て、今の時代は、
「婚活」
などと言われるようになってきたのだ。
昔であれば、
「過疎地の農村」
などの跡取り問題などから、
「都会からの嫁とり」
ということで、
「農家の嫁とり企画」
などというのが結構あったが、今の時代は、嫁とり問題としてよりも、
「少子高齢化」
という問題から、
「成田離婚」
などといって、
「すぐに離婚する」
という時代があり、さらに、
「バブル崩壊」
により、
「夫婦共稼ぎが当たり前」
という時代になると、今度は、
「子供をどこに預けるか?」
という問題が大きく立ちふさがることになる。
「祖父祖母が面倒を見てくれる」
という人であれば、まだマシなのだが、実際に、
「親と別居」
というのが多い夫婦では、子供は、保育園や託児所に預けるというのが主流になるのであった。
しかし、実際に、
「保育園」
であったり、
「託児所」
というところの、絶対数が足りないということであった。
もちろん、
「施設の場所」
というよりも、
「保母さんの人手不足」
ということから、
「施設はあっても、一人の保母さんの見る人数が、限界を超えている」
などということで、無理がたたって。事件が起きるということだって、当然のごとくあるわけである。
ただ、やはりそれよりも、
「施設の絶対的な不足」
ということから、
「待機児童」
ということで、
「申請は出しているが、なかなか受け入れまでには時間が掛かる」
ということになっているのだ。
となると、
「月極ということではなく、その日一日の託児所」
ということで、
「とりあえず、子供を預かる」
という施設が出てくるだろう。
「預けるところがないから、しょうがない」
ということになるのだろうが、本来であれば、
「教育の一環」
ともいうべき、
「保育所」
というものが充実していれば、何も問題はないということであろう。
しかし、
「教育というものも必要」
ということになると、
「保育所」
というところは、教育機関ということで、
「認可制」
ということになるであろう。
だから、当然、
「保母さんの認可を持っている」
という人が雇われて、子供の面倒を見るというのは当たり前のことである。
「教員免許のない人が、学校の先生をする」
というのと同じことである。
それだけ、
「教育というのは大切なこと」
ということであり、
「その教育というのは、小学校からということではなく、すでに、小学校入学の前から始まっている」
といってもいいだろう。
確かに、
「バブルの崩壊」
というのが突然ということであり、
「予知できなかったこと」
ということであれば、
「保母さんが不足している」
というのも無理もないことであろう。
しかし、
「本当にバブル崩壊を予知できなかった」
といってもいいのだろうか?
いや、もっといえば、そもそも問題となっている、
「少子高齢化」
というものは、最初から予知できていたはずである。
だとすれば、
「保母さんの養育」
というものを、政府でも、最初から対策を取らないといけなかったのではないだろうか?
実際に、
「バブル崩壊前から、少子高齢化」
と言われていたのではないだろうか。
当時は、まだまだ、
「専業主婦」
というものがほとんどで、
「託児所」
などそれほどいらないといってもよかった。
しかし、共稼ぎになると、子供を預けるところが急遽必要ということになり、時代が、
「少子高齢化」
ということで、
「子供をたくさん作る」
ということも、当時ぼバブル期であれば、別に意識することもなかっただろう。
実際に、
「バブルというものが、これからも続いていく」
と考えていたとすれば、当然のごとく、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
ということで、
「当時としては、企業戦士と言われるような、無理をしてでも働く人が少しでも楽になるような時代」
というものがくるはずだった。
だから、
「仕事は山ほどある」
ということで、
「人手不足が問題」
ということになるだろう。
そうなると、
「人をどんどん増やす」
という方針になるのは当然であった。
しかし、それが、
「バブルの崩壊」
とともに、完全に砕け散った。
仕事はどんどん縮小し、収入がなくなったり、少なかったりすることで、奥さんが、パートに出るようになる。
すると、会社は、
「正社員に払う金がもったいない」
ということで、増えつつあるパートアルバイトなどという人にでも、できる仕事を振るようになる。
そうなると、
「社員の待遇は、正社員にしておく必要はない」
ということで、
「派遣社員」
などといった
「非正規雇用」
というものが生まれてきて、それによって、余計に、
「夫婦共稼ぎ」
ということになるのであった。
そのために、
「どうしても、託児所というものが必要」
ということになってくる。
そのため、
「本来であれば、認可が必要な託児所」
であるが、中には、
「無認可」
であっても、保育所を作ることができるという時代になってくると、
「確かに、施設不足という問題は解消されるが、教育問題ということが、残ってくるのだ」
ということになる。
しかも、今の時代ではもっとひどい時代になった。
というのは、
「本来であれば一番しっかりしているはずの幼稚園で、一番大きな問題が起こる時代になってきた」
ということである。
しかも、それは、
「一軒だけの問題」
ということではなく、全国では、
「絶えず起こっている」
ということのようであった、
というのは、
「幼稚園バスなどという、送迎バスにおいて、幼稚園の先生であったり、運転手などが、きちんとしたマニュアルに沿って、幼児がちゃんといるかどうかの確認を取ることが決まっている」
というにも関わらず、
「一人の子供をバスに置き去りにして、最後は熱中症で死んでしまった」
という、一緒に、
「殺人事件」
が起こっているのだ。
そのほとんどは、
「いつも担当している人が、その日休みだった」
ということで起こったことであった。
本来であれば、
「二人その仕事に責任を持てる人を雇っておいて、片方が休みの時は、片方が賄う」
ということにさえしていれば、こんな問題は起きないし、
「起こってしまった」
としても、
「園側では、やるべき体制を取っていた」
と、言い訳にしかならないだろうが、それなりの答弁はできるだろう。
それだけ、
「少子高齢化」
と
「保育問題」
というのは、
「切っても切り離せない大きな問題」
といえるだろう。
昭和の頃は、今では考えられないような、専業主婦というのが、ほとんどだった時代、閑静な住宅地には、
「昭和の純喫茶」
と呼ばれるようなところも多かった。
近くに大学などがあるあたりは、喫茶店なども多く、早朝から開店している店であったり、夕方には、酒を出す店というのも、少なくなかった。
かと思えば、
「名曲喫茶」
などということで、
「クラシックレコード」
を、所せましと並べていて、リクエストをすれば、流してくれるという店もあったりしたものだった。
それだけ心地よい空気を醸し出すかのようなお店には、
「密閉されている」
と思えるような部屋に、心地よい風が吹いてくる感覚になれるのが、嬉しかったようである。
初老の人たちからすれば、この思い出が懐かしいと思っている人も、多いことだろう。
「年を取れば取るほど、昔のことを思い出すようになる」
と言われるが、まさにそうなのだろう。
昔のことを思い出すというと、これも、年齢を重ねるようになってからのことであるが、
「昨日のことをかなり以前のことのように思い出すくせに、数年も前のことを、まるで、昨日のことのように思い出すことがある」
ということも結構あったりした。
時間の感覚というものが、
「時系列」
というものに、何かしらの、
「いびつな形」
というものを示すような気がしてくるということもあったりするのであった。
ただ、それは、
「年を取れば取るほど多くなってくる感覚」
ということであるが、だからといって、
「若い人にはほとんどない」
というものでもなかった。
「年齢を重ねれば」
というのは、それだけ、
「過去というものが、時間の経過とともに増えていき、厚みを帯びてくる」
ということになるのだろうということであった。
ちなみに、この街の、
「昼は、昭和の純喫茶」
そして、夜は、
「場末のバー」
といってもいいこのお店は、
「昼と夜とで名前が変わる」
というお店だった。
だからといって、
「夕方、一度閉店する」
という店ではなく、
「喫茶の時間から、バーの時間に突入する」
ということで、これも、
「常連客が多い店ならでは」
ということになるであろうか。
実際に、店の方でも、運営には、いろいろ考えてもことであった。
何しろ、
「純喫茶委」
であったり、
「場末のバー」
などというのは、この令和の時代には、なかなか見ることのできないものである。
特に、今の若い連中に、
「昔懐かし」
といっても分かるはずもない。
「これが昭和なんだ」
と言えば、素直に納得してくれることであろう。
それを思えば。
「いくらでも、コンセプトを創造できる」
という意味で、そもそも、この店のオーナーというのは、それが目的だったといってもいいだろう。
実際には、この場所で、以前は、バーを営んでいた。それは、昭和の時代から受け継がれてきたもので、オーナーは、今60歳を超えていた。
サラリーマンをしていたが、先代オーナーである父親が、
「どうせ、この店も私で終わりだろう」
ということを最初から思っていて、それを、
「息子に継いでもらいたい」
という気持ちはなかったようだ。
今のオーナーである息子は、30歳ちょっとくらいで結婚し、奥さんは、五つ下ということで、子供ができたのは、結婚五年後ということであった。
その頃には、家を出て、都心部の賃貸マンションで、家族三人暮していた。
子供は娘で、今では、25歳になっていた。
「お母さんが、結婚した年齢になってきたわね」
といっていたが、娘は結婚する気持ちはないようだった。
オーナーが、ここに戻ってきたのは、57歳の時だった。
「私もそろそろきつい年齢になってきた」
ということで、
「もう店を手放してもいい」
と思っていた頃のことだった。
オーナーが、息子にそのことを話すと、
「おやじ、俺があの店をするよ」
と言った。
息子は、
「経営コンサルタントの会社」
に勤めていたので、
「経営に関してはプロ」
といってもよかった。
さすがに父親とすれば、少しびっくりしたが、
「じゃあ、一応会社には、定年まで席を置くということにしておいて、その間、時間のある時に、この店の経営の引継ぎを少しずつやっていこう」
ということになったのだ。
「3年あるから、ゆっくりできる」
ということで、特に、
「経営に関しては素人ではない」
ということがありがたかったといってもいいだろう。
息子は、黒田正孝というのだが、この話を、奥さんと娘にすると、奥さんは、
「少し心配な気はする」
と言いながらも、強い反対はなかった。
むしろ娘の方が、
「それはいいかも知れないわね」
といって、にっこりと笑っていたのだ。
娘の方は、大学を卒業し、派遣社員として、会計事務所で事務員をやっていた。
大学時代には、
「経営学」
を専攻していて、心の中で、
「本当は、経営に携わる仕事がしたかった」
とも思っていたが、折からの不景気も相まってか、なかなかうまく就職もできなかったというわけである。
大学時代には、いろいろアルバイトをしていた。
特に、水商売のようなこともやっていて、普通、父親にそんなことをいえば、
「心配されるか、反対されるか」
ということになるのだろうが、黒田氏は、反対するということはなかった。
どちらかというと、
「せっかく経営学を学んだのだから、スナックなどがどんな経営をしているかを、勉強するのもいいかも知れない」
といっていたくらいだ。
「さすが、経営コンサルタント会社に勤める父親だ」
と、娘も関心していた。
娘の名前は、
「みゆ」
という名前だった。
父親似というよりも、
「母親に似ている」
と自他ともに認めるみゆは、背も高く、すらっとしていることから、
「夜の衣装もお似合いだった」
といえるだろう。
そんなみゆなので、中には、
「スカウト」
がやってくることもあったが、
「まだ大学生なので」
ということで丁重に断っていた。
最初から、
「あくまでも、アルバイト」
と割り切っていたからで、
「できれば、将来は経営者」
という思いが実際にあったからである。
だから、父親が、
「おじいさんの店を受け継ぐ」
と聞かされた時、
「私がホステス役くらいはできるわよ」
といっていたのだ。
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