第8話 3―1 恋敵、迫る

「……そういえばよぉ、何でかおりさんとかてめぇは、W縁子? を持ってても外に自由に行き来できるんだ?」


 それは俺からしたら、至極当然の疑問だった。


「僕らも仁科さんたちと同じように、幼少期から『ネリル』の監視下にいました。ただ社会全体の脅威になり得るほどの能力ではないので、戦闘員として『ネリル』に所属することで自由を許されているんです」


「……へぇ……そんな話、かおりさんは説明してくれなかったぞ」

「ははっ。彼女はあぁ見えて結構抜けてますからね」


 俺の知らないかおりさんの話をした。俺の、知らないかおりさんの話を。


「そんじゃあ、お前も昔は監視されてたのか」

「ですね。『ネリル』の戦闘員になったのは十五、六ぐらいの時です。かおりさんも同じ時期でしたよ。だから精神的には同期って感覚ですね」


 俺が許可をもらった名前呼び。それをこいつも使っている。


「……んでよ…………お前はあと何時間ここにいるつもりだ?」


 この妙に鼻につくイケメン――立浪俊也(たつなみしゅんや)が俺の部屋に来てから十数分。「ちょっと暇潰しにね」と言って何の気なしに入ってきた彼は、俺と同じように床に腰を下ろし、完全にくつろいでいた。


 正直言ってとんでもなく迷惑だ。身体が拒絶反応を起こしている。俺の中のあらゆる人格がこいつから離れろと叫んでくる。


「おや? ダメですか? 僕たちの仲じゃないですか、もう少しお話しましょうよ」


 しかし、彼はここから出ていく素振りすら見せない。どうせわかっているくせに、陰険なやつだ。


「まだ会って二日だろ。あと年上に馴れ馴れしくすんな。そういう輩は嫌いなんだ」

「まぁまぁそんなこと言わないで。別に仁科さんも暇でしょ?」


 微かに身体を前に倒し、朗らかな笑みと共に投げる問いかけ。その甘いマスクからは、男の妖艶さが滲み出ていた。


「僕、女性の友達はそれなりに多くいるんですけど、何故だか小さい頃から男性の友達が全然できなくて。ささやかな雑談すらできないくらい煙たがられちゃうんですよね」

「自覚あんなら視界から出てけ。それが俺のためだ」

「じゃあ僕のためにはならないじゃないですか。先生なんでしょ? 僕の初めての男友達になって下さいよ」

「話すことなんてねぇ。失せろ」

「酷いなぁもう、僕は話したいことがたくさんあるんですよ。例えば――恋バナ、とか?」


 その言葉を彼が発した瞬間、部屋全体の空気が一気に重くなった。


 そらしていた視線を彼に向け直す。するとそのイケメンは白く細い右手を自身の顎に添え、不敵な笑みを浮かべながらこちらの反応を待っていた。


まるで何かを見透かしたように余裕ぶるその態度。うざったくてしょうがない。


「……どういう意味だ?」

「単刀直入に言いましょう。僕は――雪島かおりさんが好きです」


 意中の人間の名前を口にする高揚感と、その下に敷かれた少しばかりの緊張。態度は依然として変わらないが、その言葉には紛れもない本気が宿っている。


「っっ…………そうかよ」


 二日前、こいつがかおりさんの肩に手を乗せたまま話したあの時から、俺は薄々勘づいていた。理屈はない。ただオスとしての本能がそう俺に教えてきたのだ。


 こいつは、俺と同じであると。


「だってものすごく綺麗じゃないですか。鮮やかな茶髪とか目元から感じる小悪魔感とか、男慣れしてそうなルックスは最高ですし、それでいて服装は落ち着いているっていうギャップもいいですよねぇ。仕事に対してはバカがつくほど真面目で責任感もある。マジで惚れない人いませんよ」


 どうやらこれが彼の理想像らしい。かおりさんは生きる性癖チェッカーだ。


「でも彼女はいつも張り詰めている。他人に厳しいぶん、自分にはそれ以上に厳しく生きている人だ。だから彼女のそばには、その場の空気を和ませて、肩の力を抜いてあげられる人が必要なはずなんです。だから――」


 一泊置いて、彼はこう続けた。


「――彼女のことは諦めて下さい。あなたは、彼女の隣に立つのに相応しくない」

「…………」


 そう言うと思っていた。今の流れで言わないわけがない。


 こいつも俺と同じく感じていたのだ。俺がかおりさんを狙っていること、その熱意が自分と肉薄するほど強いものであることを。


「あなたの過去を調べさせてもらいました。ご家族をフマンに殺されたことは心中お察しします。でも家族の死体を笑いながら殴り飛ばせる人間が、かおりさんの隣にいてはいけない」

「おいおい、そりゃあ暴論だな。何がどう繋がってその評価になるんだ?」

「ごくごく一般的な目線ですよ。あなたはかおりさんを愛していい存在じゃないんです。僕のように優しさと強さを合わせ持った、場の空気を調整するバランサーを担える人間こそ、あの人の隣に立つべきだ」

「大した自信じゃねぇか。お前、彼女の本当の姿が全然違ってても好きでいられるか?」

「そんなの考えたことないですね。だって一生かおりさんの本当の顔なんて見れませんもん。気にするだけ無駄です。逆にあなたはどうなんですか?」

「俺だって気にしねぇな。かおりさんが俺の好きな女の姿でいてくれるなら、それに越したことはねぇ」


 彼女に対するメンタリティもまるで同じ。本当に瓜二つだ。


 だとすると、俺とこいつを差別化する要素は大きく分けて二つ。一つは年齢で、もう一つは――人としての価値。


 ――2500000円――


 自己評価に絶大な信頼を置いている点も、俺とこいつは同じ。だからこそ納得してしまう。今の俺ではかおりさんの隣に立つどころか、一瞬でもこちらを振り向かせることすらできないだろう。


 だが、俺はもう決めたんだ。全ての夢を叶えると。そのために、俺はここにいる。


「はっきり言うぜ。俺はかおりさんを諦めねぇ。てめぇこそ別の女を探せよ。自分を過信しすぎた勘違い野郎じゃあ、本当の意味で彼女の支えにはなれねぇさ」

「……あぁそうですか」


 彼の中から余裕が消えた。視線が鋭くなり、瞳孔には敵意がこもっている。もう仲良いフリして談笑する気はないそうだ。


「なら、仕方ありませんね」


 立浪はすっと立ち上がり、出入口のドアへと一直線に向かう。そしてドアノブを掴み、軽く手首をひねったところで、もう一度こちらへ振り向いた。


「とりあえず、お互いに健闘を祈るってことで。まぁあなたにとっては明らかな負け戦になると思いますが、頑張って下さい」

「何だそりゃ。どうして今自分のこと話した?」

「あなたのことですよ。彼女は絶対に渡しません。彼女は必ず僕が――」

「――何してるんですか? 立浪さん」


 その時、戦いの争点たる人の声が聞こえ、俺たちの意識は一気にその声に引き寄せられた。


「か、かおりさん⁉ ど、どうしたんですか⁉ っていうか、いつからいました⁉」

「今ちょうどドアを開けようとしたところです」


 今日の彼女は、前に見た綺麗なスーツ姿。最高得点を叩き出した最強のかおりさんだ。やっぱりシャツの下から浮き出る肉厚がエロくてたまらない。


「奥には……ちゃんといるわね。放逐命令が出たわ。キモイ目してないでいくわよ」

「あいよー」

「立浪さんにも出動命令が出てます。行きましょう」

「りょ、了解……」


 俺と小坊主の戦いは、ここで一時休戦。決着は先延ばしとなった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ――そして数時間後。


「……臭ぇな」


 俺とかおりさん、そして立浪の三人は、生臭い匂いの溜まり場にやってきていた。


 今は窓やドアが全て封鎖され、外界からの光は完全に閉ざされているものの、ここは結婚式場だったそうだ。


 数週間前にこの会場で行われたとある結婚式。その主役たる新郎新婦、彼らを祝福するべく集まった参列者、その全員が殺害される事件が起きた。


 警察曰く、監視カメラなどの映像に未知の生物らしき存在が確認されたことから、フマンによる殺害であると推測され、今回の出動に繋がったらしい。


「かおりさん、今回のフマンの姿かたちとかは聞いていないんですか?」

「何も聞いていません。ですがこの場にいた数十名の人間を一気に虐殺できる存在と考えると、非常に高い殺傷能力を持つ存在のはずです。警戒を怠らずいきましょう」

「了解です。仁科さんも、気を付けて下さいね」

「うっせぇ、俺に話しかけんな」


 正直、今回はフマンをぶっ殺すことは二の次。俺にとって目下最大の目標は――立浪の欠点を見つけ出すことだ。


 一見すると、一人の女性を一途に愛する紳士。しかしこの現代にそんな清廉潔白な人間なんているわけがない。必ず、必ずどこかにこいつの落ち度がある。


 今日はこの任務中に、それを見つけ出す。そしてこの恋敵を屈服させる糸口を見つけ出し、かおりさんを諦めさせる。誰にも俺の夢の邪魔はさせない。


『絶対見つけてやる。てめぇの情けない、足りてねぇ部分を――』

「――結婚シタイナァ」


 瞬間、何者かの声が式場の中心から聞こえ、俺たち三人は一斉に態勢を向ける。


「アァ……結婚シタイネェ」

「ウン……結婚シタイ」


 向けた視線の先には、二人の人間――否、人の形をした黒いマネキンが立っていた。

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