第9話 3―2 恋敵、かっこつける

 片方はタキシード、もう片方はウェディングドレスを身に着けた、二つの人形。


「「結婚……シタイナァァァァァ!」」


 俺たちがその二つをフマンであると認識するより早く、敵は発狂と共に跳躍、こちらへ襲いかかってきた。


「なっ――」

「――かおりさんっ!」


 タキシードは勢いが乗った右ストレートを、ウェディングドレスは躊躇のない跳び蹴りを繰り出す。立浪は咄嗟にかおりさんの前に乗り出すと、タキシードの攻撃を受け止めた。


「大丈夫ですか⁉」

「えぇ、ありがとうございます」

「おいてめぇ! 何ズルしてんだこの野郎! そういうムーブは俺が――っっ!」


 次いで放たれる第二撃の蹴りが、俺の横っ腹を抉る。激痛にややうずくまる姿勢をとった最中、続けて突き出された膝によって、額がかち割られた。


「がっ……」


 頭が突き上げられたその一瞬、俺はかおりさんの方へ視線を向ける。


「――――」


 するとそこには、タキシードの鋭い拳打をいなしながら打撃を打ち込む、二人の緻密な連携があった。


 基本は立浪が攻撃を受け止め、その隙にかおりさんが反撃を差し込む形。だが立浪は時に敵のパンチに自身のパンチを合わせて相殺することで、よりかおりさんが効果的な攻撃を打ち込めるよう配慮しているように見えた。


 今だってそうだ。タキシードの左フックを防御、その時に身体の軸をそらすことで敵の懐に空間を作り、そこに素早くかおりさんが突入しアッパーをお見舞いした。


「結婚ノ、邪魔スルナァァァァ!」

「彼女はお前が触れていい人じゃない! 気安く近づくな!」

「立浪さん、フマンの独り言に返事しなくていいですから、フォローお願いします」


 熟達した戦闘技術、そして極めて緻密に計算された連携攻撃。まさに阿吽の呼吸という表現に相応しい戦いぶり。


 だが俺は――


「――ぐぅ! がぁ……」

「弱イ! 弱イ! コンナ男、イラナイ!」


 ウェディングドレスの止まらぬ足技の数々を、ただ食らい続けるだけ。なんともみっともない状況だ。


「ふざっ、けんなっ! 何でっ、こうなっ――ぐはっ!」


 これが一人の任務なら問題はない。だが今回はかおりさんと一緒に戦う初めての作戦。失態は許されない。


 加えて今回は、俺と彼女の時間に水を差すコバンザメがいる。かおりさん視点で考えればいい比較対象だ。ここでポイントを稼がなければ、彼女は俺を二度と見てくれなくなる。


 一度冷めれば相手はただの石ころ同然。それが女の性というものだ。


「こんの……邪魔されてたまるかよぉ……」


 ――バ繝テゲ繝ソ繧サ繝テ繝コ――


 ――一人縺シ縺」縺。繝￰繝ソ――


 敵二体の脳天に浮かぶ文字。その価値、見極めてやろうじゃねぇか。


「ぅ――」


 回し蹴りで胸元を突かれ、式場の壁に衝突。舞い上がる土煙が全身を覆い、絶えず撃ち込まれていた敵の蹴撃に、少しの間が生まれる。


 その僅かな静寂の数秒が、視界を黒に染める猶予となった。


「――てめぇみてぇな暴力バカ、こっちからお断りだってんだよぉぉ!」


 埃の煙幕から奇襲する形で放った跳び蹴りは、惜しくもウェディングドレスに躱される。だがすぐさま体勢を立て直して距離を詰めた俺は、そのまま一対一の肉弾戦に持ち込んだ。


「キモイ! ウザイ! ゴミ旦那ナンテ自慢スンナ!」

「売れ残りの女が偉そうに言ってんじゃねぇよ! 散々俺のこと蹴り飛ばしやがって! 既婚者なめんじゃねぇぞぉ!」


 ――-85000円――


 こんな無価値なやつに何を言われようと、全く響かない。むしろ腹が立ってくる。


「どうせ人の結婚相手のこと勝手に値踏みして胡坐かいてたんだろ? 自分の方がいい男捕まえられるはずだって妄想してたんだろ? その果てがこれかよ、情けねぇ」

「アタシハイイ女ダ! ダカラモットイイ男ト出会エル! 友達ヨリ幸セニナレル!」

「何殴り合いながら寝言言ってやがる! 残念だけどな、そういう目線で結婚を考えるやつってのは、一番周囲からこいつはねぇなって思われてんだよ!」

「嘘ダァ! 嘘ダァ! 王子様ハイルハズナンダカラ!」

「メルヘンに生きてぇならホストにでも通ってろ! そんでドバイとかで身体売って貢いでれば、いつかは見つかるかもなぁ!」


 舌戦の最中、戦況は徐々に俺の方へと傾き始めていた。


 それもそうだ。敵の攻撃方法は蹴り技のみ。何のこだわりかは知らないが、腕は少しも使ってこない。


 それが攻撃方法のレパートリーを大きく制限している。序盤で散々撃ち込まれたおかげで、すでにこいつの攻撃パターンはあらかた把握できた。おかげで今は、次にどういう攻撃かくるか、初動で予測がつく。


「――――グェ!」


 再び脇腹に打ち込まれた蹴りを逆に抱きかかえるようにして抑え込み、一気に引っ張る。体勢を崩してこちらの手元に吸い寄せられたフマンの顔面には、右ひじが炸裂。悶えるような声を漏らして、ウェディングドレスは吹き飛んだ。


「グゥ……」


 そこにもう一つの苦悶の声。見るとタキシードが膝をつき、震えながらかおりさんと立浪を見上げている。どうやらあちらの戦闘も終わりそうだ。


「てめぇはもう詰みだ。相方と一緒に消えな」


 決まった。このセリフ、ちゃんと聞いていてくれたか、後でかおりさんに確認しよう。


「ググッ……ユルサナイ!」

「邪魔ヲ……スルナァ!」


 その時、タキシードとウェディングドレスは同時に背後へ跳躍し合流。そして互いの手を取り合うと、顔を近づけて見つめ合う。


「ネェ、誓ッテ」

「君モ、誓ッテクレ」


 そして何かを確認しあうと、何かを呟き始めた。


「新郎、イツイカナル時モ妻ヲ愛シ、慈シミ、妻ノ幸セヲ一番ニ考エ、妻ノタメニ人生ヲ捧ゲルコトヲ誓イナサイ」

「新婦、病メル時ハ夫ヲ救イ、貧シキ時ハ代ワリニ働キ、ソノ人生ヲ夫ノ幸福ノ礎ニスルコトヲ誓イナサイ」


 独善的で意味不明、他者への尊重も敬愛もない独りよがりの声明文。それを言い合った二人は、その返事を待たず互いの唇を重ねる。


「――――」


 刹那、まばゆい閃光が唇の間から放たれる。それは色鮮やかながら、どこか濁ったような黒ずみを持った奇怪な光だった。


「うっ――何をするつもりだこのっ…………へ?」


 眼球に収まりきらない光を受けて、俺は数秒ほど手で視界を覆う。


 そしてその手をどけたその時、俺の眼下に広がっていたのは、巨大な花畑の中だった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 理解が追いつかない。脳内に流れ込んでくる情報の整合性が取れず、意識がその情報の受け取りを拒絶する。


 しかし、この暖かな空間に漂う雰囲気は間違いなく本物。たとえ作られたものだったとしても、ここまで精工に模倣すれば、それはもはや一つの事実だ。


 俺は今、花畑の真ん中に立っている。『黒い世界』は戦闘の一時停止を認識したのか、身体の奥に引っ込んでしまった。


 額から流れる血を拭い、もう一度辺りを見渡す。が、理解は深まらない。


「……何だ? ここ」

「ここ、どこですか?」

「「…………え?」」


 きっと、振り返ったタイミングは完璧に同じだっただろう。そして目を見開き、すぐにゲロを見たような表情に変わったのも同じだ。


「た、立浪……」

「はぁ……最悪です。何であなたがここにいるんです? こういうメルヘンチックな夢の空間は、決まって白いワンピースの美女でしょう。おじさんには合わないのに」

「こっちだってなぁ、おめぇみてぇないけ好かねぇ若造と一緒なんて御免こうむるぜ」

「まぁ文句を言っても仕方ないでしょ。協力はしたくありませんが、情報共有くらいはしましょうか。で、ここはどこですか?」

「勝手に頼ってくんな気持ち悪ぃ。俺が知るかよバカヤロー」


 大変遺憾なことではあるが、どうやら俺はこの空間を出るまで、こいつと行動しなければならないようだ。


「とりあえず、予想だけでも立てて行動しましょう。恐らくですがここは、あの女型フマンの心象風景です」

「何でそう思うんだ?」

「あのフマンが望んでいました。告白は、おとぎ話にありそうな場所で受けたいと。そういうところに連れて行ってくれる金持ちと結婚したいとも思っていました」


 望んでいました、という表現が引っかかる。ただの予想にしては断定的な言い方だ。


 その疑問を見透かされたのか、立浪は続けてこう言った。


「あぁ、言ってませんでしたね。僕の能力は、相手の望みを認識することなんです。だからフマンと接敵した時、その望みからフマンの発生要因を把握し、それに伴う敵行動への対処が可能なんですよ」


 なるほど。だから最初の会敵の際、タキシードの攻撃にいち早く反応できたということらしい。


「僕の予想通りなら、フマンもこの空間内にいるはずです。だからまずやつを見つけましょう。その後のことは見つけた時に考えます」

「けっ、てめぇの作戦に乗るのは気分が悪ぃ。が、今は仕方ねぇか」


 そう腹を括ったその時だった。


「――――ぁ」


 それは、現地点から見て遥か遠く。視力検査の時に見る家の景色のようにぼやけた場所。


 そこに立っている小さな人影。それは立浪が言った言葉通り、白いワンピースに身を包んだ、あまりにも不釣り合いな漆黒の肌を持つ人間の姿だった。

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