第7話 2―4 変人、奇人とタッグになる

 俺の作画担当の目が、黒く染まっている。


 そんな予測不可能の現象を前に、俺――仁科守信は、わずかに周囲への意識を緩めてしまった。


「おい、まさかお前も――がっ!」


 天井から生えてきた腕からの拳に弾き飛ばされ、俺の身体は敷地内の庭に吹き飛ばされる。


「くっ……また不意打ちかよ。根性がひん曲がってやがるぜ!」

「ダマレ! ダマレダマレダマレェェェ!」


 マンションから再び現れる無数の腕と、マンション全体に浮かび上がる巨大な顔。その悲壮感に満ちた表情が、より不気味さを醸し出していた。


「ズルハソッチダ! ズルハ社会ダ! ズルハコノ世界ダァァァァ!」


 マンションが泣きながら吠える。その号哭は今まで聞こえていたものとは違う、明確な意思を宿した「訴え」のように聞こえた。


 最上階に浮かぶ文字が、今なら明確な数字に見える。


 ――-700円――


 フマンである以上、俺以下のクズであることに間違いはない。だがそこまで大きなマイナス額というわけでもない。


「ははぁん、なるほどな。なんかわかってきたぞ、お前の根源が」


 クビ、という言葉に固執した雰囲気。そして社会全体に対するズルという恨み。社会人ならだれもが恐れる、あの現象の犠牲者だ。


 そう、それは俺のような氷河期世代にとって馴染み深い、悪魔の言葉――


「――お前、リストラされたな? お前はリストラのフマンってわけだ!」

「イウナ! イウナ! イウナァァァァァァ!」


 腕が一斉に飛びかかってくる。俺が大量に降り注ぐ掌底と拳撃の雨をかいくぐる最中、リストラのフマンは必死な形相で続けた。


「俺ハ頑張ッタ! 会社ノタメニ働キ続ケタ! 嫌デモ眠クテモ疲レテテモ! ミンナニ認メテ欲シクテ、タクサン頑張ッタンダ! デモ会社ハ俺ヲクビニシタ! オ金ガナイカラクビニシタ! 色ンナ転職シタノニ、ドコモ俺ヲクビニシタ!」

「ぐっ――」


 襲いかかる攻撃は一撃ごとにその威力を増し、次第に躱し続ける俺の次の行動までも予測し始める。狙いすました座標への挙動はより繊細に、かつ鋭敏に成長を続け、俺は完全に追い詰められた。


『ちっくしょうめ……』


 もう一度ここから殴り飛ばされれば、次ここに戻るまでに作画担当は間違いなく殺される。そうなれば民間人の犠牲者が発生し、かおりさんは俺に失望する。さらには漫画家の夢まで絶たれてしまう。だが躱し続けるのはもう限界に近い。


 ――だったら、戦い方を変えるしかない。


『くそぉ……最初の連載は、素手で戦うバトルものにしたかったんだが……仕方ねぇ!』


 意識を集中させる。この獣の足を誕生させたように、全身に流れる『黒い世界』のエネルギーを手のひらに集め、そしてイメージを具現化する。


 そして生み出されたのは、一本の日本刀だった。


「おっしゃあ! これで――どうだっ!」


 俺は素早く抜刀すると共に、正面と右斜め上から迫る拳に、全力の剣戟をぶつける。するとその黒い腕は真っ二つに両断され、塵のように分散して消滅した。


「痛イィィィ! ヤメロォォ! 斬ルナァァァァァァァ!」

「そう言われてやめるわけねぇだろバーカ!」


 撃ち込まれる拳打を即座に視認し、刃を合わせて力強く振り抜く。腕が引き裂かれる度にフマンの絶叫が轟く。戦況はこの武器の登場で、一気に逆転した。


「切るって言葉、社会人になると怖くなるよなぁ⁉ タイムカードに仁義にクビ! 色んなもん切らなきゃいけなくて大変だし、挙句の果てには悪いことがあると自分のクビが切られちまうんだから、バカバカしくてやってらんなかっただろ!」

「ウルサイッ!」

「でもなぁ! こんなみっともなくグレても、誰もお前を助けてなんてくれねぇんだよ! いくら駒として頑張ったって、んなもん努力とすら見られねぇ! お前は間違ってたんだ! そして今も間違ってんだ!」

「ダマレェェェ!」

「本当に頑張るやつってのはなぁ! 自分で自分の首くくるんだ! 人事評価やら他人からの印象頼みで生きるんじゃねぇ! あらかじめ自分で自分を殺せるようにしとくもんなんだよぉ!」

「ダマレェェェェェェェェ――――!」


 拳打の豪雨はやむ気配を見せない。しかし躱すこと以外に攻撃を裁く術を得た俺には、もはや脅威ではない。あとは、やつにどうとどめを刺すかだが――


「――――」


 と、その瞬間、マンションの最上階で突如として爆発が起こった。


「な、何だ⁉」

「――最っっっっっ高す! 今のセリフマジで最高の名台詞っす! 見開き一ページ確定っす! 今日から先生と呼ばせて下さい!」


 すると、その謎の爆発により巻き上がった粉塵から、作画担当が姿を現した。


「あっ! お、お前!」


 彼女の目の色が黒くなっている。この「黒い世界」にいながら、どうして目の変色がわかるのかは自分でも理解できない。でもこれはもはや確信だ。

 彼女の目は俺と同じ、澄み渡った黒に塗り潰されている。そしてその右手には、何やら真っ黒いペンのような棒が握られていた。


「今の爆発! お前がやったのか⁉」

「はいっ! なんかこの黒いペンが手元に現れたんで、試しに爆弾を描いてみたら、現実にその爆弾が生まれたっす! これなら、私も先生のお手伝いができるかもっす!」


 彼女が周囲を見渡しながらペンで四角を描く。すると俺の周囲に、いくつもの四角いオブジェクトが出現した。


「あぁなるほど! これを使えってか!」


 俺は跳躍すると共にそのオブジェクトを蹴り、空中に浮くフマンの腕を斬る。そして今度は跳んだ先にあるオブジェクトを蹴ることで反転し、また別の腕を斬る。


 間合いに飛び込んでくる腕を斬るしかなかった俺に、ついに自身からの攻撃手段が確立した。


「ギャアァァァァァァ――――!」


 顔面の悲鳴が鳴りやまない。だがオブジェクトは次々と現れ、俺は誘われるようにその場へと飛び移る。跳躍の度に斬撃は加速し続け、放たれる剣閃は超速の域に達し、フマンの腕の全てを斬り落とした。


「っっしゃあぁぁぁ! どうだリストラ野郎め!」


 気が付くと、俺はマンションの最上階へと昇っていた。どうやら作画担当によって、意図的に跳ばされていたらしい。


『よし、さぁここからだな……』


 敵の得物は全て散った。あとはとどめを刺すだけなわけだが、やっぱりその方法が思いつかない。


 前に戦ったやつはぶん殴ったら勝手に腐って消えた。だからこのリストラ野郎にも、決定的なダメージを与える手段があるはず。何だ? 何をすれば決着の一撃をくらわせることが――


「――先生! お疲れ様です! あとはお任せを!」

「へ? あとはお任せって、どういう――」

「――私、先生のおかげでやっとわかりました。私のやりたいこと、私の本当にやりたいことが」


 彼女と俺の視線がぶつかる。互いに真っ黒で不気味な絵面。しかし俺には感じ取れた。


「私は、この世界を漫画にしたい。空想の世界じゃなくて、みんなが必死に生きるこの世界そのものを漫画にする! これが、私の心からやりたいこと!」


彼女の目は、これまで以上にたくさんの輝きで満ちているということを。


「原作と主人公は先生! そして作画担当と演出考案は私! さぁ先生! 今日から二人で、最高の漫画を作る奮闘の日々を始めましょう!」

「っ……へへっ、あぁそうだぜ。今日から俺たちは、共作タッグの漫画家だ!」

「はいっ!」


 完全無欠の業務提携が結ばれた、その時


「――ク、クビィ……」

「っ!」


 あの顔面の掠れた声がどこかから聞こえて、俺は素早く周囲に視線を戻した。


 切り刻んで消滅したはずの黒い塵が、また少しずつ生え始めている。やはり敵の本体となる何かを壊さなければ、永遠に決着はつかないらしい。


「さぁてと、この戦いのクライマックスはどうつけるか……」

「心配ご無用! 私にアイデアがあります!」

「え? アイデアって――」

「――さぁさぁさぁ! 私にとって始まりの戦いとなるこの大敵! そんな存在の敗北を飾るのは、やっぱり迫力満点の大爆発っすよね!」

「爆発? おいまさかお前もしかして――」

「――はいどぉぉぉぉぉぉぉぉんん!」


 両手を広げ、声高らかに叫ぶ彼女。その声に呼応するように、マンション内の各所から巨大な火花が咲き乱れる。


「なっ! バカ野郎がっ!」

「うっひょおぉぉぉぉぉぉぉ! 最高のハッピーエンドっすぅぅぅぅぅぅぅ!」


 その花畑の上空に浮かぶ二人は、奇しくも逃げ回った時の構図と瓜二つであった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「――廃マンションの倒壊、家屋の損害約70件、騒音被害の訴え計り知れず。これらの始末書、誰が書くと思う?」

「んなもん、かおりさんの顔と胸でどうにかできんでしょ」

「美人! 戦いの後に現れるヒロイン! 物語の締めとして綺麗な展開! まさかここまで考えてたんすか先生!」

「おうよ! 彼女はかおりさん、将来の俺の女だ」

「まじっすか! 先生はくせっ毛の短髪ショートが好きなんすね! それと露出多めなのも好みっすか? って、それは全男子好きか! あははははっ!」

「え? 何言ってんだおま……あ、あぁ、そ、そうそう! そうなんだよぉ」

「…………」


 あの後、かおりさんは間もなく俺たちの前に現れた。その後ろでは大量の作業員が、瓦礫などの損壊物の回収を行っている。ここにいる人以外にも、大量の人員が周辺地域を巡回しているらしい。俺たちやフマンの目撃者を確認し次第、その記憶を抹消するためだそうだ。


「まぁいいわ。説教しても意味ないものね。とりあえずお疲れ様。フマンの討伐は確認されているわ。任務完了よ」

「これで、俺を信用する気になったか?」

「少しはね」

「ちょっとは惚れてくれたか?」

「全然。それは未来永劫ないから」

「ほぉぉんのちょっとくらいは――」

「――ない。それよりも」


 かおりさんの目線が、俺から作画担当にずれる。


「あなた、元々は一般人さんよね? 色々と聞きたいことがありすぎるけど、まずはどういう経緯でここに巻き込まれたの?」

「ちょ、待ってくれよ! 俺は別に巻き込んでねぇ! ただ助けただけだ! 俺は何も悪くねぇし、むしろ偉いだろ今回の行動は!」

「それを巻き込んだっていうの。住宅地全体が戦闘区域になるなんて想定外よ。とりあえず黙ってて。もうあなたと話すことはないわ」

「っっ……」


 美人の圧に気圧され、俺の口はそれ以上の言葉を発せなかった。


「じゃあ、とりあえず自己紹介できるかな?」

「はいっ! 私の名前は一色、っ……ニャンコ! 一色ニャンコっす!」

「…………ニャンコ?」


 意味不明な返答に、かおりさんは上ずった声でそう漏らした。可愛い。


「はい! 一般人としての私の名前は捨てました! 今日からは漫画家・一色ニャンコとして、先生と共に生きていくっす!」

「……どうやら混乱中のようね。まぁ急にものすごい情報量が襲ってきたと思うから、無理ないわ。とりあえず身柄は確保して、収容施設に連れていきましょう。というか、彼女の監視官はどこで何やって――」

「――お疲れ様です、雪島さん」


 穏やかで落ち着いた印象の低音が聞こえて、俺たち三人はかおりさんの背後を見る。


 そこには、コンビニ店員の姿をした一人の男性が立っていた。すらっと伸びた足に肌の白い腕、そして髪の流れが統一された黒マッシュ。同年代からモテてそうな大学生……といった印象だ。


――2500000円――


なかなかの高額を浮かばせる彼の手には、何故か漫画雑誌が握られていた。


「あ! 店員さん! こんちゃす!」

「こんちゃす、漫画家さん。今日はいつもの時間に来ないからちょっと心配したよ。今週発売だったこれ、取り置きしてたのに」

「立浪さん、この状況でまだ潜伏先にいたんですか? もう少しは監視官としての自覚を持って下さい」

「いやぁすいません。以後気をつけますから、そんな睨まないで下さいよ」


 彼はこちらに近づきながら軽く頭を下げると、冗談めかしくかおりさんの肩をぽんと叩いた。


「仁科守信さん、ですよね? あなたとは初めてなので自己紹介を。僕は立浪俊也(たつなみしゅんや)。その漫画家さんの監視官を務めてました。どうぞよろしく」


 その自己紹介の間、彼の手はかおりさんの肩に置かれたまま。


 ……フマンとは違う新たな敵が、生まれた瞬間であった。

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