第20章「主となる火」

──紅蓮王国・語りの座。

朝の風は、まだ眠たげに吹いていた。

ユグ・サリオンは、詩集を閉じて、座の縁に腰を下ろしていた。

肩のルクスは、羽を膨らませて丸くなっている。

その隣に、セリナ・ヴェイルが立っていた。

彼女は語りの座に立つことを拒み続けてきた。理由は簡単だった。


「だって、語りって重いじゃない。

痛みとか記憶とか、そういうの、私には向いてない」


ユグは笑った。

「向いてない人ほど、語ると響くんだよ。

無理してないから、風が素直に運ぶ」


セリナは眉をひそめた。

「それ、語り手の詩的な言い回し?

それとも、ただの天然?」


「どっちでもいいよ。響けば」


──二人は、語りの座を囲む風の中で、言葉を交わしていた。

帝国では語りが封じられ、精霊場は揺れていた。

構造は再定義されようとしていた。

その中心に、ユグがいた。

そして、セリナはその火に触れようとしていた。


「ねえ、ユグ。

語りって、誰かの痛みに触れるって言うけど、

触れたあと、どうするの?

ただ、燃えるだけ?」


ユグは少しだけ考えてから答えた。

「燃えたあと、残るものがある。

灰か、灯か。

それは、語り手が選ぶ」


セリナは座の縁に腰を下ろした。

ルクスが彼女の肩に飛び乗り、羽を震わせた。


「選ぶって、簡単に言うけどさ。

私、誰かの記憶に触れたら、泣くと思う。

語りにならないかも」


ユグは静かに笑った。

「泣く語り、いいじゃない。

涙って、風に乗るよ。

音よりも、遠くまで」


──風が少し強くなった。

精霊場が、語りの座に応答していた。

光の粒が揺れ、命令の軌道がほどけていく。

それは、崩壊ではなかった。

それは、再定義の始まりだった。


セリナは空を見上げた。

「ねえ、ユグ。

語りの主って、どうやってなるの?」


ユグは肩をすくめた。

「誰も教えてくれなかった。

気づいたら、風が僕を選んでた。

でも、選ばれたって思った瞬間、語りは届かなくなる。

だから、選び続けるしかない。

語るか、黙るか。

毎回、選ぶ」


セリナはしばらく黙っていた。

そして、ぽつりと呟いた。


「じゃあ、私も選んでみようかな。

語るか、黙るか。

今日だけ、ちょっとだけ」


ユグは微笑んだ。

「それで十分。

語りは、火じゃなくて、火種だから。

誰かが吹いてくれたら、灯る」


──セリナは立ち上がった。

語りの座には立たなかった。

でも、風に向かって、ひとことだけ言った。


「痛かったよ。

でも、今は、少しだけ軽い」


──精霊場が応えた。

光の粒が揺れ、風が広がった。

それは、語りだった。

それは、主を超えた火だった。


ユグは静かに詩集を閉じた。

そして、そっと腹部を押さえた。

ルクスが肩で羽を震わせる。


「……語りって、やっぱり……ちょっと痛いね」


セリナは驚いたように彼を見た。

「え、胃痛? ほんとに? それ、詩的な比喩じゃなくて?」


「うん、物理的に。語ると、胃がキリキリする。

たぶん、記憶の重さが内臓にくるんだと思う」


セリナは思わず吹き出した。

「それ、語りの副作用として公式に記録すべきじゃない?

“語りの火:感動と胃痛を伴います”って」


ユグは苦笑しながら、ルクスに肩をつつかれた。

「でも、痛みがあるってことは、届いたってことだから。

それなら、ちょっとくらい痛くても、いいかな」


| 火は、技術を越え、記憶に宿った。

| 声は、命令を離れ、沈黙に触れた。

| 語りは、選ばれる肩書きではなく、選び続ける姿勢だった。

| 誰かの痛みが、風に乗ったとき、

| 世界は、語りによって再び描かれ始める。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る