第12章「語り、敵兵の記憶に触れる」

帝国・前線陣地。

夜の霧は深く、兵士たちの呼吸は重かった。

剣を握る手は冷え、構造に従う動きだけが戦場を支えていた。

その均衡を破ったのは、紅蓮から届いた語りの火だった。


ユグ・サリオンは語りの座に立っていた。

彼の声は風に乗り、境界を越えて届いていた。

肩に止まる精霊ルクスは、語りの軌道に寄り添いながら、静かに震えていた。


ユグは詩集を開き、言葉を選ぶ。

それは「敵を倒す理由」ではなく、「誰もが抱える悲しみ」への問いかけだった。


「戦うことは、痛みを重ねることだ。

守れなかったもの、届かなかった声、

それでも剣を振るうのか。

その痛みは、誰のものなのか」


語りは、帝国兵の心に染み込んでいった。

剣を握る手が、わずかに揺れる。

語りは、何かを教えるものではなかった。

ただ、思い出させるものだった。

生きることが、どれほど苦しく、どれほど悲しいかを。


兵士たちは立ち止まり、耳を傾けた。

語りは、失われたものに触れていた。

故郷の風。

母の声。

戦場に置き去りにした約束。

それらが、剣の重さを変えていく。


ルクスがふわりと浮かび、帝国兵の間を一周して戻ってきた。

ユグは小さく笑った。


(語りが届いた。境界を越えた。

でも、答えはない。ただ、剣が揺れた)


──帝国・戦術研究院。

三人の影が、前線記録を囲んでいた。


レオニス・ヴァルグレイは映像に目を落としながら、眉間に皺を寄せていた。

兵士たちの剣が止まる様子を見て、彼は言葉を探していた。

(敵兵が、語りに反応している。

これは…構造の崩壊ではない。

心の揺らぎか)


「……敵兵が反応している」

彼の声は低く、しかし驚きと警戒が混ざっていた。


シュヴィル・カイネスは端末の光を見つめながら、少しだけ息を整えた。

「語りが、境界を越えて届いています」

その声は冷静だったが、語尾にわずかな迷いがあった。

(精霊場の反応が、紅蓮から帝国へ。

これは、設計外の現象。

だが、設計外という言葉が、もはや意味を持たない気がする)


ミルフィ・エルナは記録紙に指を添えたまま、語りの余韻に触れるように呟いた。

「ユグ・サリオンの語りは、敵兵の記憶に触れている。

それは、痛みを共有する火。

敵味方を選ばない。

それは…人間の本質に触れている」


彼女の声は柔らかく、確信に満ちていた。

(語りは、痛みを分け合うもの。

それは、構造よりも深い。

私は…それを信じている)


レオニスは映像を見つめたまま、言葉を探していた。

兵士たちが剣を握ったまま、動かない。

語りは、戦術の外側に届いていた。


「……語りは、敵味方を選ばないのか」

彼の声は、問いのようだった。

(もし語りが境界を越えるなら、我々の“敵”とは何だ?

それは、構造か。思想か。

それとも…記憶か)


シュヴィルは少し間を置いてから、語りの火に触れるように声を重ねた。

「語りは、記憶に触れる火です。

それは、構造では制御できません。

精霊場が反応している以上、語りは戦術の一部ではなく、思想の揺らぎです」

(思想。

私はそれを数式で囲ってきた。

だが、語りはその外にある)


ミルフィは静かに頷きながら、語りに寄り添うように声を重ねた。

「語りは、痛みに寄り添うもの。

それは、誰もが持つ悲しみを思い出させる。

だからこそ、剣が止まる。

それは、戦術ではなく、人間の選択」

(ユグは語っている。

敵に向けてではなく、痛みに向けて。

私は…それを聞いている)


レオニスは目を閉じた。

その奥に、幼い日の記憶が揺れていた。

剣を握った理由。

守りたかったもの。

語りが、そこに触れていた。


──帝国・前線陣地。

ユグは語りを終えた。

詩集を閉じ、静かに息を吐いた。

ルクスがふわりと浮かび、戦場の空気を一周して戻ってきた。


語りは、火だった。

でも、火は風に乗る。

境界を越え、記憶に触れ、剣を揺らす。


| 語り、敵兵の記憶に触れる。

| 火は、記憶に宿り、痛みに触れた。

| 精霊は、剣を選ばず、心に灯った。

| まだ、誰も知らない。

| この火が、世界を変える日が来ることを。

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