第10章「語り、民へ届く」
紅蓮王国・南部集落。
夜の帳が静かに降りる頃、ユグ・サリオンは語りの座に立っていた。
風は冷たく、空は澄んでいた。人々は家々に灯をともしていたが、その灯よりも先に、語りの火が空気を震わせていた。
ユグの肩には、精霊ルクスが止まっていた。
小さな光の粒は、語りの軌道に寄り添いながら、静かに揺れていた。
ユグは詩集を開き、言葉を探す。
それは命令ではない。戦術でもない。
ただ、問いかけだった。
「生きていることは、終わりに向かっている。
それでも、風は吹き、空は広がる。
この命も、やがて消える。
それでも、語っていいだろうか」
語りは、集落の空気に染み込んでいった。
誰かが足を止め、誰かが目を閉じる。
語りは、何かを教えるものではなかった。
ただ、思い出させるものだった。
生きていることが、どれほど儚く、どれほど美しいかを。
ユグは語り続けた。
語りは火だった。
でも、火は風に乗る。
届くかどうかは、語り手にはわからない。
ただ、語るだけだった。
──帝国・戦術研究院。
静かな部屋に、記録映像の光が揺れていた。
三人の影が、その前に立っていた。
レオニス・ヴァルグレイは腕を組み、映像に目を落としていた。
その視線は鋭く、しかし奥底に何かが揺れていた。
(なぜ、剣を持たぬ者に語りが届く。
なぜ、彼らは立ち止まる。
これは…記憶か?)
シュヴィル・カイネスは端末の光を見つめながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「民間領域で精霊場が反応している……構造では、説明がつかないはずだ」
彼の声は冷静だったが、指先の動きにはわずかな焦りが滲んでいた。
(数値で説明できない。
反応は確かにある。
だが、これは…“感情”なのか?)
ミルフィ・エルナは記録紙に指を添えたまま、語りの余韻に触れるように呟いた。
「語りが、民に届いている。
ユグ・サリオンの語りは、命の終わりに触れている。
それに応えているのは、記憶よ。
これは、戦術じゃない。祈りの原型」
彼女の声は柔らかく、確信に満ちていた。
(語りは届く。
でも、私はそれを…聞いたことがある?
この胸の奥に、何かが…)
レオニスは映像の中で立ち止まる人々を見つめながら、言葉を探していた。
「……語りは、戦術か」
その声は低く、問いのようだった。
(もしこれが戦術でないなら、我々の構造は何を守っている?)
シュヴィルは少し間を置いてから、語りの火に触れるように言葉を紡いだ。
「戦術であると同時に、戦術を超えているものです。
語りは、記憶に触れる。
構造では制御できない。
それは、設計の限界を示している」
彼の言葉には、初めて“揺らぎ”が混ざっていた。
(限界…その言葉を使う日が来るとは)
ミルフィは静かに頷きながら、語りに寄り添うように声を重ねた。
「語りは、火よ。
でも、火は風に乗る。
誰に届くかは、誰にもわからない。
でも、届いたとき、心が揺れる」
彼女の目は、映像の中の民の表情を見つめていた。
(私も…揺れているのかもしれない)
レオニスは目を閉じた。
その奥に、幼い日の記憶が揺れていた。
剣を握った理由。
守りたかったもの。
語りが、そこに触れていた。
──紅蓮王国・南部集落。
ユグは語りを終えた。
詩集を閉じ、静かに息を吐いた。
ルクスがふわりと浮かび、集落の屋根を一周して戻ってきた。
語りは、火だった。
でも、火は風に乗る。
命の終わりを問いかけながら、心に触れる。
| 語り、民へ届く。
| 火は、記憶に宿り、問いとなった。
| 精霊は、剣を選ばず、心に灯った。
| まだ、誰も知らない。
| この火が、世界を変える日が来ることを。
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