第5章「香環術と精霊の流れ」
紅蓮王国・戦術局香環室。
空気は甘く、柔らかく、揺れていた。
香環術師セリナ・ノクティアが、香りの流れを調合していた。
ユグ・サリオンは詩集を開いたまま、香りの軌道を見つめていた。
肩には、精霊ルクスが止まっていた。
小さな光の粒が、香りに反応するように微かに震えていた。
(香りに反応する精霊って、君は本当に語り専門なのか?
……いや、語りの火が香りに包まれてるから、君も包まれてるのか。精霊の論理、難しい)
「香環術は、語りの火を包む膜のようなものよ。
精霊が逃げないように、香りで場を整えるの」
セリナが香環を回しながら言った。
その手つきは優雅で、しかし迷いがなかった。
「香りは、記憶に触れる。
語りが届く前に、香りが精霊の心を開くの。
……まあ、“心”って言っても、精霊にあるかは知らないけど」
ユグは頷いた。
「語りは、火だ。香りは、風だ。
火が風に包まれれば、燃え広がる。
でも、風が強すぎると、火は消える」
(語りの火が香りに包まれて、精霊が反応する。
でも、香りが強すぎると、僕の胃が反応する。……ルクス、君は香りに強いか?)
ルクスがふわりと浮かび、香環の輪の中を一周して戻ってきた。
ユグは小さく笑った。
「……強いらしい。精霊の嗅覚、侮れない」
そのとき、イルミナ・フェルナが式図の端で小さく手を挙げた。
誰にも話しかけられず、誰にも話しかけず、ただ光の軌道を整えていた。
「……香環の流れ、座標……ずれてない……と思う……」
彼女の声は震えていたが、光の座標は正確だった。
ルクスがふわりと浮かび、イルミナの式図の上を一周して、ユグの肩に戻る。
(ルクス、君も認めたのか。彼女の光は、香りを乱さない。
語りが香りに包まれるとき、彼女の光が道を照らす)
セリナが香環を調整しながら言った。
「イルミナの光、香りと相性がいいのよ。
沈黙を乱さず、香りを導く。
語りの火が迷わないように、光が軌道を描いてくれる」
リュミナ・ヴァルティアが沈黙の場から静かに言った。
「沈黙と香りと光。語りの火を包む三重の場。
精霊が逃げない理由、少しずつ見えてきました」
ユグは詩集を閉じた。
「語りは、構造ではなく、感情だ。
でも、感情だけでは届かない。
沈黙があって、香りがあって、光があって、初めて語りは場になる」
ルクスが肩の上で小さく震え、詩集の表紙にそっと触れた。
(君は、語りの火に寄り添う唯一の精霊だ。
でも、君がいるから、僕は語り続けられる。
香りの中でも、君が光ってくれるなら)
| 香環術と精霊の流れ。
| 語りの火は、香りに包まれ、精霊に届いた。
| 香りは、記憶に触れ、火を祈りに変えた。
| まだ、誰も知らない。
| この火が、戦場を祈りに変える日が来ることを。
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