第3章「紅蓮王国、戦術士を召集す」

紅蓮王国・戦術局本庁。

石造りの回廊を歩くユグ・サリオンの足音は、静かに響いていた。

詩集は胸元に収められ、椅子の硬さを思い出す暇もないほど、空気は張り詰めていた。


肩には、いつものように精霊ルクスが止まっていた。

小さな光の粒が、ユグの語りにだけ反応する唯一の存在。

誰にも見えず、誰にも語らず、ただ静かに寄り添っている。


(この空気、椅子より硬い。ルクスがいてくれて助かる。精霊場がなくても、君だけは僕の語りに反応してくれる)


「……詩集を持ってくるなんて、やっぱり変わってるわね」


セリナ・ノクティアが隣を歩きながら、くすっと笑った。

香環の匂いが微かに漂い、緊張した空気に柔らかさを添えていた。


「戦術会議だろう? 語りの火を扱う以上、詩集は武器だ」


「でも、王国の上層部は“詩”より“構造”を好むわよ。

あなたの理想、通じるかしら」


「通じなくても、語るだけだ。

語りは、届かなくても残る。

それが火の性質だ」


(届かない語りは、独り言になる。でも、独り言が精霊に届いたら、それはもう戦術だ。……たぶん)


会議室の扉が開くと、重厚な机を囲む将官たちの視線が一斉に向けられた。

ユグは一礼し、詩集を机の上に置いた。ルクスはその上にふわりと舞い降り、静かに光を灯した。


「戦術士ユグ・サリオン。語りによる戦術設計を提案します」


将官の一人が眉をひそめた。

「語り? それは戦術か? 詩ではないのか?」


ユグは静かに頷いた。

「語りは、構造ではなく感情を揺らす火です。

精霊が反応し、場が変わる。

それは、戦術の一形態です」


(今の説明、詩的すぎたか? “場が変わる”って言葉、軍人には通じないかもしれない。

“敵が混乱する”って言えばよかったか? いや、それは語りじゃなくて営業だ)


別の将官が資料をめくりながら言った。

「精霊場の安定性は? 感情に依存する戦術は、軍事的に不安定だ」


セリナが前に出た。

「香環術による場の安定化は可能です。

精霊との契約も進んでいます。

語りの火は、儀式として成立しています」


「儀式……? 戦場で儀式を行うのか?」


その言葉に、リュミナ・ヴァルティアが静かに口を開いた。

「沈黙もまた、語りの一部です。

儀式は構造ではなく、余白を作る技術です。

精霊は沈黙に宿り、語りを支えます」


(リュミナの沈黙、時々詩集より説得力ある。

もし彼女が詩を書いたら、僕の語りは引退かもしれない)


将官たちはしばらく沈黙した。

ユグは詩集を開き、一節を朗読した。


「“六星の残火、語りの軌道に宿りて、戦場を祈りに変える”」


その言葉に、空気が微かに震えた。

香りが揺れ、沈黙が深まり、光が輪郭を描いた。


精霊が、集まり始めていた。

ルクスはその中心で、静かに光を灯していた。


「……これは、実演か?」


ユグは頷いた。

「語りは、構造ではなく、場を呼ぶ火です。

精霊が反応するのは、言葉の意味ではなく、響きです」


将官の一人が、椅子の背に身を預けた。

「理想主義だな。だが、死者ゼロの戦術には興味がある。

次の戦術会議で、実戦案を提出してもらおう」


ユグは一礼した。

セリナが隣で小さく笑った。


「……通じたわね。少しだけ」


「少しで十分だ。語りは、火だから。

一度灯れば、広がる」


リュミナは静かに言った。

「沈黙もまた、広がるものです。

語りと沈黙が並ぶなら、精霊は逃げない」


その場の隅で、イルミナ・フェルナが式図を描いていた。

誰にも話しかけられず、誰にも話しかけず、ただ光の軌道を整えていた。


「……第4軌道、安定。精霊、反応……してる、と思う……」


彼女の声は小さく、誰にも聞かれていないと思っていた。

でも、精霊はその声に、そっと寄り添っていた。

ルクスがふわりと浮かび、イルミナの式図の上を一周して、ユグの肩に戻る。


(ルクス、君も認めたのか。彼女の光は、語りよりも正確だ。

誰とも話さないけど、精霊とは会話してる。……僕より、ずっと)


その夜、ユグは書庫に戻った。

椅子は相変わらず硬かったが、詩集の重みが少しだけ軽く感じられた。


(語りが届いた。少しだけ。

でも、“少し”が精霊には十分なのかもしれない。

火は、火種さえあれば、燃える)


ルクスが肩の上で小さく震え、詩集の表紙にそっと触れた。


| 紅蓮王国、戦術士を召集す。

| 語りの火は、軍議の場に届き始めた。

| 精霊は、構造ではなく、理想に反応する。

| まだ、誰も知らない。

| この火が、戦場を祈りに変える日が来ることを。

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