セイレーンの健康診断

 どんなに病んでいてもぎりぎり心が健康でないと小説は書けない。
「え? 病んでます? いえいえ、もうどうしようもなく頭脳はすぱっと健康です」こんな健康度だ。

 ものすごく病んでいるのに、ものすごく闇落ちしているのに。
 あるいは、夢中になって夢遊病者のように書き飛ばしているのに。
 最後の最後は、作品を書くために均衡のとれた健康さをギリで保たねばならないのだ。
 無理ゲー。

 その無理ゲーをやりながら、一文字一文字、文字を刻む。

 書き手に精神を病んで病院送りになる人が多いのは当然だ。それは、こんな無理やりな心の働きを、常に課されるからなのだ。

 読んでもらえない。
 この層は、書くもの書くもの大当たりするカクヨム・ハッピーライフを送られている一部の人たちには一生涯、縁のない、怖ろしい精神状態に陥る。
 無論、ハッピーな方々はたとえ星爆(☆を配り歩いて返礼の星を稼ぐ)であろうが、読まれるための努力をしていることは承知だ。

 自分はよく、強制収容所で山積みされている重たい石を「あっちまで運べ」と云われて、膝をがくがくさせながらよろよろと運んだ後に、
「はこんだ石を元の場所に戻せ」
 と云われるイメージを想い浮べる。

 これは「お前のやっている努力は全て無駄」と教え込むために行われた作業で、実際、無力感にとらわれた囚人は疲労や空腹ではなく、絶望により、すーっと命を失っていった。

 それをセルフでやっちゃうのである。
 病む。
 病むのであるが、どれほど闇落ちしようが絶望しようが、書くには、やはり正常な心でいないといけない。
 過激派を気取るのでもない限り、一般常識や世の中のスタンダードなゾーンを見失ってもいけない。

 こちらの著者は、「食えない」状況から、プロのライターとして生活を安定させることに成功された。

 男一匹、ちゃんと自活して身を立ててやる。

 そう決意して実家を出たのはいいものの収入には繋がらず、食べることすらおぼつかない日々、単発でバイトに出てみれば役立たずと怒鳴られてしまう窮地を経て、今はようやく安定しているそうだ。
 食べることが出来ないということは、生きることが出来ないということだ。
 そんな方が口にする、「小説を書くには、まずは生活を安定させること」には重みがある。

「ちゃんとメシを食ってメンタルを安定させる」

 ぼこぼこに叩かれた金属が真っ平になってピカピカしてくるように、俗な云い方をすれば、生きるか死ぬかの極限を味わったことで或る種の境地に達するのだろう。
 極貧生活をながく送った果てに「金になるならありがたい」とどんな原作改悪でも笑って認めていた水木しげるが「睡眠大事」と唱えたように、その大切さを説く。

 ところがややこしいことに、ぼこぼこに叩かれてピカピカに輝いたメンタルでは、これまた小説は書けないのだ。
 書いてもいいが、出来上がるものは、「それ、べつにあなたが書かなくてもいいんじゃない?」というものになる。
 心身の健康を保ったまま、小説に対しては凸凹に戻らなければならない。船乗りをその歌声で波間に沈めたセイレーンに呼ばれるように、小説の世界に迷い込み、耽溺する衝動を手放してはいけない。


 所感として、「ああこんな死線をみた方でも、『学園一』『巨乳美少女』の誘惑には抗えないんだなぁ……」と末尾に紹介されていたタイトルを見て感動したことを付け加えておきたい。