第17話:腐臭の先の赤い瞳
マカカチの上げた成果は、悠夜の予想を遥かに上回っていた。
(マカカチ……。本当にすごい奴だ)
彼女の商人としての手腕には、もはや感服するしかなかった。 悠夜は内心で舌を巻く。
最初はただの金儲けが上手いだけだと思っていたが、その認識は完全に間違っていた。
彼女の持つ知識、行動力、そして大胆不敵な精神。
そのどれもが、悠夜の計画を力強く後押ししてくれている。
(これも、彼女なりのプレッシャーとの戦い方なのかもしれないな)
悠夜はふと、そんなことを考えた。
いつも飄々として、自信満々な態度を崩さない彼女だが、その裏ではきっと、計り知れない重圧と戦っているのだろう。
それを表に出さないのが、彼女の強さなのだ。
当初の計画よりも大幅に前倒しになるが、好機であることに変わりはない。
「よし、行くか」
悠夜は覚悟を決め、ブロドスキーの中心地へと向かった。
ブロドスキーの領主が住まう城は、幾重にも重なる高い城壁に囲まれていた。 威圧感のある城門の前で、悠夜は衛兵に呼び止められる。
「待て、何者だ」
鎧に身を包んだ衛兵が、鋭い視線で悠夜を射抜く。
悠夜は慌てず、柔和な笑みを浮かべた。
「これはこれは、ご苦労様です。私は悠夜と申します。領主様に面会の約束を……」
もちろん、約束などしていない。
衛兵は怪訝な顔で悠夜を見つめる。
「領主様が、お前のような若造と? 証拠はあるのか」
「いえ、実はこちらも急な話でして。ですが、きっと領主様にも喜んでいただけるお話かと」
悠夜はそう言いながら、懐からドルを取り出し、そっと衛兵の手に握らせた。
「これで、少しばかり手間賃を。お取り次ぎ、よろしくお願いします」
ドルの重みを確かめた衛兵は、一瞬でその態度を変えた。
「……ふん。まあ、いいだろう。客間でお待ちいただくことになるが、領主様がお会いになるかは分からんぞ」
「ええ、構いません」
こうして、悠夜はあっさりと城の中へと通された。
衛兵に案内されながら、悠夜は城の内部を観察する。
(……趣味が悪いな)
壁には金糸で刺繍されたタペストリーがいくつも飾られ、床にはふかふかの絨毯が敷き詰められている。
廊下のあちこちに置かれた壺や彫刻は、どれもこれも悪趣味なほどに装飾過多だった。
富をひけらかすことしか考えていない、浅はかな人間の欲望が渦巻いているような空間だ。
やがて、一つの大きな扉の前で衛兵が立ち止まる。
「こちらでお待ちください」
通されたのは、広々とした応接間だった。
ここもまた、金と宝石で飾り立てられた家具がこれみよがしに並べられている。
悠夜は一人、革張りのソファに腰を下ろした。
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
一時間、二時間……。悠夜はただひたすらに待ち続けた。
完全に日が傾き始めた頃、ようやく廊下から騒がしい足音が聞こえてきた。
重々しい足音と、甲高い女の笑い声。
やがて、応接間の扉が乱暴に開け放たれた。
現れたのは、もはや人間とは思えないほどに肥え太った男だった。
その巨体は、歩くたびに脂肪を醜く揺らしている。
領主は、左腕に若い女を抱きかかえていた。 その手は女の豊かな胸をわし掴み、いやらしく揉みしだいている。
「んあ? 誰だお前は。見ねえ顔だな」
領主は、ソファに座る悠夜を認めると、低い声でそう言った。
悠夜は立ち上がり、恭しく頭を下げる。
「お初にお目にかかります。悠夜と申します」
「ユウヤ……? 知らんな」
「ええ。本日は、辺境伯様に素晴らしい贈り物と、儲け話をお持ちいたしました」
悠夜はそう言って、懐から一枚プレゼントを取り出した。
それは悠夜が自ら作り出した、高純度のガラスの塊だ。
この世界ではまだ製造技術が確立されていない、完全な透明度を誇る逸品である。 もちろん、悠夜にとってはガラクタ同然の代物だが。
「ほう……?」
領主は女を抱いたまま、のそりと悠夜に近づく。
そして、ガラスをひったくるように受け取った。
「これは……見事な宝石だな。これほどの透明度は、王都でも見たことがない」
領主は目を細め、ガラスを光にかざしながら感嘆の声を漏らす。
その反応に、悠夜は内心でほくそ笑んだ。
(よし、食いついた)
「して、何の用だ。申してみよ」
宝石(ガラスだが)をすっかり気に入った様子で、領主はソファにどっかりと腰を下ろした。
その重みで、高価なソファが悲鳴を上げる。
「はい。実は、非常に有益な商談がございまして」
悠夜はそう切り出し、この領地で発生する死体を買い取りたいという計画を簡潔に説明した。
しかし、領主は退屈そうに鼻を鳴らすだけだった。
「よく分からん。ワシは食うことと寝ることしか知らんのでな、がっはっは!」
下品な笑い声を上げると、そばにいたメイドに顎をしゃくった。
「おい、誰か……そう、あの財務官を呼んでこい」
そう言うと、テーブルの上に山と積まれた菓子を掴み、口いっぱいに頬張り始めた。
肥え太った身体がソファの上で蠢き、まるで毛穴から脂肪が流れ出してきそうだ。
もう片方の手も休むことなく、連れの女の服の中に侵入し、何かを探るようにまさぐっている。
悠夜に対する敬意など、微塵も感じられない。
ごくり、と大きな音を立てて菓子を飲み込んだ領主が、げっぷをしながら言った。
「まあ、ワシを儲けさせるという話なら歓迎しよう。なにせ、八人目の嫁を貰わねばならんのでな」
「ははあ。それは、お隣にいらっしゃるこちらの御婦人で?」
悠夜がそう尋ねると、領主は心底馬鹿にしたように笑った。
「違うわ! こいつはただの娼婦だ」
「……!」
「ワシが娶るのは、国王陛下の弟君の娘御だ。名前は……忘れたな。まあ、ワシに利益をもたらすなら、誰でも構わん」
その後、メイドが応接間に戻ってきた。
「領主様、財務官様をお連れいたしました」
「おお、来たか。……おい、お前」
領主は、メイドの後ろに控えていた中年の男――財務官を一瞥すると、顎で悠夜を指した。
「こいつが死体を買いたいとかなんとか、よく分からんことを言っておる。お前がよしなに計らえ。うまくやれば、昇進させてやるぞ」
「は、ははっ!」
財務官は、深々と頭を下げる。
「では、頼んだぞ」
領主はそう言うと、女の尻を叩き、再び下品な笑い声を上げながら応接間を後にしてしまった。
残されたのは、悠夜と財務官、そしてメイドだけだった。
「では、お二方とも、どうぞこちらへ」
メイドに促され、悠夜と財務官を出た。
財務官が丁寧に悠夜に頭を下げた。
「悠夜様、と伺いました。この度は、領主が大変失礼をいたしました」
「いえ、お気になさらず」
「詳しいお話は、財務庁の方で伺えればと存じます。馬車をご用意いたしましたので、どうぞ」
礼儀正しい財務官の案内に従い、悠夜は馬車に乗り込んだ。
財務庁の一室で、ようやく本格的な会談が始まった。
悠夜は改めて、死体の買い取り計画について、その目的や将来性などを詳しく説明した。
財務官は、腕を組んでうんうんと頷きながら、悠夜の話に耳を傾けている。
「なるほど……。計画の概要は理解いたしました。素晴らしい着眼点ですな」
「ありがとうございます」
「ですが、重要なのは価格です。一体あたり、いくらでお考えで?」
「そうですね……」
悠夜は、少しだけ困ったような表情を作ってみせた。
「ご存知の通り、昨今の経済状況は決して良いとは言えません。特に、このブロドスキーでは米価が異常なほどに下落しておりまして。私も、正直かなりの損失を被っております」
これは、マカカチの働きによるものだ。
事実を述べつつ、自分たちが被害者であるかのように振る舞う。
そして、それは間接的に、領地の税収も大幅に減少することを示唆していた。
財務官の表情が、わずかに曇る。
「……ええ、その件は我々も把握しております。まったく、頭の痛い問題です」
「でしょう? ですので、こちらもあまり高い値段を提示することは……」
「ええ、ええ。お気持ちは察します。私も、より広範な交易を推進し、領地全体の経済を活性化させるべきだと考えておりまして……」
財務官は、当たり障りのない官僚的な言葉を並べ立てる。
典型的な役人の空虚な答弁だ。
悠夜は、内心でため息をつきながらも、話を本題に戻した。
「もし、死体の品質――つまり、損傷の少ない状態を保証していただけるのであれば、一体につき2ドルでお取引させていただきたいと考えております。もちろん、長期的な契約を結ばせていただく所存です」
具体的な数字を聞いて、財務官の動きが止まった。
しばらく考え込むような素振りを見せた後、彼は困ったように眉を下げた。
「に、2ドルですか……。いえ、その数字が妥当かどうか、私の一存では……。一度持ち帰り、他の者たちとも協議の上で、改めてお返事させていただいてもよろしいでしょうか」
「……そうですか」
「はい。3日……いえ、念のため5日間ほどお時間をいただければ、こちらとしての意見を提出できるかと」
(……本当に、政府の連中ってのはどこも同じだな。効率が悪すぎる)
だが、ここでごねても仕方がない。
「分かりました。では、良いお返事をお待ちしております」
簡単な挨拶を交わし、悠夜は席を立った。
部屋を出て、財務庁の廊下を歩いている時だった。
ふと、悠夜は奇妙な気配を感じて足を止めた。
それは、まるで冷たい絹で肌を撫でられるような、ぞくりとする感覚。
振り返ると、廊下の向こうから、一人の女性が財務官の部屋へと向かって歩いてくるところだった。
すらりとした、長身の女。 腰まで届く、艶やかな黒髪が印象的だ。
その姿は、まるで闇の中から現れたかのように、周囲の空気から浮いていた。
女は、悠夜の横を通り過ぎ、部屋の前に立つ財務官に声をかけた。
その声は、鈴の音のように凛として、美しかった。
「財務官様、ご報告が。先日より調査しておりました、市場の不自然な価格変動の件ですが……。どうやら、マカカチ商会が――」
女がそう言いかけた、その瞬間。
すっ、と女の顔が悠夜に向けられた。
まるで、最初からそこに悠夜がいることに気づいていたかのように。
血のように赤い瞳が、悠夜を真っ直ぐに見据える。
女は、一瞬だけ目を見開くと、すぐに何でもないかのように言葉を続けた。
「……いえ。まだ確証はありません。もう少し、調査を続ける必要がありそうです」
その口調の変化は、あまりにも自然で、そして不自然だった。
(……まずい)
悠夜の背筋を、冷たい汗が伝う。
(計画がバレかけている……? あの女、一体何者だ……?)
あの赤い瞳。
人間離れした、禍々しいほどの美貌。
そして、こちらを探るような、鋭い視線。
(……止めなければ)
悠夜は、強く拳を握りしめた。
あの女は、危険だ。
放置すれば、マカカチと築き上げてきた全てが、水泡に帰すかもしれない。
悠夜の心に敵意と警戒心が芽生えた。
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