第2話
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「オレリーヌ様、どうか、罪を認めて下さい。
ただ、わたしは罪を認め謝罪をしていただければ充分なのです」
「……ですから、罪と申されましても私には心当たりがないと何度も申し上げているではないですか」
「未だ、嘘を重ねるつもりか!」
まだも言い争いは続いているようだ。いや、難癖とでもいうべきか。
軽く耳を傾ける限り、コーネリアス侯爵令嬢は罪を決して認めず、ビルテスク男爵令嬢は涙ながらに訴えているらしい。出来の悪い喜劇であったならば、どれ程良かったろう。
「他に誰かこれを諫められる奴がいれば、任せるんだけどなぁ」
独り言を呟いてみても、生憎と諫める事ができる身分を持つ人間は王太子の側近たちばかりで、背後で一緒になって糾弾している。そうなってくれば、この場で正面から声を上げられるのは辺境伯令息の自分くらいのものだ。いや、実際にはもう一人いるのだが、生憎と今はこの学び舎にはいない。損な役回りだが、仕方がない。
会場を包む空気が重く澱んでいる気がした。吐き出した嘆息すら鈍く響き眩暈すら覚える。
軽く目を瞑り、首を振る。そうやって迷いを断ち切るように、騒動の中心へと足を踏み入れた。
「―――僭越ながら、トリスタン殿下。これは如何なる催しでしょうか。
もしも、喜劇だと仰るなら、浅学の身を恥じるようで申し訳ない。笑いどころが解りませんので、お教え願えませんか?」
あくまでも恭しく。そう言葉を紡いで見せると、会場の視線が一斉に俺へ集まった。
突然の辺境伯令息の登場。しかも、予期せぬ介入に最初は戸惑いが走ったようだが、その正体が俺だと認めた瞬間、王太子を筆頭に取り巻きの面々が不愉快そうに眉を顰めた。
「貴様! 無礼であるぞ!」
意気揚々と肩を怒らせ、俺の前へと勇みこんできたのは近衛騎士団長の息子。確か、マッカーシン・ブレイブ伯爵令息だったか。日に焼けた浅黒い肌が照明に反射しているのが視界に入り込んでくる。
ふむ。既に幹部候補生として、近衛と一緒に日夜訓練に励んでいるという話が社交界で飛び交っているだけあって体格も態度も随分と立派なものだ。しかし、どうやら品性は学んでいなかったと見える。その証拠とばかりに、今にも掴みかからんとばかりに腕を振り上げて来た。
「控えてくれるかい、マッカーシン・ブレイブ伯爵令息。私は殿下と話している。
君が職務を果たそうと勇み立つその気概と無謀だけは買ってやってもいいが、生憎と時間の無駄だ」
そう言って、彼の腕を軽く握り返してやると令息に動揺が走った。感情が現れる所も、まだ甘いと見える。敢えて、にこりと余裕の表情で答えて見せれば、彼は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべたかと思うと、乱暴に腕を振り払った。
「控えるのは貴様の方だ、田舎伯爵!
このような華やかな場に不釣り合いなばかりか、殿下に対するその言葉遣い、到底見過ごせん! 礼儀を知らぬ田舎者は辺境に引っ込んでいろ!」
武では勝てぬと判断した彼はすぐさまそのように言葉を並べ立ててきた。俺たちを遠巻きに窺っていた者たちは一様に首肯する。解ってはいたが、これが中央か。
確認を込めて、ちらりと横を一瞥してみれば、今まで涼し気に彼らとやりあっていたコーネリアス侯爵令嬢だけが表情を蒼褪めているのを知覚する。
「……ふむ、一つお尋ねしたいのだが」と、俺は目の前の何も解っていない猪令息を見据える。「ブレイブ伯爵令息。それは、ブレイブ伯爵家の総意で違いないか? それとも、中央貴族の総意だろうか?」
挑発とも取れる問いに、彼は威嚇でもするように腕を広げた。
「貴様のような田舎貴族と我ら中央貴族が同列であろう筈がないだろう!」
「全くだ。我らと同義などと自惚れて貰っては困る」
「分を弁えろよ、辺境の田舎者!」
「まあまあ、落ち着けよ。田舎貴族に僕らのような中央貴族の道理を説いても無理な話さ」
喚き散らす四人を前に王太子と男爵令嬢は黙ったまま事の成り行きを見ている。いや、口の端を引いて笑っているところを見るに同意見なのだろう。ただ、口に出さないだけ、まだ理性が残っているのかもしれない。
それに引き換え、侯爵令嬢は小さく肩を震わせていた。どうやら、思った通り、彼女だけは正確に事の次第を理解しているようだ。
この場が、王家と中央、そして辺境を分かつ分水嶺であるという事を。
「ふむ、なるほど。実に立派な御高説だ。さすがに耳が肥えていらっしゃる。
やはり、高位貴族たるもの、堂々としているべきだな」
そっと、彼らに見えぬように片目を瞑って侯爵令嬢にだけ笑いかける。彼女は目を丸くしてしばしば瞬きを繰り返し俺を見上げたかと思えば、先ほどと変わらぬ毅然とした態度を取り戻した。そうだ。堂々としていたまえ。
「確かに、君たちの言うように、……同列ではないな。ああ、その認識は間違っていない」
「特称で何よりだが、解ったならば控えていろ。この田舎貴族めが」
再び腕を伸ばし突進してくる猪令息であったが、俺は身動きもそこそこにそっと足を引っかけてやる。彼と俺とでは体格差が如実にあったが、所詮、中央のお遊戯で鍛えただけの騎士とも呼べない輩だ。練度が違い過ぎる。当然、令息は勢いそのままに絨毯へ崩れ落ちていった。顔面が床と見事にキスを交わしている。
「……ああ、綺麗にいったな」
広間に響いた鈍音の余韻を、誰も笑わなかった。
静寂の中、シャンデリアの鎖がかすかに揺れる。その煌めきが、嘲るように床へ光を散らし令息へと注いでいた。
「ぐっ……き、貴様ぁ!」
どうやら、日々鍛え上げられた筋肉は転ぶ練習に役立っているらしい。懲りずに起き上がろうとする姿に、健気な努力が垣間見える。
だが、それに付き合う義理も道理もないので、俺は片手を上げて動きを止めさせた。
「頭の足りていない君に。いや、君たちに少し教えてやろう」
その声だけが、広間を支配する。
赤い絨毯の上を、緊張の風が滑っていくようだった。
「『辺境伯位』とは、辺境の田舎伯爵などという意味では断じてない。
その祖は王家の血を引く由緒正しき家柄にして、高位貴族の中でも特別な地位を占める。
多くは帝国の脅威を退けるべく日夜鍛錬に励み、陛下より独自の軍を預かることを許されているのだ」
「な、なにを言って……? 軍、え?」
外務大臣の息子、そう、ポール・レインマン伯爵令息だったか。小さな体躯を殿下の背後へと隠し、まるで怯えたネズミのような上ずった声を上げた。その目には困惑と恐怖が入り混じり、理屈の理解よりも先にまずいことを言わせてしまった、という顔が浮かんでいる。
「その通りだが、ポール・レインマン伯爵令息。知らなかったのか?
我々辺境の民は外敵から王国を守護する為に軍を持つことを許されている。
それは、恐れ多くも陛下から授かった剣だ。その名誉と武勇の証としてのロワール辺境伯位であったが、それが、たった今、貴様らによって汚され、侮辱された訳だが」
はてさて、と誰ともなく中空へと視線を向ければ、会場の空気が静かに張り詰めるのを感じた。俺の言葉には、この煌びやかな場所にそぐわない鋭さがあり、辺境貴族たちの間に微かな騒めきが漂い始める。号令ひとつで、呼応するように勇士たちが立ち上がりそうな気配だ。
「ぶ、侮辱などと……物騒な事を言うじゃないか、ロワール殿」
その雰囲気を嫌うかのように、乾いた笑い声が会場に響いた。視線を戻すと、学園長の孫のジャン・リシャール侯爵令息が肩まで伸びた金髪を無造作にかき上げ、涼しげな笑みを浮かべている。
聖職者の孫とは思えない程に派手さが異様に目立つ。胸元の宝石は、彼に夢を見た女生徒たちが競うように贈ったものだという。袖口の刺繍に至っては貴夫人が施したという噂まで耳に入るくらいだ。
そうして彼はあたかも王太子でなく自分こそが学園の王子だとでもいうように振舞い、甘い笑み一つで女たちを酔わせてきた訳だが、今、その笑みはどこか空虚で瞳の奥では警戒と侮蔑が渦を巻いている。
「言葉は慎んだ方が良い、と僕は思うな。ここは学園で、王都の真ん中だというのを忘れない方が良い。それとも酔ってしまって前後不覚に陥ってしまったのかな?」
令息はそっと取り巻きたちを見回し、いつもの人を惑わす笑みを浮かべてみせる。
だが、返ってくる笑いは砂漠のように乾いていた。酔いや余興で済ませればいい。最悪は、祖父に言いつければいい。そんな浅ましい打算が、表情に滲んでいるのが隠しきれていない。
「どうだろう。折角の祝いの席だ。事をこれ以上荒立てたくなければ、矛を収めるべきだと思うけどね。それは、ロワール殿も望む所ではないだろう?」
学園という小さな王国でだけで通用する特権。それが、彼の誇りであり、同時に限界でもあった。
おそらく、いつも、そうやって笠に来て煙に巻いてきたのだろう。どうしようもなくなれば親へ、祖父へと泣きつく。結構な事だが、令息はどうやら勘違いしているらしい。
「非常に残念だよ、ジャン・リシャール侯爵令息」
静寂の中。俺はゆっくりと息を吐き出し、その甘い幻想を切って捨てる。
「酔いや余興という言葉で全てを済ませようなどと浅はかな考えを持っているだなんて」
自分の声が思いのほか静かで、会場の空気を更に冷たくした気がした。
令息の口元がひくりと震えたが、それでも笑みを崩さない。この場で自分が叱責されるはずがないという慢心だけが、彼を支えている。そうやって、虚飾を精一杯貼り付け、自分の力だと勘違いして権勢を振るってきたのだろう。
しかし、先の通り。残念でならない。俺にそれが通用するという思考が、この状況を理解していない事を証左していた。
「今日まで中央の平和を守り、護国の剣足る我らロワール家だった。
しかし、その刃がまさか中央貴族に向く事になろうとは、な」
心痛な面持ちでそう呟いて見せると、息を飲む音が聞こえた。会場に漂うのは、冷たい沈黙と張り詰めた緊張だけだった。グラスの底で光が揺らめき、観客たちの顔が青ざめる。
その静寂を理解したくなかったのだろう。誤魔化すかのように、無粋な叫び声が響き渡った。
「き、貴様! 王家に反旗を翻すと言うのか!? これは立派な反逆罪だぞ!!」
宰相閣下の息子、ロマン・プロヴァンス侯爵令息が指をさして来る。そのまま、もう片方の手で似合いもしないモノクルメガネを押し上げたかと思えば私の発言を看破できぬとばかりに勇み足で一歩踏み込んでくる。その勇ましさは勝手だが、こいつは何もわかっていない。やれやれ、とばかりに俺は首を竦めてみせる。
「耳掃除をすることをお勧めするよ、ロマン・プロヴァンス侯爵令息。
いや、次期宰相と呼ぶべきか。陛下に一番近く、国の重鎮に連なる予定の君の能力不足を声高に叫ばない方が良い。無能がバレるぞ」
親切心からそう忠告してやれば、余程堪えたのだろうか。頬をリンゴのように真っ赤に染めるプロヴァンス侯爵令息が歯噛みした。表情は歪んでいて、モノクルメガネが落ちそうだ。そんな彼を傍目に私は話を続ける。
「私は陛下より承りし爵位を侮辱した“君たち中央貴族”に対し申し上げているのだ。偏にこれは、辺境伯への、ひいては陛下への反逆であろう?」
「わ、我らを反逆者呼ばわりするというか!?」
「違うのかい? 遥か昔より歴々のオルデリア王が定めた約定を踏みにじり、泥を浴びせたのだ。これを王家への反逆と言わず、何を以って逆賊とするか」
その瞬間、場が凍り付いた。ざらりとした沈黙が場を覆い、息づかいの一つひとつが音を立てて聞こえる。
天井のシャンデリアが微かに揺れ、無数の光粒が壁を這う。
誰もが動けず、ただ冷たい時間の底に沈んでいた。
「さあ、中央貴族の皆々様方。戦の火蓋は切られた。我ら辺境の民は今すぐに領地へと戻り、逆賊を一人残らず討ち果たす。一族郎党、皆殺しにして再び国の剣たらん」
俺は芝居がかった仕草で手を広げ、わざとらしく会場を見渡して口元を引き上げた。
「さあさあ! 君たちは領地に帰り、直ちに軍を起こしたまえ!
これが君たちの、中央貴族の総意なのだろう?」
刹那、沈黙が弾けた。
冗談ではないと叫び、逃げ出す者。どうしてくれる、と四人を罵る者。泣き叫ぶ者、立ち尽くす者。普段なら不敬だと騒ぎ立てたろうが、今は誰もが放心し、そんな余裕もない。彼らはおろおろと情けない姿を隠す事もできず、王太子に縋るように視線を送った。
しかし、当の王太子は目を細め、ただ四人を蔑むように見返していた。その腰に抱かれた令嬢の瞳も、いつもの愛らしさはなりをひそめ、喧噪に揺れるシャンデリアの光の中で、影を落としている。だが、俺の視線に気づくと、令嬢はすぐに表情を戻し、心配と困惑を微かに混ぜながら、王太子と四人の間で視線を彷徨わせた。
気づいていたのは、おそらく俺とコーネリアス侯爵令嬢だけだろう。
とんだ役者ぶりだ、と内心で舌を巻いていると、雨滴が水たまりに落ちるようにぽつりと声が響いた。
「…………じょ、冗談だ」
それは誰に向けた声だったのだろうか。掠れた声を上げた令息は一度だけモノクルメガネを押し上げると、興奮冷めやらぬ様子で俺へと詰め寄ってくる。
「そう! 冗談に決まってるじゃないか、ロワール殿!
我々、中央貴族が辺境を侮辱するなど、そのような事する筈がないではないか。これは、そう! ただの冗談だ。
そ、それに、何もない所を、田舎と呼んでいるだけで侮辱した訳ではない。これは事実を申し上げただけなのだよ」
「ふむ。冗談、と。プロヴァンス殿は、そう仰る訳ですね」
抑揚に俺が頷いて同意を促せば、令息は我が意を得たりとばかりに喜色を表情に刻む。
「そ、そうだとも。こんな冗談で軍だとか、そんな大層な事にしてもらっては困る。
そ、それにこんな些事で、父君に苦労を掛けるのは君も望んでいないだろう?」
残りの三人もこの波に乗るべく、慌てて頷いて見せる。冗談だ、冗談だとも。それがこの場を切り抜ける魔法の言葉のように、口々に唱える。それで済まそうとしている。
浅はかだった。余りにも滑稽で哀れだった。
俺は憂いを帯びた表情を作り、こめかみ部分を軽くとんとんと叩いて見せる。
「なるほど、なるほど。諸君の家では冗談であれば何を言っても許されると妄言を宣うのか。であれば、君たちの家では余程、優秀な医者が不足しているとお見受けする。
困った事だ......。よければ良い医者を紹介しようか? 何、手間は取らせない。すぐにその口を縫い、目を潰し、耳を削ぎ、頭を割るだけで済む」
「な、なにを......!」
物騒な物言いに、四人の令息の肩が一斉に跳ね上がった。
やれやれ、と幾度目かの溜息を零し滔々と説いてやる。
「私たちは今日、学園を卒業した。
つまり、ここに至って、我々は成人として、高位貴族として、法の下に立つ責任を持つ。
ご理解頂けたかな? 子どもの言う事では済まされない年齢なのだよ」
「そ、それは、その、だな」
目の前で対峙している令息の喉が引きつるのを見て、俺は僅かに口元を歪めた。
「なるほど。では、順に聞こうか。
冗談で王命を汚した諸君、それぞれどんな冗談を口にしたのか。
言葉を選ぶ時間を与えよう。せめて、滑稽ではなく愚かであると証明してみたまえ」
腕を組み、令息たちを見下ろすが誰一人として口を開こうとはしない。
僅かばかりの沈黙。蝋燭の炎がかすかに揺れ、床に落ちた光が震えた。その微かな揺らぎが、誰も声を出せないことを伝えていた。
嘆息が零れる。目を眇め、まずはプロヴァンス侯爵令息へと向き直った。
「さて、学園きっての成績優秀者たる宰相閣下の御子息が、言葉の重みも測れぬとはどういった了見だろうか。君の家は法を司り、秩序を保つ立場にあるのだろう? まさか、宰相家の冗談とは、国を滅ぼすための口遊びか?」
俺の追及に、彼は蒼白になり何かを言いかけては飲み込む事を繰り返す。どうやら望んだ返事を貰える事はないようだと判断して、軽く首を傾げた。
「いや、失礼。きっと、父君がご多忙で教育が間に合わなかったのだな。
きっと相手にしてもらえず、取り合ってももらえず、書籍だけを目で追う毎日だったのだろう。同情だけはしておこうか」
力なく項垂れる令息を傍目に、続いて赤ら顔の筋肉塊へと視線を移す。
「ブレイブ伯爵家は近衛騎士団長だったな。なるほど、息子も例に漏れず勇ましい。
だが、刃を振るうより前に、頭を鍛えるべきだった。礼節を知らぬ剣など、獣と変わらん」
顔を真っ赤にして拳を握る彼は、例に漏れず噛み付こうとしてきたのだが俺は突き放すように淡々と告げた。
「……ああ、失礼。違ったな。君は獣にすら届かぬ。あれほど見事に転ぶ猪は辺境でもついと見たことがなかった。
君の言う通り中央は実に華やかだな。まさかあんな道化を演じる為に日夜訓練をしているとは思ってもみなかった。日々の彩りを欠かさない崇高な精神は痛み入るよ」
背後で、呻き声が聞こえてきたが俺は取り合わず、次の令息へと意識を向ける。彼は俺と視線が合うと、媚びるような軽薄な笑みを浮かべ唇を震わせた。
「ロ、ロワール様……! ご、誤解なのです! ぼ、ぼくは、その」
「誤解......か。なるほど」
彼の言い訳に一定の理解を示したように頷いてやる。そうすれば、安心したのだろう。胸を撫で下ろし息を吐き出す令息に、俺はしっかりと釘を刺しておいた。
「実に便利な言葉だ。相手の理解力に責任を押し付ければ、自分の過ちさえ正当化できる。
だが、それは弁明でなく逃避だ。まして、言葉を生業とし諸外国を渡り歩かねばならない家の人間が使うには、あまりにも軽い」
令息の肩がびくりと震えるが俺は取り合わず、遠い異国へと意識を向ける。
「外務大臣の御子息、ポール・レインマン。外交とは、他国の王や貴族と渡り合う仕事だ。
言葉一つが国を繋ぎ、言葉一つが血を流す。君の家はそれを代々担ってきた。
それが、君の口から出たのは『誤解』か。立派な家訓だな、素晴らしい限りだ」
猫に睨まれたネズミのように縮こまる彼を見て、俺は肩を竦めた。
「君の父君はさぞお嘆きだろう。国を繋ぐ家の息子が、その口で断絶を作るとは」
がくり、と息さえしているか怪しい令息を放っておき、最後の仕上げとばかりに、まだ虚勢を張っている学園長の孫へと視線を向けた。金糸の髪をかき上げ、口元には女を惑わす笑みが未だに浮かんでいる。
「ジャン・リシャール侯爵令息。本来、名門の名を背負うとは重く静かなことだ。
だが君はそれを飾りにした。学園長という立派な祖を持ちながら、その名を磨くよりも、自分の顔を磨くことに随分と熱心だったようだな」
彼は肩を竦め、気取った笑みを崩さずに言う。
「……何のことだい? 僕は誰も無理強いしていない。皆、自分から僕に寄ってくるのさ」
俺は少し首を傾げ、声を静めた。
「そうか。君の家では、導くとは惹きつけることで教えるとは奪うことだったのか。
……いや、そうか。思い出したよ。校舎の陰で君に縋りついて女生徒が泣いていた時も君は他人事のように取り合おうともしなかったな。あれも冗談の一種だったのか? それとも、家の方針というやつか。
何れにせよ、随分と悪趣味な事だ」
丁寧に捲し立ててみれば、令息の笑みが一瞬揺れた。王太子の、いや、抱かれている令嬢へと視線が移る。交差する視線。俺はそれを見逃さず、愉快気に頬を吊り上げた。
「なるほど、なるほど。
君ほど女生徒に人気があるなら、誰か一人くらい、信じ切っている者がいてもおかしくはないな」
喉が微かに震えている。いつもの余裕を形づくっていた表情の筋肉が、まるで支えを失ったかのように沈んでいた。それでも、どうにか取り繕おうと手で顔を隠そうとするが、俺がそれよりも早く言葉を繋いだ。
「これは驚いた。学びの場を出会いの場に変え、そこで尊厳まで穢すとはな。
学園もまた、とんでもない傑作を生んだものだ。聖職者の孫が性食者とは、いや、失敬。学園長もさぞ喜んでいるだろう、己の名がここまで見事に汚されたことをな」
俺は静かに息を吐き、四人へと近づいていく。一歩、また一歩と近づく度に、彼らは出来の悪い玩具細工のように面白いくらいに肩を跳ね上げさせた。がくりがくり、と揺れ動く。
そして漸く、彼らの傍らへと辿り着けば、俺は声を落とし耳元で囁いた。
「最後に一つだけ教えておこう―――、吐いた唾は呑めぬのだよ」
膝を折る音が重なった。
その場に崩れ落ち、神に許しを乞うように首を垂れる様を見下ろし俺は溜息を零す。
やっと、余計な飾りが落ちたか。
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