月は嘘を照らす夜

神山

第1話


「オレリーヌ・コーネリアス侯爵令嬢!

 貴様が侯爵令嬢という立場を醜い嫉妬と悪意により利用し、ここにいるビルテスク男爵令嬢に加えた様々な嫌がらせは、婚約者として、いや、オルデリア王国第一王子にして王太子たるトリスタン・ド・オルデリアの名に於いて到底許せる事ではない!

 私はここに貴様との婚約を破棄し、リリアリス・ビルテスク男爵令嬢との婚約を宣誓する!」


 卒業を迎えた夜。

 在校生と卒業生だけの夜の親睦会の真っただ中であった。


 王太子の怒声が、広間の天蓋に反響する。音楽は途絶え、グラスを掲げたままの手が止まった。突然の宣言に、会場中にいた参加者たちは騒然とする、かのように思われていたが現実は冷ややかな沈黙に包まれている。

 それも無理はない話だった。王太子の腕に抱かれ、腰に手を回された手を拒みもせずに、陶然と微笑むビルテスク男爵令嬢を見れば、誰もが察する。

 対する婚約破棄を宣誓されたコーネリアス侯爵令嬢はといえば、彼らに臆する事も、怯む事すらなく堂々とした立ち振る舞いだ。王太子の背後に控える貴族たちの鋭い視線を浴びながらも、その瞳は微塵も揺れない。


 互いが互いに自分の正義を疑っていない。

 いや、疑いようもない、といった所だろうか。


「殿下。嫌がらせ、と申されますが、私には全く心当たりが御座いません。

 何を根拠にそのような世迷言を申されるのですか?」

「この期に及んで虚言を吐くか! 高位貴族としての矜持を欠片も持ち合わせていないと見える!」


 扇子で口元を隠しながらも憮然とした態度のままに受け答えをした令嬢に対し、王太子は口角を吊り上げる。そんな二人にこの国の未来の姿を見た気がして、思わず溜息が漏れた。


「素直に罪を認めれば、殿下も温情をかけようとされたものを」

「殿下とリリアリス嬢のご寛大さを理解できないとは嘆かわしい」

「こうなっては、殿下。厳罰に処すのが正しき道かと」

「ああ、可哀そうにリリアリス嬢。身分ゆえに物申せなかったのだろう。ずっと堪え忍んでいたと思うと、胸が痛む」


 その背後に控えていた貴族の内、四人。所謂、側近候補である取り巻きたちが王太子の言に何度も首肯をする。確か、宰相閣下の息子、近衛騎士団長の息子、学園長の孫、それに外務大臣の息子だったろうか。王太子に盲従しているのか、男爵令嬢に恋慕しているのかは定かではないが、よっぽどこの事態の収拾について自信があるのだろう。そうでなければ、侯爵家の令嬢に対してこのような暴言を並べられる筈もないのだから。


「ですから、殿下。私には皆目見当もつきません。

 罪を認めろと仰られても、その罪すら知らぬのですから認めようもありません」

「まだ言うか、この毒婦めが! リリのこの涙ながらの訴えを否定させはしない!」


 おいおい、公の場でまだ正式に婚約破棄も成立していないのに、もう愛称呼びか。

 この王子マジか。本気で言っているのか。


 天井を仰ぎ見れば、シャンデリアの輝きがいつもよりも鈍く感じた。頭が痛い。酔ったのだろうか。そうだ、きっとこのシャンパンの所為だ。きっとそうだ。などと、現実逃避しつつ目を眇める。


 それにしてもこの茶番はいつになったら終わるのだろうか。もう帰っていいだろうか、という疑念を誰に言うでもなく呑み込む。残念な事に、この諍いを止められる身分というのは限られていて、俺は悲しくもその中に入ってしまっている。

 実に厄介な話だ。だが、義務を放棄し権利ばかり主張するというのも俺の矜持に障る。

 諦念に似た感情が脳裏を過ぎった。僅かばかりの抵抗とばかりに、傍にいた弟と妹にそっと耳打ちした。


「ジークルト、アナベル。今すぐにロワール辺境伯に連絡を」

「ええ、兄上。この場でこのような暴挙に出るとは。侯爵閣下がお知りになれば、さぞお怒りになられるでしょうし、陛下が知れば……」

「だからこそ、今なのでしょうね」とアナベルは扇子で口元を隠しながら続ける。「陛下も王妃陛下も、宰相閣下と共に外交でいらっしゃらない。今、この場に於ける殿下の裁量は、陛下の御言葉に近しいものになりますもの」

「殿下はそれを解っておいでなのでしょうか?」


 ジークルトが小首を可愛らしく傾げて見せるが、俺は首を横に振った。あのバカは何もわかってないだろう。だからといって、言葉に出せば不敬になる。今更ではあるが。


「さて、俺はあそこに入って諫めなければならないのだろうか?」


 騒動の中心を指差して、冗談めかして肩を竦め首を左右へと振って見せた。しかし、ジークルトもアナベルも表情一つ崩さず向こう側を睨みつけるだけに終える。


「兄上がその様な事をなさらなくても」

「そうですわ、ライナルトお兄様。このまま辺境へ戻りましょう? お父様とお母様も待っていますし」


 誰が好き好んであの場に飛び込みたいというのか。酔狂でなければ、やってられない。

 だからこそ、俺は残ったシャンパンを呷る。くらくらとする頭で言葉を濁しながらも告げる。


「これを放っておいては、それこそ王国が終わる。正直、王家はどうでもいいが、そうなれば罪なき国民に犠牲を強いる事になる。それは、ゆくゆくは我が領にも必ず影響する事になるだろう。見過ごすことはできん」


 それでしたら、とジークルトを胸に手を添え言う。


「私が行くべきではないでしょうか?」

「いいえ、ジークルト兄さま」とアナベルが追従するように一歩前へと出る。「私が向かいますわ。女であれば波風も立ち難い筈です」


 是非ともバカ騒ぎしている連中にこの二人の雄姿を見習っていただきたい。そう思いつつも俺は首を横に振ると、今後の辺境伯の事を思い覚悟をもって誡める。


「いえ、ジークルト様もアナベル様も行くべきではありません。

 これは、ロワール辺境伯第一子であり、現ロワール小辺境伯である。私、ライナルトの役割なのでしょう」


 そう言って、目を瞑る。

 決心を鈍らせないように。


「ジークルト・ド・ロワール様。貴方は正統なる次期辺境伯領主になられる御方。私などとは違い、貴方様に何かありましたら、ロワール家は王国と共に沈みましょう。そのような事はあってはなりません。

 そして、アナベル・ド・ロワール様も同様。辺境伯第一令嬢である貴女様に何かあれば、付け入る貴族に狙われ、将来が閉ざされる恐れが御座います。望まぬ婚儀を迫られるならばまだしも、修道院に追いやられるか、もしくは幽閉さえもありえます。何より母上が悲しまれますよ」


 目を開けてみれば、弟と妹は何か言い返そうとして口を開こうとするが、俺が微笑んで見せれば、悲しそうに目を伏せた。

 そうなのだ。正妃は弟と妹の母親である伯爵令嬢のアルメリア。俺は辺境伯の第一子ではあるが、腹違いだ。父が戦場にあった折、つい出来心で孕ませてしまった平民との子。認知せずに放置する事もできただろうが、妾として取り上げてもらった。

 しかし、俺が五歳の頃に母はこの世を去った。それ以降は、俺は弟を補佐するべく、立ち回っている。いうなれば側近みたいな役回りだ。乳母の子みたいな感じかもしれん。

 そんな訳で、ぶっちゃけ、俺は辺境伯位を継ぐ事はない。これは法が認めないという訳では決してなく、世論がそれを認めないといった方が正しい。貴族社会では決して俺を辺境伯とは呼ばないし、認めはしないだろう。

 しかしだ。俺は第一子なので、法の上でも建前上でもロワール小辺境伯といった立ち位置にいる。無論、弟が成人した瞬間にこの立場は終わるのだが。

 要するに、最悪俺一人を切り離せば良い。非情と思うなかれ。半分血が繋がっていようとも、これが領主の仕事であり、貴族でもあるのだ。


「出来ることなら、俺の誇りであり、宝でもある弟に、こんな決断をさせたくはない。

 そして、光のような妹に、この場の影を見せたくも、声を届かせたくもない。

 だが、それでも時は来る。その時は迷わず進め。胸を張って、我らの名に恥じぬように」


 兄としての言葉を最後に。

 俺は二人の頭を撫でると、答えを聞かずしてついと背を向ける。



 さて、弟と妹、辺境伯を護るために動くとしますか。


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