言い争い
中学時代も、学業成績、体力テストともトップ。
そんなこともあって、同じクラスの子にはテストを毎回見せられるし、体育祭ではみんなのアイドル扱いだった。
中学生になれば、すぐに何らかの部活に入るのが当たり前だと思う。
お母さんも、部活への入部を勧めてくれました。でもぼくはどこにも入らず、3年間帰宅部だった。今までの生活を崩すのは怖かったし、必要以上に人間関係のしがらみを抱えるともっと面倒なことになる。そんなのは真っ平御免だった。
結局、入部しなかったぼくに
「ハナぐらいの能力があるなら、どの部活でもやっていけるでしょうし、お友達もたくさん出来るでしょうに。もったいないわ...」
とお母さんが影で不満を漏らしていたのは、今でも覚えている。
この3年間は、語れるようなことはほとんどない。
小学4年生からの日課とプリンセスとして過ごせる時間を、中学に入ってからもずっと続けていたが、身長が急に伸び始めて今までの衣装が着られなくなったこと。
勉強の内容が少し難しくなったこと。中学3年の修学旅行では、夜な夜な猥談を繰り広げたり、異性の部屋に忍び込もうとする男子を、冷ややかな目で見ていたこと。
そのぐらいだと思う。
受験を意識するようになったのは、修学旅行が終わった頃だった。とはいえ、宿題と勉強は日課だったぼくには、フローラとして過ごす時間を減らしたこと、週一回だけ寝る時間を減らし、それを勉強に充てたこと以外は、あまり変わりはなかった。
クリスマスを祝う習慣はなかったが、新年は神社に行って合格祈願だけした。本当はその時間を少しでも勉強に充てたかったのだが、お母さんにお願いされて断れなかった。
その翌月。入試はまず、私立高校をいくつか受け、どれも合格。とはいえ、ウチはお母さんしか働き手が居ないし、そんなに稼いでいるとも思えない。それを考えると行く気にはなれなかった。
3月初旬、本番の県立入試。ぼくはこの日までに、やれるだけのことはしてきた。とはいえ、県内一の進学校で、しかも日本の大都市にある。油断してはならない。
一時間目は国語。古文や漢文はすんなり解け、現代文のところも選択式である程度判断に迷ったが、大きなミスはなかった。
続く数学、理科、英語、社会もOK。十分な手応えがあり、よほどのミスや回答欄のズレがないなら合格は間違いないだろう。
それからの一週間はいつもの日々に戻り、卒業式の日は校門前でお母さんとだけ写真を撮って、帰宅した。
お母さんは
「他のお友達とも撮らなくていいの?」
と言ってくれたが、
ぼくは
「一緒に撮りたいような子はいないと思う」
と返した。
帰り道でもお母さんとの話は続いた。
「みんなハナのことを嫌ってるとは思えないけど...」
「何人かはいると思う。それに、嫌ってるってよりは、近づき辛いんだと思う」
ぼくの平然とした返答に、お母さんは落ち込みの表情を見せていた。
その翌日、高校の合格発表があって、ぼくの受験番号があった。それは、ぼくにとっては県内一の進学校に進むことが決定したのを意味する。
「おめでとう!」
と子供のようにはしゃいで喜ぶお母さんに対して、
「うん。良かった」
とぼくは淡々に返すだけだった。
中学最後、高校入学前の春休み。
「ハナは、行きたいところとか食べたいところ、ある?合格祝いも、入学祝いも兼ねて、どこにでも連れて行くわ!」
その夜、ぼくの合格決定を見て興奮冷めあらぬお母さんは、興奮した様子でそう言っていた。
ぼくはその様子を見て、冷めるだけだった。
「お母さん、そんなお金あるの?
だいたいぼくは行きたいところも食べたいところも特に無いんだけど」
「遠慮しないの!子供が親の顔色をうかがってどうするのよ?」
「そうは言っても、お金がなきゃどうにもならないし、これからのイベントでもお金が必要なときはあるでしょ。その時になかったらどうするの?」
お母さんは、それを聞いて沈黙するだけだった。
「ハナは、子供って思えないぐらいしっかり者ね...ママが15歳の時はそんなこと、考えもしなかったわ」
「そんなのは聞き慣れてるよ」
「しっかり者なのはいいことだわ。でも、それだけじゃ人生はつまらなくなるわ」
「それでいいよ。お母さんも、いっぱい見てきたでしょ?お金の使い方を間違えて、人生をダメにしてきた人達を。そうなるぐらいなら、人生はつまらなくていい」
「あなたの考えも、分かるけど...」
お母様は、そこまでで一度言葉を切ると、こう言った。
「子供の時と大人の時に同じ経験をしても、それが思い出に残りやすいのは子供の時だとママは思うの。
ママは、子供の頃にしたかったことがあったのよ。でも、出来ないまま子供でいることは出来なくなってしまったわ。そのことは、今でも悔いている...あなた達にしてきたことは、それ以上に悔いているけど...」
「何の話をしてるの?」
「そうね...思い出は、若いうちに作るのがいい、ってことかしら?」
「内容ペラペラじゃないか」
「そうかもしれないわね...でも、もう一つ。若い頃に出来なかったことが、大人になってから苦しめることもあるのよ」
「相変わらず話が分からないな」
「分かりにくかったから、例えを出すわね。ハナは、カラオケやゲームセンターに行きたいって思ったこと、あるかしら?」
「...ないけど。それがどうかしたの?」
「テレビゲームは、どうかしら?」
「いや、それも」
「漫画や、アニメは?」
「それもない」
「全部男の子が好きそうなものだもんね...じゃあ、ハナのお姫様ごっこ。毎日やってるけど、これを取り上げられたら?」
「それは...不満かな。日課も他のこともやる気無くすと思うし、この家の外でこっそりやりたいと思うかもしれないし、それも禁止されたら一生引きずるかも。というか、さっき全部挙げたものには女の子向けのもあるでしょ」
ぼくは返事をするとともに少しだけ突っ込んだ。
「ようやく分かったみたいね...ここからが本題になるわ。やりたいと思ったことは、すぐ全部は出来ないと思う。でも、すぐにやれるように準備はしておいたほうがいい。
経験できないままだと、出来なくなってから苦しむと思うの」
お母さんのお話には、粗があった。それでも言おうとしていることは理解できた。
多分、今出来ることはしておかないと、それらが出来なくなってから一生引きずる。
そういうことなんだろうと。
「それから、これはあなたのためだけじゃない。ママのためでもあるのよ。あなたと過ごせる時間は、いつまでかは分からないけど、限られてる。
ママにも、ちょっとでいいのよ。かっこつけさせて」
お母さんは、そう言った。でも、将来のお金という問題はあるだろうに...その心配がぬぐえない。
「心配しないで。大学を出られるだけのお金はもうあるわ。奨学金を借りて行くこともしなくていい」
「そう言うなら、手帳見せてよ。口だけなら何とでも言えるでしょ」
「分かった。取りに行くから、ちょっと待ってね」
笑顔でそう言って、お母さんは部屋を出ていった。
(本当に、あるのかな...)
ぼくは不安で不安で仕方がなかった。
9歳の頃に夜逃げ同然で引っ越してから、6年。お母さん一人だけで、それだけの期間で大学を出られるほどのお金が貯まるとは思えなかった。
数分後、お母さんが銀行の手帳を持ってきました。
手帳の最後の表示額は...
3025631。300万円ちょっとだ。
「お母さん...」
「何?」
「さっき、大学を出られるだけのお金はあるって言ったよね」
「うん。それがどうかしたの?」
「これって、予備校の費用とか、進学先が私立大学だった時のことも考えてる?なんなら、これから通う高校の費用も生活費もあるでしょ。それらも考えるとこの倍でも足りないと思うよ。いや絶対に足りなくなる」
「それらは、これから稼ぐから、安心して」
「何が起こるか分からないんだよ!?お母さんが働けなくなったらどうするの!?安心出来るわけないじゃないか!それでいてかっこつけさせて、だって?そんな無責任なこと言わないでよ!」
ぼくは、ただ感情のままに怒鳴り散らした。ここまで怒ったのは、生まれて初めてだったと思う。
お母さんは、子供のように泣きじゃくり始めた。
「もう見てられない、寝るから!」
ぼくはそう言うと、寝室へ行って布団に横になった。
その間も、泣きじゃくる音はドア越しに聞こえてきた。
「本当のこと言っただけなのに、何で泣くんだよ?これじゃぼくが悪いみたいじゃないか」
ぼくは愚痴を零しながら、その間もあの空間の気まずい沈黙が忘れられなかった。
「あの場であんなこと言うのは、間違っていたの?誰か、教えてよ...」
頭の中の霧が晴れないまま、夜は明けていった。
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